英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

選手は「横並び」意識の日本人でなくなった  ラグビーW杯のスコットランド勝利を見て     

2019年10月14日 20時50分26秒 | スポーツ
      ラグビーの第9回ワールドカップで、日本チームの快進撃がとまらない。日本が13日に横浜国際競技場で、強豪スコットランドを28-21で勝った。これで日本は1次リーグ4戦全勝でA組1位となり、初の決勝トーナメント(8強)に進出した。
  大げさに言えば、日本国中が沸きに沸いた。最後の15分の攻防は凄まじかった。必死で攻めるスコットランド。これに対して、必死で守る日本。その攻防は日本と世界に感動を呼んだ。
  日本の各選手は、前任者のジューンズ前ヘッドコーチ(現在のイングランド指揮官)の就任から8年の歳月をへて、ようやくラグビーの極意を会得した。それは「自ら考え判断する」ことである。
  4年前の2015年11月1日、私は南アフリカを撃破したジョーンズ前ヘッドコーチの日本チームからの退任会見についてブログに書き込んだ。その際、彼のコメントを引用した。
  ジョーンズヘッドコーチは「出る杭は打たれる、という言葉が日本のスポーツを表している」と話した。私は彼の発言の真意を記した。「日本人は『横並び』を重視する国民である。ジョーンズヘッドコーチが発言した『出る杭は打たれる』と『横並び意識の国民』は同義語である。この国民性を別の形で言えば、TBS番組が取り上げた『風を読む』の主題『物言えぬ空気』につながる」
  ジョーンズ氏は就任当初をふり返り、選手は質問されないようミーティングで下を向いていたが、次第に顔を上げてHCを見るようになり、議論をするようになったと語っている。
 議論は当然「あつれき」を生む。異なった議論がぶつかり合い、激しい論争になることもある。しかし、相手の意見を尊重しながら、自らの意見を述べ、相互がその精神で議論するかぎり、譲歩が生まれ、新しい、魅力的な結論が導かれる可能性が大きい。
  日本のラグビー選手はようやく日本人の国民性を卒業し、イングランドやスコットランドなど英連合王国とかつての英帝国の仲間入りを果たした。つまり、英連邦の強豪チームと肩を並べたと信じる。たとえ肩を並べていなくても、並べようとしている。それは英国人の国民性を会得したということだ。
  ラグビーは1823年、イングランドの有名なパブリックスクールのラグビー校でのサッカー(フットボール)の試合中、ウィリアム・ウェッブ・エリス青年がボールを抱えたまま相手のゴール目指して走り出したことだとされている。
  ラグビーの誕生後、英国の指導者を養成するパブリックスクールで盛んになった。この点で、ストリートで生まれたサッカーとは違う。サッカーが庶民(労働者階級)のスポーツとして発展したように、ラグビーは指導者階級(中産階級以上)のスポーツとして育まれていった。今日では、このような明確な線引きがなくなってきたといえども、その歴史的な伝統がある。
  野球やサッカーで、監督はグランドで指揮をとる。しかしラグビーでは、ヘッドコーチ(監督の相当)はスタンドの高い場所に陣取り、ゲームの推移を見守る。ヘッドコーチは選手がグラウンドに上がるまでは直接アドバイスできるが、選手がいったんグラウンドに上がれば、人を介してしか助言できない。選手自身が瞬時の試合の流れを的確に判断してゲームを進めていかなければならない。そうしなければ勝てない。
  そこが野球やサッカーと違う。野球やサッカーでは、監督が選手にアドバイスするというよりも命令し指示する。監督がゲームを支配する。選手は監督の命令に従ってゲームを進める。
  指導者を養成するパブリックスクールは、オックスフォードやケンブリッジ、ロンドンなどの伝統ある大学へとつながる。パブリックスクールの先生方は、ラグビーを通して生徒の独立心、判断力、思考力、決断力、リスクを恐れぬ勇気、体力など、指導者にとって不可欠な能力を育てている。
  ラグビーの指揮官を監督とは呼ばずに、ヘッドコーチと呼ぶ。それは指揮命令する人物ではないということを示唆している。あくまでアドバイスする人物だ。選手は服従する姿勢を教わるのではなく、協力と団結力を求められる。
  「横並び」の空気が強い日本の学校や社会では、異見を封じる「いじめ」を生む。突出した“おかしな異見”を嘲り、嘲らないまでも、多数の意見や行動と違った“おかしな”ことをした人間をいじめる。「横並び」と「指揮官の命令を忠実に実行する」意識がある国では、ラグビーは強くはならないと断言する。
   小中学校で、先生が教壇から生徒を見下ろして教える国からは、ラグビー精神は生まれない。英国の小学校はともかく、パブリックスクールやセカンダリースクールでは、先生は教壇を降り、生徒の議論の輪に入り、結論へと導くアドバイスをする。それはラグビーのヘッドコーチも同じだ。
   ラグビーは英国人(イングランド、スコットランド、ウェールズ)と旧英帝国の白人国家であるニュージーランドやオーストラリアなどの教育と議論を重んじる民主主義制度を体現している。
   日本代表でプレーする具智元選手の母国の韓国人も、10年前の日本人と同じように、ラグビーに興味がない。日本でラグビーW杯が開催されることさえも知らなかった人がほとんどだという。 そうなれば日本代表でプレーする具智元選手のことさえも知るはずがない。
   韓国人も日本人以上に「横並び」の国民だからだと思う。日韓関係の悪化から、今まで大挙日本に押し寄せていた韓国人観光客はこなくなった。「こんな事態の中で、自分が日本へ観光に行ったら何をいわれるか分からない」と大多数の韓国人はテレビ報道で言う。韓国人の国民性がラグビーを遠ざけている。
   最近の日本でのラグビー人気が、日本人の性格を変えていく一助になればと思う。でも、日本のラグビー代表選手と韓国の具智元選手だけはそれぞれの国の「横並び意識」から脱却し、「独立心と判断力」などを持った人間に生まれ変わったのではないだろうか。

(写真)騎士道精神を持ったスコットランド選手がグランドから去っていく日本人選手を拍手で見送る。敗者は勝者を褒める。武士道精神と騎士道精神は一脈通ずるものがあるようだ。