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HIROの周辺

日々の暮らしの出来事をスナップ形式で切り取っていこうと思います。FC東京の事、登山の事も含めて。

ナイト・ポタリング

2009年07月11日 | 家族
7月10日(金)

夜サイクリングがしたいという、息子のリクエストに応えて、9時に家に戻り、二人で自転車で吉祥寺まで。今の季節は、夜の風が心地よい。吉祥寺は金曜日ですからすごい人混みで、自転車を引いて歩きました。北口のサーティーワンでアイスクリームを食べようと思いましたが、あまりの行列に断念。

この季節の夜のサイクリングは気持ちがいいですね。







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17年という歳月

2009年04月12日 | 家族
息子が中学に入学した4月9日の朝早く、実家のゴンタが天に召された。享年17歳。人間でいえば、きっと祖母のように内閣総理大臣から表彰状を貰える3桁の年齢になっていたのかも知れない。

最初に飼ったチロという犬が13歳の頃、家の裏の林に入ったまま行方不明になってしまい、家の全員が落ち込んでしまって何ヶ月かした頃(もしくはもっと経っていたかも知れないが)、仕事から家に帰ったら赤ん坊のこの犬が家にいた。母が言うには「くださった方がこの犬は血統書だといっていた」らしいが、私は諭すように母に「だったら何の種類なのか?」と聞き返したら、種類までは聞いていないという。

生まれたばかりのこの犬は、毛も無く大型のネズミのようだったのだ。こんな血統書の犬、見たことも無い。結局母は、この犬の両親はそれぞれ血統書だったらしいというホントか嘘か分からない情報を聞いてきて(端的に言えばそれが「雑種」の定義なのだが)、横文字のきれいな名前、例えばジャックだとかそういう名前は似合わないと思い、ゴンタ(漢字では権太)と私が名づけた。

結婚する前からゴンタは家にいて、結局私も妹も同じ年に結婚したので、その後ゴンタは両親の子供のように「わがもの顔」で実家で過ごした。目が白内障になり、階段も上り下りが難しくなった頃から、おしめをつけ、老人(老犬)のように両親に介護してもらっていた。

17年という歳月は、私が結婚し、子供が生まれ、その子が中学生になるまでの期間。犬の一生が私たちの人生にリンクしていているのだという事を改めて感じた。
単なる犬ではない、家族だ。

父は随分落ち込んでいる。無理は無い。毎日寝起きを共にしていたぬくもりがもう無いのだから。

ゴンタには、至らないすねかじりの兄妹が出て行った代わりに、実家の両親を世話して貰ったのかもしれない。本当に有難う、と言いたかったけど・・・・

本当に有難う。






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最後の運動会

2008年09月28日 | 家族
9月28日(日)

9月末にしてはいささか肌寒い曇天の中、小学校最後の運動会が行われました。
6年間の運動会すべてを思い出すことは出来ませんが、一年生の徒競走などを見ていると、ああ成長したんだなあ(少なくとも身長は)と思います。M先生お疲れ様でした。来年はもう来ないんだなぁ。

気がついたら夜の7時過ぎまで、家族3人寝てしまっていました。運動会見るだけで疲れてしまうようになったか、俺は。



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赤面の朝、蒼白の夜

2008年08月24日 | 家族
8月23日(土)

一日雨でしたが、運よく地鎮祭のときだけ止んでくれました。
現場に行くと、神主さんが準備をしてくれて、我々夫婦、不動産会社の営業の方と現場監督の方の4人が参加し、神主さんからの説明を簡単に聞いた後、地鎮祭はスタートしました。大きな通りから一つ入った程度の住宅地ですが、非常に静かな土曜日の11:00。そこに想定外の神主の祝詞!この敷地の地鎮祭なのに、この人、明らかに「この辺り一帯の住民」を対象に声をあげている、そう言わざるを得ないような大声。ここ横浜アリーナじゃないんだから。あーKY(笑)。思わず噴き出してしまい、それをこらえるのに必死でしたが、その直後に、今度は恥ずかしさでいっぱいになってしまいました。突然閑静な住宅街にやってきた右翼の街宣車かと、少なからず思った方もいたかも知れません。実際、何事かと飛び出てきた人もいましたから。漸く地鎮祭も終わり、周囲の方々に挨拶回りをしたのですが、皆さん非常にいい方ばかりで安心しました。
夜は、東京ダービー@国立競技場には参列せず、ハイキングクラブの反省会@焼肉屋。来年は剣岳で決まりでしょう。で、3年後は「西穂から奥穂へ行くぞ、絶対」とM先生からの仰天宣言。アニマル浜口が、銅メダルを取った直後の娘京子に「よし京子ォ、次はロンドンだーッ」と一方的に叫んだシーンと重なりました(笑)。たぶん、いや絶対この宣言は実行されるような気がする・・・もう剣岳は通過点に過ぎないのだ!!。3年後は西穂高~奥穂高・・・。
因みに、私が持っている山の本によると、先日登った唐松岳は、
中級者向き
体力度★★
難易度★★
で、五竜岳は
中級者向き
体力度★★
難易度★★★★
なんです。
で、剣岳は
上級者向き
体力度★★★★
難易度★★★★★
です。西穂~奥穂はその上を行くわけです。
結構飲んだつもりでしたが、あまり酔わないままKさんの車に載せて戴き岐路に着いたのでした。あ、11月のハイキングクラブ番外編は「日光沢温泉、錦秋の温泉宿」です。こーゆーのが、好きです、私(笑)。
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昔の写真

2008年05月21日 | 家族
先日、社内の引越しがあり、所持品を整理していたところ、昔使用していたフロッピーディスクが出てきた。ひと昔前まではパソコンの書類を保管する媒体としては主軸だったが、今では全く見かけなくなった。
殆どが書類関係だったが、そのうちの一つがプライベートの写真と書いてあったので家に持ち帰って見てみた(会社にはフロッピーを差し込むものがもうないし)。

記録には2000年6月18日とある。たぶん奥さんと息子が初めてドイツにやってきた
翌日の写真だ。4月に一足早く単身で行った私の元に2ヶ月遅れで「合流してきた」2人。20世紀最後の年。まだマルクだった頃。あれからもう8年も経つ。

3歳の息子は、日本にいれば入園して2ヶ月経っている頃だったはず。たぶん何も知らずに新幹線の形をした幼稚園バスに乗れるものだと思っていたのかも知れない。
そんな息子にはライン川はどう映ったのだろう・・・・。

ライン川の流れのように、月日が流れるのも早い。

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週末、男2 人旅

2008年04月07日 | 家族
4月6日(日)

結局、サッカー観戦後、東北自動車道で福島県の郡山インターから磐越自動車道に入り、磐梯山サービスエリアに着いたのが、23時過ぎ。無論、途中幾つかサービスエリアに立ち寄って。エクストレイル君の後部座席をたたんでフルフラットにし、家から持ってきた敷布団の上に寝袋をひいて2人で寝ました。気温は6度。深い眠りにはつけませんでしたがとりあえず息子の願望をかなえることは出来ました。
6日(日)は、まず野口英世記念館に立ち寄り、その後喜多方に足を伸ばして、まこと食堂でラーメンを堪能し、その足で今度は会津若松経由で、写真の大内宿まで行き、お箸の代わりに、長ネギで冷たいおそばを食べるというベタな経験をし、羽鳥湖の先にある温泉に入りました。
福島に住んでいる、親友K1に学生の頃に喜多方でラーメンをはしごしたり、五色沼に連れてってもらったり、車で運転しながら学生時代の事を一人思い出しながら、迷惑だろうなと思いつつ、結局夕方近くなってからK1に電話して、お邪魔してしまいました。K1、K2突然の訪問御免なさい。で、お土産まで戴いてしまって済みませんでした。でも逢えてよかったです。有難う。
息子もこれで少し元気になれば、1泊2日の男2人旅も少しは甲斐があったというもんです。かくいう私も、普段とは違う週末を過ごせて、久し振りのドライブで家に帰ったらバタンキューでしたが、とてもすっきりした気分です。また新しい一週間、頑張っていきましょう!
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懐かしい写真

2007年06月13日 | 家族
6月13日(水)

会社でPCのお気に入りを掃除していたら、久し振りにこのホームページを見つけました。

http://www.geocities.jp/nchan6219/meer.html

後で聞いたら、このホームページを作られた方は、我々が引っ越す前に引っ越された方なので面識はありません。ただこのアパートの写真の右側の一角に住んでいたと思い出させる写真だったので、このまま削除せずにお気に入りに残しておいたんでしょう、きっと。このスーパーの裏に息子も通った幼稚園があったねぇ。もう5年も前の話です。

今はきっといい季節なんでしょうねぇ。
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息子の誕生日

2007年02月16日 | 家族
2月15日(木)
また冬に舞い戻ったかのような寒い夜でした。

今日は息子S平の10歳の誕生日。
10年前の今日生まれたんですね。その日の事は手に取るように思い出されます。出産予定日が遅れてしまいドイツからお客様が出荷前立会いに来る予定と重なりそうになり、もし重なると1週間は戻れないので、出産には立ち会えないねえなどと二人で、家の裏にあったファミレスで夜遅くデザートなんかを食べながら話していました。それが13日の夜。家に戻るとお腹が痛いというので、夜中にケーキやアイスを食べたからだろうなどと言っていましたが、そっちの痛みでは無いという事になり、深夜に車で病院まで送って行ったのでした。で、結局その14日は丸一日進展なく、翌15日の明け方に看護婦さんから「男の子が生まれ、母子共に健康」という連絡が入りました。

忘れられない出来事があります。
看護婦さんから電話をもらった後、まだ朝には時間あるので再び寝、朝はやく病院に行って、妻に会い、その足で新生児室に向かいました。新生児室にはその日うちの息子ともう一人女の子が眠っていました。私も子供の頃、叔父に「お前が生まれた時の顔はサルそのものだった」みたいな事は言われていましたので格別驚きはしませんでしたが、それでもやはりガラス越しに見る生まれたての顔はお世辞にもかわいいというものではありませんでした。部屋の中には一人でしたので、隣の子はどんな顔かなという好奇心が湧き、覗いてみると、同じような顔が目を閉じていましたが、この子よりうちの息子の方がかわいいような気がしました。もう一回自分の息子を覗いて、こっちの女の子を覗き返しましたが、私の感想が揺らぐ事はなく、むしろ確信に近い「うちの息子の方がかわいい」という若干誇らしいような感情が湧いてきました。そんな事を考えていると、新生児室にその女の子のお父さんであろう男性と、今日晴れてお兄ちゃんになった3歳ほどの男の子が早足で入ってきました。男の子は入ってくるなり、ガラスに近づいてどっちが自分の妹なんだと父に問い、確かめたお父さんがこっちの赤ちゃんだよ、と左の子を指差しました。男の子は自分の妹をひとしきり除いた後、私が立っているの事にはお構いなしにうちの息子のガラスの前に顔をくっつけてひとしきり覗いた後、答えが出ましたというような顔で、女の子の前にいるお父さんに向かって大声でこう言ったのでした。「パパ、こっちの赤ちゃんより、うちの赤ちゃんのほうがかわいいねぇ」。驚いたお父さんは、しきりに息子をたしなめていましたが、私は何か心に暖かいものを感じました。私も声には出しませんでしたが、もし隣に妻がいたら耳元でこのおにいちゃんと全く同じ事を言ったに違いありません。私は、心の中で、女の子のごめんねと言った後、笑みがこぼれて仕方ありませんでした。これが、家族愛なのかもしれないなあと。

10年間、小さなことは色々ありましたが、その度ごとに周りの人に支えられて
ここまで来ました。またこの10年間我々夫婦はこのS平にどれだけの微笑を貰えてきたことか。息子の10歳の誕生日という事は、言い換えれば我々夫婦がお父さん・お母さんとなって10年目の節目という事でもあります。私は、お父さん10年選手として息子に何かしてやれているのかと自問するけれど、胸を張って答えられるだけの自信がありません。

健やかに、明るく、相手の立場に立って物事を考えられ、感謝の気持ちを忘れない子供になって欲しい、でもその言葉を自分自身に当てはめて、人として恥じない親であり続けようと考えています。



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