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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

「たて糸」の読書と「よこ糸」の読書

2015年01月10日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)

同業者のなかでも、もっともお世話になってる友人のひとり、北海道砂川市の岩田さんの行っている『1万円選書』が、いまブレイクして大変なことになっています。

大変な話題になっていながらも同業者からは、そのレベルの高さからか「さしあたって自分にはマネできないから関係のないこと」かのように思われがちなところがあります。

そこで、そうした誤解をうまないために、より多くの人に「1万円選書」のすばらしさと価値、これからの書店に応用できるさまざまなヒントがそこに満ちていることを伝えたく、何回かにわけて思いつくところを書いてみます。

 


1、「たて糸」の読書と「よこ糸」の読書


誰が言い出したことか知りませんが、私は東京の「読書のすすめ」の清水克衛さんから聞きました。読書には、「たて糸」の読書と「よこ糸」の読書があるのだと。

今の新刊本屋の店頭の本は、ほとんどが
「よこ糸」の読書によってささえられている商品であるとい
えます。
つまりその多くが、時間とともに市場からも記憶からも消えていってしまう性格の本でなりたっているということです。
それに対して「たて糸」の読書とは、時間が経っても、時代が変わっても、変わることなく生き続ける古典のような本の読書のことです。

岩田さんの「1万円選書」が、ネットサービスの「この本を読んだ人はこんな本も読んでます(買ってます)」といった情報サービスと決定的に違うのは、読書の視点を「広げる」「変える」といったことの他に、この「たて糸」の視点がしっかりと織り込まれていることにあると思います。

この意味で「たて糸」の読書というのは、従来の解釈よりはちょっとだけ深い意味をもってきます。

「1万円選書」を紹介したあるニュース番組のなかで、岩田さんに選書のためにカルテ(読んだ本のリスト)を提出したあるキャスターが、岩田さんから
「あまりいい本を読んでいませんね~」
とあからさまに言われてる場面をみました。
おそらくハウツーもののビジネス書がズラズラとならんでいたのではないかと思います。

こう言うと、ハウツーもののビジネス書や自己啓発書でも、歴史的流れの「たて糸」をふまえた良い本は、たくさんあるではないか、と言われそうです。
ビジネス書の多くは、まさに売るためにはどうしたらよいかを真剣に考え進化し続けている領域なので、「たて糸」の知恵もたくさん取り込まれていそうなものですが、
個々の本の分析や評価の問題を抜きにしても、それが10年後、20年後に残るかどうかを想像すれば、だれもがおよその見当はつくと思います。
つまり、その本を読んで成功したビジネスそのものが、10年後、20年後にはほとんど無くなっているからです。

では、すでに古典となっている哲学や思想、文学、経済学などの本以外で、「たて糸」の読書になるような本とは、どのような本のことなのでしょうか。
『1万円選書』を紹介したテレビ映像のなかに、時々梱包包装している本がチラリとうつってました。

まず目についたのが、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)です。
おそらくこの本など、相当な人に岩田さんは売ってるはずです。
まさにこれこそ「たて糸」の本の代表です。 

 

この本の他でわたしが「たて糸」の本としていま思い浮かぶのは、
石牟礼道子の『苦海浄土』三部作です。
水俣病という現実を素材し取り上げていながら、安易に政治的断罪にはしることなく、そこに暮らす漁民たちの歴史や風土、民俗が見事に織り込まれています。

ふたりとも九州の熊本周辺で活躍されて交遊もあるので、この組み合わせではちょっと偏りすぎですか?
まあ、とりあえずの例としてですが、この二人の作家は、まだ読んでいない方がいれば絶対おすすめです。

考えてみれば、ロングセラーリストや古今東西の名著を紹介したものはいろいろあります。
それらに対して「たて糸」の読書としてもし本を現代の視点でリストアップしたならば、そうとうビシッとした本のリストが出来上がるような気がしますね。

そうだそうだと話がそのまま進めば良いのですが、

・・・ところが現実は、です。

それらの商品では市場が支えられないからこそ、棚から消えて、出版社の企画からも外されてきたのではないか。というのが、これまでの業界の常識です。

ひと際、日本の出版市場は、まさに諸外国と比べて雑誌とコミック、それと新刊依存度が高いので、圧倒的に「よこ糸」の読書によって支えられ牽引されつづけてきたといえます。

もちろん、すべての人がそれを良い事として選んでいたわけではなく、「たて糸」の読書を大事にしようと思っても、読みにくい、わかりにくいなどの要因とからんで「売れない」という現実が、「よこ糸」偏重を選択せざるをえなかったともいえます。

本の世界に限ったことではありませんが、右肩上がりに市場規模(人口)が拡大していた時代であれば、そのように「よこ糸」のみに依存していてもなんら問題を感じることもなかったかもしれません。
もし可能であれば、その「よこ糸」偏重でも長年育ててきた大事な財産ではあるので、まだまだ維持し残していくべきでしょう。 

ところが市場が縮小し続ける時代になると、これこそが縮小し続ける出版市場の首を自ら絞めている原因になっているということが逆に浮き彫りになってきているのです。

 「よこ糸」偏重では、これからの時代に「強い」社会は絶対につくれなくなってきています。

むしろ「たて糸」を強調したほうが、手間がかかるように見えながらも実は楽な時代になりだしていると思うのです。

 

 


そもそもタテ糸とヨコ糸は、なぜ両方必要なのでしょうか。

誤解されたくはないのですが、今の時代、「たて糸」が大事で、「よこ糸」は必要ないと言っているのではありません。

ここで強調したいのは第一に、ここ数十年の歴史があまりにも「よこ糸」のみに依存し、「たて糸」を放棄しつづけてきた異常性を問題にしたいのです。
「たて糸」の面倒なしがらみを出来うる限り断ち切り、より自由に動き回れる商品や人(労働力)を増やすことこそが、売上げ増のいままでの鉄則でした。
数少ない「成功?」モデルの超大型店の乱立も、実態はヨコ糸偏重の弱い経営体質のまま規模の拡大のみで数字をつけているにすぎません。

第二には、この「よこ糸」と「たて糸」をパーソナルな環境や意識にあわせて一本一本、手間をかけて織り込んで行く作業にこそ、読書の本来のダイナミズムと本のパワーを発揮するビジネスの面白さがあるのだということです。

わたしたちは、このような「たて糸」を意識することではじめて、昨日読んだ本すらも忘れてしまう新刊情報の渦のなかで、どんなに市場性の低い変な本であっても、その固有の価値を位置づけ意味あるものにして残し伝えつづけることが可能になるのではないかと思います。

一見「くず糸」のようなもの、均質さを欠いた玉のようなふくらみのある糸や「まだら色」の糸、それらは「たて糸」のなかに丁寧に一本一本織り込むまれるとではじめて、美しい風合いと生地の強さを生み出すことができます。
また、こうすることで、ただ消えて行く運命だった「よこ糸」を意味あるものとして末永く残すことも可能になるわけです。

 

 

 

「よこ糸」の「商品」をただ拡大生産して消費するだけの読書から、「人類の資産」である「たて糸」を活かして、そこに「よこ糸」を一本一本織り込む作業で、さらに私たちの「あたらしい資産を生む」ことができます。

そのような活動が書店を通じて、いま求められており、現実にあちこちで生まれだしているのではないかと思うのです。

もう少し別の言い方をすれば、読者を「消費者」としてだけしか見れない「よこ糸」のみの経営タイプ。

本をつうじて情報と情報、人と人をつなぐように、「たて糸」を織り込んでいくのがこれからの自分のなかの「資産」や地域の「資産」をためていく、地域に生き残る価値のある本屋の仕事であると感じられるタイプです。

それは、一書店員のパーソナルなそれぞれの視点を活かし、個々の読者のパーソナルな領域にも踏み込むこと、自分をさらけ出すことを恐れたり、個人情報云々を不要に気にすることなく踏み込むことでこそ、周辺にあまた存在する「沈黙の読者たち」を巻き込んでいけるようになるのだと思います。

それを知るにはこんな長い文章で語るより、できれば岩田さんと特定ののお客さんとの「顧客カルテ」を通じた具体的な生々しいやり取りを見た方が、はるかに説得力があるのですが、個人情報の問題と岩田さんの営業秘密の問題で、残念ながらそれはかないません。

例えば、ですが、

岩田さんは一時、孫が出来たころ、それはもう孫にベタベタで、わたしが遠くから見ていて、もう本屋の仕事など興味がなくなってしまったんじゃないかと思えるほどでした(笑)。

そんな岩田さんのところへ、最近、大好きなおじいちゃんを亡くしてしまった孫をかかえたあるお母さんから「1万円選書」の依頼が届きます。 
自分も孫が可愛くて可愛くてしょうがない立場なので、自分がそのじじに代わって孫へのクリスマスプレゼントとして本を選んであげます。

その孫のことを思って自分が1万円分、プレゼントの本を選ぶとしたら・・・

その孫へ亡くなったじじの思いを自分が代わりに天国から伝えてやるとしたら・・・

そんな関係がひとつひとつの出会いからはじまるわけです。

こんな仕事なら、能力の問題じゃなくて、
本屋なら、誰もがやってみたいと思うでしょう。 

 

岩田さんのように、どんな分野でも縦横無尽に本をセレクトすることは、確かに誰でもマネできることではないかもしれません。

でも、目の前にあらわれた一人の読者と自分がどのような関係をつくれるのか、本を通じて何が表現出来るのか、伝をえられるのかを考えることは、 日々の雑務から自らの天職の喜びを思い起こさせてくれる最高の財産につながることと思います。

「モノ」としての本を「消費者」に届ける毎日ではなく、記憶に残る体験としての本が地域に循環するような仕事、それは、ほんの少しでも出来ただけでどんなに素晴らしいことかと思います。 

 そんなようなことを岩田さんの「1万円選書」は考えさせてくれています。

 

また別の角度からいえば、自分自身にとっての「よこ糸」とは、他人との比較で見る世界であり、自分自身にとっての「たて糸」とは、昨日の自分との比較であるともいえます。
個人の生き方や経営の姿など、どんな場合をみても、自分を変えることを棚上げにしたまま他人との比較ばかりに走ってしまうのが常です。 
 

「たて糸」も「よこ糸」も、どちらも大事であることに変わりはありませんが、自分を変えることを棚上げにしたままいくら「よこ糸」をかき集めても、何かことを成し遂げことはありえないと思います。

本来は「読書」こそが、そうしたことを私たちに気づかせてくれるものに違いないと思うのですが。

 

 

 

 補足 

 古典を読むことの意義については言うまでもないことかもしれませんが、
最近出た本、
出口治明『本の「使い方」1万冊を血肉にした方法』角川oneテーマ 
で、この「たて糸」の読書にも通じる視点を得てとても触発されました。 


本文では終盤になって「資産」という言葉が出てきましたが、そこで、次回には、
「経営のたて糸とよこ糸」といったようなことについて書いてみます。

 

 

 

 関連ページ 

「たて糸」を断ち切りひらすら「よこ糸」のみをかき集めてきた時代

2、「読書」は本来、(どくしょ)ではなく(よみかき)です

3、数字が如実に示すネット時代に生き残れる業界の姿

4、もう一つの「不滅の共和国」 「野生」の側にある本と本屋の本分

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