英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

相撲は存続の岐路にある  貴乃花親方の降格処分に思う

2017年12月29日 21時10分58秒 | スポーツ
 日本相撲協会は、巡業部長でありながら巡業中に起きた元横綱日馬富士による暴行を協会に報告せず、協会の調査にも協力しなかった貴乃花親方(元横綱)の理事解任を求める方針を全会一致で決議した。2階級降格で役員待遇となる。協会の懲戒は7段階に分かれ、軽い順からけん責、報酬減額、出場停止、業務停止、降格、引退勧告、解雇。来年1月4日の臨時評議員会であらためて協議を行い、正式決定する。貴乃花親方は初場所後に行われる次の役員候補選挙には立候補できる。
 私は、貴乃花親方がいかなる理由があろうとも組織人として、鳥取県警に弟子の貴の岩の被害届けを出した直後、巡業部長の職責を遂行するため協会に報告すべきだったと信じる。大相撲協会に報告を鳥取県警に要請したからといって、それが貴乃花親方の報告にならない。
 また貴乃花親方が「捜査の障害になるから協会の聴取要請に応じない」というのも合理的ではない。警察が「支障はない」と協会幹部と貴乃花に言った時点で、応じるべきだった。「協会に協力すれば、真実が隠蔽されるおそれがあるから協力しないのかとの協会側の質問に対し、「そうではない」と述べたという。私には親方の原稿が理解不能で、どこかの宗教教祖のように自分だけの信念に生きているようにしか思えない。
 一方、協会の最高地位にある八角理事長が今回の騒動に関し、下から2番目の報酬減額の処罰を受け、一理事に過ぎない貴乃花親方が、理事長よりも重い処分になったことは合点がいかない。ましてや現場にいて直ぐに止めに入らなかった横綱の白鵬や鶴竜は少なくとも二場所出場停止処分にしなければバランスを欠く。現場にいなかった貴乃花親方にも、監督責任という点で非はあるが、これでは協会側が”反乱分子”の貴乃花をいじめているようにしか映らない。
 最も重い責任をとる立場にある八角理事長は報酬を減額するのではなく、来年2月の理事長選挙には立候補しないと公表し、事実上の辞任表明をすべきだった。これでは「協会のガバナンスを維持できない」と言って貴乃花親方に厳罰処分をした協会側が自ら「ガバナンス」に基づく行動をとっていない。
 私は協会への報告義務や協力をめぐって貴乃花の言動について理解できないが、彼の相撲協会改革には理解できる。
 夕刊フジによれば、貴乃花親方は、角界にはびこる「暴力」や、モンゴル力士会の「なれ合い」について「あれはダメだ」と強く批判してきたという。
 貴乃花親方は、部屋の福岡県・田川後援会長にこう話す。「暴力があると、将来的に若い力士が相撲界に入ってこない。ちびっこ相撲にも力を入れている親方としては、若い者を育てるには暴力沙汰は絶対にいけないと考えている。暴力問題が発覚したら、力士になりたくても親が反対するやないですか。そういうことを一番思っていた」
 またモンゴル力士会についても「モンゴルの力士会、あれはなれ合いになるからダメだ」と話したという。田川後援会長は「この発言を、八百長がなくても一般の人には八百長に見えてしまうっていうことじゃないかと受け止めた」と語る。
 「暴力」と「モンゴル力士会」の両方を危惧していたという貴乃花親方は、日馬富士が弟子の貴ノ岩にけがを負わせたことを、自らの相撲道哲学から、決して許せなかったのかもしれない。
 この「なれあい発言」を裏付ける事実がある。この事件が発覚する約2週間前の10月31日にモンゴルで放送されたテレビ番組「モンゴル民族の100人の偉人」で、朝青龍は白鵬に「チャンスがあるなら(日本人ではなく)別のモンゴル人を成功させるんだぞ。モンゴルの仲間に可能性を開いてあげるんだ」と強調した。さらにこう続けた。「“他人の犬を育てるよりは、自分の犬を育てろ”と言うだろう」
 この発言は、モンゴルの諺(ことわざ)で「身内を利する行動をとれ」という意味だという。他のモンゴル力士に優勝のチャンスを与えるよう“八百長”を促したと受け取られかねない発言だ。
 貴乃花親方は日本の伝統に基づく相撲に戻れと考えているのだろう。これに対して、興業を重視する協会側は、たとえ外国人でも白鵬のような強い横綱を欲するのだろう。
 「かわいがり」など相撲の世界だけにしか通用しない”常識”や、相撲という肉体の激しいぶつかり合いを基本にする格闘技は、日本社会が裕福になるにつれ、数十年前から日本の若者から敬遠されてきた。そして少子高齢化の到来。これにより、相撲協会はこの伝統技の存続を図るため、外国人力士を入れてきたが、「親方になるには日本国籍が必要だ」と力説する。これを白鵬は問題視し、モンゴルのテレビで番組で不満を口にした。
 私は貴乃花親方が守ろうとする「相撲道」を、外国人力士が理解できるはずがないと確信する。それは日本の伝統や文化に由来しているからだ。外国人力士として初めて1964年に初土俵を踏んだハワイ出身の高見山から多くの外国人が土俵を踏んだ。しかし徒党を組むほど同じ国籍の力士はいなかった。
 現在、モンゴル出身力士は徒党を組むほど多い。モンゴル本国の若者は日本でお金を儲け、一旗揚げる気持ちで力士になりたいという。モンゴルと日本の経済格差は極めて大きい。そして人間の業だが、習性として群れる。日本人が英国の英語学校で群れているのを、私は見ている。モンゴル人とて同じだ。
 大相撲は現在、岐路に立たされていると思う。大相撲協会は、伝統の維持と外国人力士の増大の矛盾に揺れる。彼らは日本の伝統を下敷きとした国技である相撲を真に理解するのが難しいと思う。これから半世紀後には外国人力士がいなくては相撲興行が成立しなくなるかもしれない。
 国技といわれる相撲を今後、どうするのか。いかに改革するのか。いかに現代にマッチした形にするのか。国技ではなく、サッカーのような国際スポーツにするのか。それとも、極論だが、「始めあれば終わりあり」という格言通り、相撲にさよならするのか。相撲協会と日本人はこの問題を突きつけられていると思う。