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散歩日記X

札幌を中心に活動しています。食べ歩き・飲み歩き・ギャラリー巡り・読書の記録など

8月の東京(3)

2009年08月02日 22時16分52秒 | 飲み歩き・東京


さあ、とりあえず本日の展覧会スケジュールを消化し、ホテルにチェックインだ。銀座のなかなか快適なホテル「G」へ。今回は部屋にパソコンが付いているらしい。本体が机の中に格納されているので、しばらく気がつかなかったが確かにパソコン備え付けだ。まあ、それは程々にして、まずは飲みに行こう。

日曜日の銀座は開いていないお店が多く、事前に調査しておいての来店となった。銀座5丁目の「TG本店」である。狭い小路を抜けて店内に入ったが、結構家族連れ(会社員は日曜日だけにいない感じ)が多く賑わっている。



まずはビールと、焼物8本のエンジョイコースだ。大根おろしをツマミに待っていると、焼物がやってきた。レバ、つくね、鳥しし唐、ねぎま、鶏精、ぎんなん、うずら、野菜焼きで、肉類は基本的にタレ味だ。ここで正直に言っておくと、それほど肉の味わいが感じられないなあ…。



追加で今度は塩味だ。鶏皮、砂肝、手羽先と鶏スープ、日本酒を追加。そうだなあ、全般的につくねと手羽先は味がしっかりしていたが、それ以外は物足りない感ありだった。この店のもう一つの名物が釜めしなのだが、そこそこ食べたのでこれ以上はいけない。





よし、次は日曜日もやっている銀座のバー「RF」へ行こう。ここでは迷うことなくハイボールだ。この店のスタイルは冷えたグラス、冷えた角で氷なし、炭酸、レモンピールという非常にシンプルなハイボールながら、ちょっと他に比べようのない美味しさなのだ。

夜の込む時間帯は椅子が撤去されているようで、60代の人々の間に立つことになったが、そこからすっかり盛り上がってしまった。右側のご夫婦は(最後に判明したが)川崎でおでん屋さんを営むお二人。今日は日曜ということで、店の休みの飲み歩きの日なのだ。左側の男性は、銀座生まれで現在町田に住む生粋の東京人。相当な遊び人の旦那である。

私を含めた4人で、昔の銀座の話を聞いたり、現在よく飲みに行く店、好きな作家の話、読書話、札幌のバーについて等で延々と盛り上がってしまった。恐ろしいことに、4名中3名が蔵書4桁以上(数千冊)ということで、常人ではない人たちが集まってしまったようだ。私も普段の飲みを超え、濃いめのハイボールを4杯。すっかり酔っ払いとなった。



ホテルに戻り、主食を食べていなかったのでざるそば、ギネスを一缶飲んで終了。こんなに酔って明日はどうなる事やら。18220歩。

すごいね

2009年08月02日 21時32分27秒 | Weblog
今、東京のホテルにいるのだが、部屋にパソコンが備え付けられている。
ちょっとびっくり。
セキュリティの関係上、履歴は消して帰らねば。

今日は、東京芸術大のコレクション展に行った。
狩野芳崖の悲母観音像は凄い。しばらく動けなかった。



※8/4追記 この日の様子は時系列の関係上、下のほうにあります。

20090802最近読んだ本

2009年08月02日 20時49分28秒 | 読書
■「スタープレックス」ロバート・J・ソウヤー
恒星間の瞬間移動ができるショートカットから、次々と恒星が現れる。異星人の攻撃なのか、自然現象なのか。宇宙そのものの創世の秘密に至る、壮大なストーリー(再読)。

■「そばづくし汽車の旅」種村直樹
広島加計(かけ)から北海道森(もり)へ、蕎麦を29回食べながらの旅。最後に夜行座席で7連泊など、水曜どうでしょうもびっくりの強行軍だ。それから18年前には基本的に喫煙車がついているのだなあ。すっかりそんなことは忘れてしまった。

■「フレームシフト」ロバート・J・ソウヤー
ナチ残党と遺伝病ということで、ソウヤーにしては重苦しいストーリーになってしまった。悪くはないが、バカバカしい楽しさがない(再読)。

■「スクープ」今野敏
ひょうひょうとしたTVの事件記者が主人公。一見やる気がなさそうだが、なぜか必ず特ダネにたどりつく。今野の作品としてはかなり軽みのある作品だろう。

■「当確への布石 上下」高山聖史
うーん、意味不明の無駄な比喩。途中で読んでいるうちに「この人誰だっけ」となる人物のかき分け。かなりヒドイ。

■「無限記憶」ロバート・チャールズ・ウィルスン
前作の、地球自体を封じ込めて周りの時間が十億年単位で進むというスケール感に比べると、ややうーん。「仮定体」という謎の存在が出てきたおかげで、やや神話的な話にずれてしまったなあという気がする。

以下、図書館の1冊。
■「世界遺産一度は行きたい100選アジア・アフリカ」小林克己
ヨーロッパ編に比べて、中国の世界遺産は非常にピンとくるなあ。文化的影響の大きさゆえだろう。

8月の東京(2)

2009年08月02日 16時35分50秒 | ART
東京国立近代美術館の常設展(写真を撮ったので、いずれ公開する)を高速で見て回り、竹橋から上野に移動。今日は何を見ようか迷ったのだが、初めての東京芸術大学美術館で「コレクションの誕生、成長、変容」展。これが感動的に素晴らしかったのだ。

「絵因果経」:天平時代のカラフルな仏教説話。漢字も気合の入ったシャキッとした字だ。多分、すごい作品だと思う(国宝)。
曽我蕭白「群仙図屏風」:登場人物が全員少し狂った感じのパンチ力。鳳凰も鯉も全くそれらしく見えず、化け物か爬虫類のようなのだ。恐ろしい力がある。
伊藤若冲「鯉図」:鯉の頭を上から見て、目が両サイドに分かれて見える。若冲らしい感じはしないが、とぼけたユーモア。

狩野芳崖「悲母観音」:これを以前から見たかったのだが、もう恐ろしい傑作だ。これ1作で入場料500円でも全く高くない。服の線は太めで大様に描いているが、アクセサリ、表情の繊細さが凄いのだ(ちょっと上のほうに展示してあるので、近くで見たい…)。また、観音の足元から広がる虚空といったら、ロジャーディーンもこれにやられたのではないかと思うくらいの神秘的な色である。後は観音が意外とオッサンぽいのが、残念なところだなあ。

橋本雅邦「白雲紅樹」:遠くから見ても実に映える。非常に大きな作品でありながら、バランスがとれており、近くに寄って細かく見ても飽きない傑作。
板谷波山「鬼女」:珍しい木彫りのレリーフ。こっちの道に行っても大成したのでは。
「板絵着色天部像」:醍醐寺に伝わった作品。平安時代作でありながら、目など現代の色気に通じる。

定慶「毘沙門天立像」:正しく鎌倉様式であると思う。腰をひねったポーズであるが、質実剛健な感じがする。
川合玉堂「鵜飼」:結構荒々しい川の姿。火が川面に映る臨場感もなかなか。
上村松園「序の舞」:えっ、こんなにでかい作品だったの。この舞妓さん、私より身長が高いのでは。

山崎覚太郎「猿蒔絵風爐前屏風」:猿を3匹描いて、モダンデザインの素晴らしさ。
原田直次郎「靴屋の親父」:この存在感はちょっと凄い。なぜこの人が「騎竜観音」という妙な作品(重文だが)を描いたのやら。
高橋由一「鮭」:何作かあるはずだが、これはまたデカイなあ。キングサーモンクラスだ。

藤田嗣治「自画像」:画家が一度は描く、自信満々の自画像。
藤田嗣治「婦人像」:思いっきり日本的な洋画。

これ以外にも数々の名作があり、無条件で図録を購入した。入場者数もそれほど多くなかったので、じっくり見られて、その点も最高である。特に「悲母観音」は何度も何度も見てしまった。芸大恐るべしという展覧会・コレクションであった。

若干時間があり、この後、東京国立博物館へ。「伊勢神宮と神々の美術」「染付」はパスして常設展のみ見て回る。こちらでも写真を結構撮ったので、いつか公開したい。もはや疲れきって、ホテルのある銀座へ移動。

※8/5追記
東京芸術大学美術館では「天皇陛下御在位二十年記念日本藝術院所蔵作品展」もやっていた。もはや疲れきっていて限界だったのだが、主な出品作家は以下。
河合玉堂、東山魁夷、高山辰雄、杉山寧、平櫛田中

北海道関係分(厳密には知らないのだが)は以下。
藤田喬平(北海道立近代美術館に作品多数)、岩橋英遠、絹谷幸二(北海道立近代美術館25周年記念「日月燦々北海道」三部作制作)、澄川喜一(本郷新賞受賞)。

8月の東京(1)

2009年08月02日 14時51分09秒 | ART
真夏のさなかに東京に来るということはあまりない。今回研修の日程のため、8月2・3日と東京に滞在することになった。さぞかし暑いだろうと恐れていたが、天候不順のため思ったほどの気温ではなかった。

まずは2日(日)の午前中より移動開始。11時過ぎに羽田に着き、モノレールで浜松町へ移動。まずは手早く昼食をすませようと、大門の地下鉄駅につながったビルの飲食店街へ。手早くときたらと「K」という店で野菜カレー。辛口カレー専門店のようで、スパイス粉末で辛さを調整しているようだが、ほどほどの辛さでよかった。





大門から日本橋、竹橋へ移動し、東京国立近代美術館「ゴーギャン展」へ。日曜日の日中という時間帯だが、券売り場の前に20人程度並んでいるだけで、あまり混雑していないようだ。これ幸いとすぐ展示室へ。



私はそもそもゴーギャンが特別好きではない(嫌いでもない)が、何となく「見ておかなくては」感のある展覧会である。版画が24点あるとはいえ、53点すべてがゴーギャン本人の作品なのだから、大したものだ。

では、まず個別作品の感想から。
「水浴の女たち」:結構薄塗りのゴーギャンだが、どうせ薄塗りなら作品自体もこのくらいあっさり描いてくれたほうがすっきりする。
「愛の森の水車小屋の水浴」:素朴に子供の水浴風景を描いて、成功した作品だと思う。
「アリスカンの並木道、アルル」:東郷青児美術館で見た作品だ。素直に秋のフランスが表現されている。

「洗濯する女たち、アルル」:奇妙な味というか、写実ではなく幾何的なパターンとして人物・風景をとらえている。
「海辺に立つブルターニュの少女たち」:タヒチにつながる子供の足の太さ・ゴツさがある。子供の目に瞳が描かれていないが、表情はよくわかる。
「純潔の喪失」:横たわる女性に狐が手をかけている不思議な画。もうひとつ消化不良感。

「小屋の前の犬、タヒチ」:赤い屋根が炎のよう。遠くの家族と手前の寂しい犬の配置がよい。
「かぐわしき大地」:大原美術館の名作。有翼の蜥蜴がチャームポイント。
「テ・パペ・ナヴェ・ナヴェ(おいしい水)」:妙に上手い。しかし冷めた炎を感じさせる。

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」:今回の話題作にして、139×374センチの大作。この作品の直前の部屋がビデオ解説コーナーになっているので、人の流量制御がされており、あまり混雑していない。遠くから全体を眺め、また近くでじっくり見る。しかし、ここで疑問がわいてきた。老若男女、動物、植物、鳥、島、大地、神とあらゆるものが描かれているのが、妙に頭で考えて作ったというか説明的なのだ。

この作品も含めて、最期に全体を振り返り、何とも言えない納得感のなさはどこから来るのか考えてみた。西洋人が東洋人を描くと妙な感じになってしまうように、タヒチの人の描写が気に入らないのだろうか。それとも薄塗りな感じが好みでないのだろうか。

確かにタヒチに行く前のゴーギャンの作品は個性的ではない。タヒチを描いてから、彼が評価を受けるようになったのは間違いないだろう。しかし、私にはゴーギャンがタヒチを見出すことによって、決して解けない謎にはまってしまった気がするのだ。西洋ではその謎が解けてないことに気づかれなかったかもしれないが、日本人の私には納得ができないのかもしれない。

ところで、私はゴーギャンの伝記や作品解説を読んだことがないので、まったく的外れの素人意見であるから、追及しないでほしい。