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HIROの周辺

日々の暮らしの出来事をスナップ形式で切り取っていこうと思います。FC東京の事、登山の事も含めて。

気持ち

2013年10月05日 | 家族

10月4日(金曜)




お葬式に向かう車の中では、


普段話すこともない『家族の歴史』を家族で、


特に息子と話します。




普段、特に話すこともないこういう話は、


こういう場面だと話す方も聞く方も素直になれてる気がします。




昨日まで知らなかったのですが、


生まれてこの方、息子は結婚式に参列した事がないのだそうです。


言われて初めてそういえばそうだな、と気付きました。




ここ数年で何度も親戚の葬儀に参列し、


命が永遠で無いこと、


人が亡くなるというのはどういうことか、


そういう場面を何度も見ているからか、


自分なりに咀嚼しているからなのか、


私や私の両親の事を投影しながら式に臨んでいるのか、


は分かりませんが、


いずれにしてもそういう場所での立ち居振舞いや


話し方がとてもしっかりしてきたなあと感じます。




普段、家ではグダグダですが、


そういう場面を経験して、彼も成長しているんだなあと、


そういう視点で見ている自分がいました。




祖母との思い出は殆ど無いけれど、


そういう場面で普段は見ることのない両親の姿や祖父母の姿や、


親戚の姿を見て、自分が今ここに生きているというルーツを、


息子もおぼろげながらも理解してくれているのだと思います。




悲しい気持ちがある一方で、こんな感情も初めて感じました。

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とこしえ

2013年10月03日 | 家族

10月3日(木曜)


早朝に自宅を出ました。

昨日は生憎の空模様でしたが、


お通夜の始まる前にとても大きくて


きれいな虹が見えたそうです。




人生は、人には伝えられない、もしくは伝えたくないような、


喜怒哀楽だけでは片付けられない様々な出来事や思いや感情が


様々な色になって複雑に絡み合う糸のようなものなのかも知れませんね。




昨日の虹は祖母が長い人生の中で紡いだ糸が、


素晴らしいものだったと教えてくれたような気がします。




今日の告別式は、祖母と、祖母を献身的に介護した叔母に心から感謝したい、


そんな気持ちになりました。。

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コペンハーゲン

2013年07月08日 | 家族




7月7日(日曜)



昨日の喧噪が嘘のように、静かにしているデュッセルドルフの街。


日曜日はレストラン以外は開いていないからね。




今日はアルトシュタットのライン川沿いで


とんぼ返りの大会があるようで準備してました。


その昔、司教を決める際に戦争にまで発展し、


勝利したときに歓喜の中で子供たちがトンボ返りしたことから、


トンボ返りする子供が街のシンボルになった、


と昔聞いたような(笑)。


朝、少し散歩してチェックアウトまでは部屋で仕事。



デュッセルドルフの街並みが懐かしかったんではなくて、


自分の住んでいた街が懐かしかったんだと気付きました。

正午のチェックアウトの時間までホテルにいて、


時間があったので空港までは中央駅から電車で空港まで移動してみました。


実は初日に旅行かばんの片方の車輪のゴムが


まっぷたつに割れてしまったので、


石畳の通りをゴロゴロ引っ張って歩くのは少しヒヤヒヤ。




今日はデンマークのコペンハーゲンに移動。

コペンハーゲン空港から電車でコペンハーゲン中央駅まで移動して、


デコボコをヒヤヒヤしながらゴロゴロして、


ホテルに着いたのは19:00。


着替えて中央駅まで戻り、


明日の電車の確認をした後で、少し散策。


中央駅の正面にあるチボリ公園。



街の中心の市庁舎前の広場に行って、



アンデルセンに挨拶してきました。




公園には鳩がつきものですが、ここではカモメが飛び交ってます。

昔、家族で車でコペンハーゲンに来ましたが、一人だとさすがにチボリ公園はね。

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48 その4

2013年07月07日 | 家族



そこから、息子が3年間通っていた幼稚園まで歩いてみました。

我々がお世話になった、わかままさんの家の前も通り、


スーパーに突き当たって右手にある幼稚園。



自分が行くことになっていた日本の幼稚園とは180度も違う、


言葉も何も通じないこの幼稚園で


最初の頃は通いたくないって言って


毎日のように息子が泣いていた事や、


なっちゃんやわかばちゃんに助けてもらったことや、


カーペンターを着させられて、


日本人なのに仮装している園児と一緒に


英語の歌を歌って踊った事や、フラッシュバックしてきました。



せっかくなのでここにある小さなスーパーで、


マギーのスープやキンダーサプライズなんかをお土産に買って、


その足で最後の1年を過ごしたアパートを見てみました。



1年延長になったので、契約も切れるあのアパートは延長せず、


幼稚園の近くに移ったのです。



1階で、南側は一面芝でよくウサギみたいなヌートリアみたいな動物が


よく歩いていたこのアパートは、


細かいことは色々ありましたが、とても快適な場所でした。



その先の道路で、息子と自転車の練習したなあ、


とかそんな事を考えながらバス停に戻って


HAUSMEERの駅まで戻り、


デュッセルドルフ方面の電車に乗ったのでした。




あの頃とほとんど何も変わっていないので、


ちょっと胸を掴むような、鼻の奥の方がツンとくるような気持ちにさせました。

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48 その3

2013年07月07日 | 家族




通りに沿って走るUバーンから、歩いている日本人を見かけながら、


「あの頃の私たち」を見ているようで、


久し振りの景色が目に飛び込んでくるにつれ、


いろいろな事が思い出されてくるものですね。

正確に言うと我々はデュッセルドルフの市内ではなく、


市外のメアブッシュという場所に住んでいました。


周りの景色が一面の畑に変わって、ようやく最寄りの駅に着きました。

そこから歩いてみようかと一瞬思いましたが、


思い直し電車から降りた乗客を待っていたバスに乗り込み、


最初の駅で降りました。

まずは最初の2年間住んでいた、CAMESALEEの家を見に行ってみました。



8世帯くらいあったのに、ドイツ人は1世帯しかおらず、


大家のような人はロシア人だし、


我々の隣の住人はバングラデシュ人の家族。


デュッセルドルフ市内に住んでいる人たちには味わえないような所でした。

あの頃と同じように静かな場所でした。



お世辞にも広いとはいえないその最上階の屋根裏の部屋。



外観も玄関も、当時と全く変わっていませんでした。




そのまま足を進めて、週末の朝、


息子と一緒に買いに来ていたパン屋の前に着きました。


最初に一人渡欧した時、


このパン屋の前で、息子の幼稚園のことをどうしようかと悩み、


もうこの辺りに住んでいる日本人の方に直接聞いてみよう、


なんてドキドキしながら待ち伏せした事も思い出してしまいました。

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48 その2

2013年07月07日 | 家族




ホテルに到着して、軽装に着替えて、


まずはアルトシュタットに言ってみました。


懐かしい日本食のスーパーを過ぎると、


通りは大がかりな工事中でした。


ショッピングモールを過ぎて、ケーニッヒスアレーを過ぎ、



一人で混みに混んだツムユーリゲでアルトビールを飲みました。




土曜日という事もあってか、アルトシュタットはすごい人の波。




そしてライン川の向こうでは、


キルメス(移動遊園地)を準備しているところが見えました。


明日空港に行くときにでも通ってみようかと思ってはいたのですが、


無性に昔住んでいた場所に行ってみたくなって、その足でUバーンに乗りこみました。

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48 〓

2013年07月07日 | 家族

7月6日(土曜)


今朝から同僚と別行動になるので、7:30に一緒に朝食を食べようということにしてたのですが、目が覚めたら8:30でした。目覚ましも2つかけたのに。カーテンを閉めたままで寝てしまったのがいけなかったのです。同僚には詫びましたが、お陰で頭がスッキリしました。でも約束を破ってしまったので自分に罰として朝食を抜きました。そして空港に行く途中のタクシーに乗る時には、既に後悔していました(笑)。お昼のフライトはご多分に漏れず30分ほど遅延。

今日は、私の48回目の誕生日。

昨年の誕生日は、出張先の高知で迎えました。生まれて初めて桂浜に立ち寄ったのでした。

そして今年誕生日を迎えた場所は、デュッセルドルフ。

リヨンから次の目的地までのダイレクトフライトがなかったので、一泊することにしたのです。

2003年に戻ってきてから10年間、一度も立ち寄ることがなかった街です。息子が小学校に入学する2週間ほど前に離れてから月日は経って、息子も高校2年生。光陰矢の如しというにはやはりいろいろあったと思います。ただここで過ごした時間は強烈に私と私たち家族の心の中にあるのです。一人で来ることに少し躊躇はありましたが、この時期に来れるのは何かの縁だと思うことにしました。
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情景

2013年05月27日 | 家族

5月27日(月曜)


同僚から子供の話を聞くたびに、


ああ僕のあの頃と同じ情景を体感してるんだろうなぁ、と思っています。




家族のかけがえのない時間が家族の絆を醸成していく訳ですが、


それは時間の長さではなく、濃さなんだと思います。


幾つになっても子供の事をこんな小さい時の頃と同じように考えてしまいますが、


たぶん自分の両親も息子がいいおっさんになっても


そういう目で見てくれているんだろうなあと、この歳になってそう思います。

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SMILE

2013年04月21日 | 家族

4月21日(日曜)


 


 寒すぎる一日でした。


長野は雪でサッカーJ2の試合が中止になったようです。


なので私は一回も家から外に出ませんでした。


 


「時の過ぎるのが早いか遅いか、


それに気づくこともないような時期に、


人はとりわけて幸福なのである」。


 


ツルゲーネフの言葉だそうです。


たとえばそれは、日々成長する子供の姿だったり、


屈託のない満面の笑顔だったり。


後になって考えてみれば


その時に費やした時間を、早かっただとか長かっただとか言えるけれど


その時は、確かにそんな事を考えていなかった気がする。



でもその「幸福」だった時間は、沢山の笑顔がその空間に溢れていた気がします。


勿論、いろんな事はあったけど、振り返ってみれば「幸福」な時間だったと思います。


 


そして太陽のようにいっぱい浴びた笑顔を、


次は誰かに与えていけるような人になりたいなあ、と思います。


日々の積み重ねが人生を構築していくのであれば


日々の笑顔は絶対にいい人生を構築する大きな要素になるはず。


 


明日天気になあれ。


 

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父親記念日

2013年02月17日 | 家族

2月17日(日曜)


 


一昨日の15日は息子の誕生日。


早生まれなので16歳。


 


ということは自分が父親として新しい役割を与えられることになった記念日にもなるわけで、


そうやって考えると、だんだん図体がでかくなってきた息子の成長の軌跡が、


自分自身に夫という肩書以外のもうひとつの肩書をもった自分の軌跡、


と言っていいのでしょう。


 


そう考えると16年という月日は長いようで短い。


でも16年前の事は昨日の事のように覚えている。


やっぱり、16年という月日は短いようで長いかな。


 


昨日はあまりに寒かったので、買い物に行っただけで外に出なかったが


今日は風は無かったので、ジョギング。


息子は今日学校で練習試合があるというので、そこまで行ってみた。



捻挫しているのに線審をしている息子をちらっと見て、帰路に着く。


そういえば、ちょうど自分が息子と同じくらいの年に


私の父親が、胃潰瘍と十二指腸潰瘍を併発して


出血多量で危なかった事を、急に思い出した。


 


サイクリングロードは、冬ももう後半に近づいてると感じられる陽射し。


そして道端に植えられている梅を見上げたら



梅の蕾が開いていた。


去年の今頃も、そのまた一年前の今頃も、


こうやって蕾が開いて、一年一年が巡り巡っていて、


でも同じ道を毎年通過している訳ではないよね。


この16年間の間にも、梅の花は毎年咲いて、


でもその開花に対して感じる心は、歳を一つずつ重ねても変わらないものと


変わっていっているものがきっとあると思う。


 


でもこんな日を毎年迎えても、


ポジティブできれいなな心でいられるようにしたいと思います。

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