英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

横綱白鵬はもっと人間を磨かなければならない 調査結果に思う

2017年12月22日 21時53分18秒 | スポーツ
 私は日本相撲協会の危機管理委員会が20日に公表した調査結果の概要を新聞で読み、横綱白鵬はもっと人間を磨かなければならないと思った。
 日馬冨士殴打事件の発端は秋場所中に東京・錦糸町のバーで、貴ノ岩が元幕内の先輩力士らと口論になったことがきっかけだという。この場で、酔っていた貴ノ岩が「俺は1月場所で横綱にも勝っている」「これからは俺たちの時代だ」と元幕内の先輩力士や白鵬のモンゴル人の友人に言い放った。この友人が貴の岩と言い合いになり、後日、白鵬に貴ノ岩の発言を伝えた。
 この出来事から約1カ月後、鳥取巡業を控えた10月25日夜、地元の高校関係者と白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱、同校OBの照ノ富士、貴ノ岩、石浦の関取衆3人ら計13人が食事会を開いた。
 食事会の終盤、白鵬が貴ノ岩に9月場所中の件に触れ、「だいぶん偉そうだったそうじゃないか。これからは俺たちの時代だと言ったそうじゃないか」とモンゴル語でとがめた。貴ノ岩はこれを否定し、日馬富士が間に入ってかばったため、その場は収まった。ただいずれもモンゴル語だったこともあり、同席した日本人には内容が理解ができなかった。
 一次会が終わり、午後11時過ぎから翌26日午前2時ごろまで、高校関係者のなじみのラウンジの個室で2次会が開かれた。その後の詳細は、何度もテレビなどの番組で報道されているので割愛する。
 私は、11月27日のブログ「日本人の考え方で公言してよいのか」と九州場所千秋楽での白鵬の優勝インタビューの発言を擁護した。この中で白鵬が「日馬富士関と(殴られたとされる)貴ノ岩関を再びこの土俵に上げてあげたい」と話し、観衆に万歳三唱を促した。この行動は日本人とモンゴル人の文化やメンタリティー、国民性の相違から来ているのではないかと論じた。
 白鵬の千秋楽発言をめぐって、私は11月27日付のブログの内容を訂正するつもりはない。しかし、貴の岩の錦糸町発言をめぐる白鵬の発言は文化や国民性の違いを超えた問題だ。これは白鵬の度量と人間性の問題だと思う。白鵬の人間性を垣間見る。「だいぶん偉そうだったそうじゃないか」と貴の岩に本当に言ったのなら、それは感情論であり説教ではない。
 白鵬は雅量の大きさを示すべきだった。貴の岩の発言を聞き流し、「おまえの言うように、私はいつか土俵を去っていくだろう。これからは君らの時代かもしれない。ただその発言が、私に勝ったことによるおごりから来ているのなら、君は反省しなければならない。謙虚であれと自覚しろ」とでも言えばよかった。しかし「偉そうな」と言ってしまってはどうしようもない。
 白鵬の立ち合いがこの1~2年、よくない。張り手を使い、肘でかち上げたりしている。勝つことを最優先している。また全盛期でなくなった証だ。
横綱は全盛期を過ぎていても、正々堂々と正面からきれいな相撲をするよう皆から期待される。それが横綱の品格だ。それができなくなれば引退する。
 白鵬は一次会で「50回は優勝する」と話したという。この言葉に彼の気持ちのすべてが現れていると思う。白鵬にとって相撲はスポーツなのだ。神事ではない。この考えに対し、相撲道とは何かという確固とした考えを抱いている貴乃花親方が白鵬を嫌っているのもうなずける。
 私は白鵬が勝ちにこだわって「張り手」など使わず、相手を正面から受け止め、堂々と横綱相撲で勝つかという日本精神を学んでほしい。
 異国の文化や国民性を理解し、それを自らの精神に昇華するのはまことに難しい。しかし白鵬はそれをやらなければならない。それを完全に自分のものにしたとき、彼は品格ある大横綱として後生に伝えられるだろう。それができなければ引退することを勧める。