よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

格差社会

2005年04月03日 | ニューパラダイム人間学
たまたま「どう思いますか、格差社会」というNHKの番組を見た。あのNHKにしては面白い企画だ。いい、わるいの価値判断は別にして社会現象として格差は存在してきたし、これからも存在、拡大してゆくだろう。

現象と現象に対する価値判断を混ぜこぜにすると議論にならない。しかし、この種の課題は、その人の立場や価値判断が社会現象をとらえるときの前提になりやすいからややこしくなる。

勝ち組や負け組み、平均以上、未満といった二項対立の安直な図式で議論する風潮にはもう辟易。そこからは優越と劣等、優位、被害といったねじれた情念は生まれるだろうが、問題解決のためのアクションは生まれない。

問題は所得格差が、どのような原因や根拠によってもたらされ、それらをどう解釈するのかだ。「格差」を見上げる人は格差を不平等の結果と見るし、「格差」を見下げる人は、個人の努力の結果と見るだろう。今、高い位置から格差を見下げても、その人が将来没落することもあるだろうし、今低い位置から格差を見上げても、その人が将来成りあがる可能性もあるだろう。

その可能性は、機会の可能性だ。そして、格差是正をすべきと思う論者は、その機会の可能性すらも世帯所得の差によって親から子へ、子から孫へ相続されることが多いという。で、どうする?社会保障を充実させて、教育費を全額国費として支給すればいいんですか?

人生、自己責任、自助努力。持てる才能、能力を自分の責任とリスクで伸ばす努力を放棄して、やれ国の政策が悪い、家庭が悪い、会社が悪いと言ってみたところでなにも始まりはしない。心底、国がいやになれば他の国に移住すればいい。家庭が悪いのならパラサイトやめて家出したり、いい家庭をもったらいい。会社が気に食わなければ、とっとと会社を辞めて自分でビジネスをすればいい。

自己責任の範囲のなかでリスクをとり、それぞれの能力や機会に応じて自由のオプションをとる。これが資本主義、自由主義の原則。この原則を補完するためにこそ、貧困者や老齢者に対する公的医療サービス、社会保障、そしてニート対策などの社会政策が存在する。





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