英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

日本の民主主義制度の前途に暗雲が垂れ込めている        7月29日付朝日新聞社説を読んで   

2018年07月29日 14時00分41秒 | 民主主義とポピュリズム
 「わたしたちの現在地 深まる危機に目を凝らす」の見だして始まる29日付朝日新聞の社説を読んで、現在の日本社会や日本政治の状況にますます危機感を感じる。
日本人は先人が苦労して築き上げてきた「民主主義制度」の中に甘んじるているようだ。彼らは現在、何も考えなくなり、何の疑問を持たなくなり、指導者に唯々諾々と従っている。現状に満足しているからだろうか。
官僚は国民の木鐸の意識がなくなり、指導者に忠実に従い、その上、指導者の気持ちを忖度して行動するようになった。指導者や官僚は、高校生でもわかる嘘をつき、平然としている。
 形骸化された民主主義社会には、権威主義的な指導者が現れるか、オリガーキー(寡頭政治)になりやすい。
 安倍晋三首相は権威主義指導者だ。彼はイエスマンを好み、異論者を嫌う。言論の自由を認めるが、議論を好まない。煙たい政治家を閣内に入れたがらない。
一方、野党は議論に値しない批判ばかりを展開し、重箱の隅をつついている。議論ができないのだ。それがリーダーを利しているとは思っていない。有権者の信頼を失っているとは思っていない。
 24年前、伊東正義(1913~1994)という自民党の政治家が亡くなった。この政治家は1989年、リクルート事件で辞任した竹下登の後継総裁に推されたが、「本の表紙を変えても、中身を変えなければ駄目だ」と総裁就任を頑なに固辞した。
自民党は世論の猛烈な批判を受け、党勢立て直しのために清廉潔白な伊東を立てた。首相を固辞した理由には、持病の糖尿病の悪化もあったが、竹下らが「経綸を実行」させてくれるかどうか信用できないという。いずれにしても自らの政治信念に生きた。
 日本の政界を見渡しても、伊東のような政治家はいない。自分のことだけを考え、国民のことなど一顧だにしない政治家があふれている。この四半世紀にわたる政治土壌の変化の中で、安倍首相が出現した。彼は独裁者ではないが、権威主義者だ。権威主義者の後に独裁者が現れるかもしれない。日本には、独裁者が現れる土壌がないと信じているうちに、中国のような独裁体制が敷かれる可能性がある。その時、言論や出版、結社の自由がなくなり、国民は初めて自由の尊さを知るだろう。
 朝日の社説の冒頭に、こう書いている。「うその答弁に文書の改ざん、言いのがれ、開き直り――。民主主義をなり立たせる最低限のルールも倫理もない、異常な国会が幕を閉じて1週間になる。豪雨被害、そして酷暑に人々の関心は移り、不都合なもろもろを、このままなかったことにしてしまおうという為政者の思惑が、少しずつ、しかし着実に世の中を覆っていく。私たちの日本社会はいま、危うく、きわどい地点にさしかかっているのではないか」
 民主主義制度下の国民が羊のように主人に従うようになったとき、その制度を軽視しはじめるようになったとき、無関心になり始めたとき、自由と民主主義の危機が訪れる。野党がだらしないのだが、もう一度、読者は「民主主義とは何か」を問うてほしい。何事にも好奇心を持ってほしい。それは現状の政治への猜疑心だ。猜疑心は決して悪いことではない。朝日の社説を掲載する。特に20代、30代の若者に読んでほしいと願う。

   https://www.asahi.com/articles/DA3S13611561.html



  写真:生前の伊東正義