先週、清瀬の森総合病院の創立60周年記念パーティーに招かれ病院関係者の方々と旧交を温めた。武谷ピニロピ理事長はバルチック艦隊を率いたロジェストヴェンスキー提督のお孫さんに乗り組み、またツアーリ(ロシア皇帝)の警護にもあたった要職武官(つまりは貴族)の娘さんで、革命ロシアを逃れて日本に渡りった。会津女学校(現県立会津女子高校)を経て、1942年に女子医専(現東京女子医大)を卒業。(武谷ピニロピの詳細経歴はこちら)
理論物理学者、科学史家でもあり、湯川秀樹、朝永振一郎とともに素粒子論をリードした武谷三男と結婚。
武谷三男はロマン・ロラン、エンゲルス、フッサールを含め、東西古今の古典、著作物を精緻に読み込んだ博覧強記の読書家。今日いうことろの薄っぺらい文理融合を超越して文理統合の果てに、かの三段階論に逢着したのだ。
もっとも天才の学問には文・理の区別なんてありゃしない。人文科学や自然科学の境界を越える独自の哲学を構築していったのだ。
さて、武谷三男の三段階論とは、人間の認識を、①現象論的段階、②実体論的段階、③本質論的段階の三段階を経て発展すると捉える学説である。湯川秀樹博士が「実体としての中間子の存在」の着想を得たのは、この武谷三男の「三段階論」を読んだからとされる。この「三段階論」はかくも影響力のある論文なのだが、実は武谷三男が京大の理学部を卒業するときの卒論。博士論文でもなければ修士論文でもない・・・。
天才恐るべし。
その天才の息子さんが武谷光さん。彼は数学の研究の傍ら、作詞・作曲活動(『六本木あたり』など)に浮名を流しつつも、その後George Washington UniversityでHealth services administrationのマスターを取得し、帰国後は病院経営の現場に立つという稀有な経験を積んできている。いっとき、共同体の桎梏に脚を取られそうになっていた武谷病院(現、清瀬の森総合病院)に請われ、意気投合して武谷光さんといっしょに病院改革に汗を流したことがあるのだ。
光さんの奥さんの典子さん(看護師、助産師)が現在、副理事長を務めている。そういえば、彼らの結婚パーティーの時、頼まれて下手なスピーチをしたこともあったっけ。
天才の天才たる所以に思いを馳せながら、閑話休題。
格闘技の天才。
沢村忠(本名、白羽秀樹)と聞いて、ピンとくる人は格闘技ファンとして比較的長い経歴を持っているはずだ。
1966年(昭和41年)4月に日本キックボクシング協会が旗揚げされ、白羽秀樹は“沢村忠”のリングネームで参戦。241戦232勝(228KO)5敗4分けという驚異的な勝率を誇る。
格闘技で96.27%という勝率はありえないくらいの大業績だ。
対戦相手の右ボディーに喰い込むような重くてシャープな回し蹴り。
小学、中学と沢村忠を熱烈にフォロー。
バネのある鍛え抜かれた身体から繰り出される回し蹴り、真空飛び膝蹴りは実に破壊的だった。
その沢村忠が、な、なんと、祝賀会の会場に現れたのだ!!
相手の延髄を捉え、破壊する真空飛び膝蹴り。
浦和のほうで空手道場を開いて、子供たちに空手を教えているそうだ。
まさか、このパーティーで沢村忠に逢えるとは夢想だにしなかった。
沢村忠さんは、格闘技のイメージとはほど遠い静謐で柔和な雰囲気に包まれているジェントルマンです。
私よりもう少し生まれが遅いと、沢村忠は漫画の主人公で実在の人物であったことを知らない、なんてことになるかもしれないです。
しかし、キックボクシングはすごかったですね。試合前、タイの選手が音楽に合わせて祈るのがかっこよかった。
「レフェリー、リー・チャンゴン!」というリングアナウンサーの叫びがまだ脳裡にこびりついております。
子供たちに、空手を通して逞しく生きることを教え伝えている今の沢村忠さんの生き方に感銘を受けました。