hiyamizu's blog

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松本侑子『みすゞと雅輔』を読む

2020年06月20日 | 読書2

松本侑子著『みすゞと雅輔(がすけ)』(2017年3月1日新潮社発行)を読んだ。

 

新潮社の本書紹介サイトにおける松本侑子による紹介記事

大正デモクラシーに咲いた一輪の花、金子みすゞ

 

 みすゞの詩は、東日本大震災の後、テレビで流れた「こだまでしょうか」、そして平成に入って教科書に載るようになった「私と小鳥と鈴と」、「大漁」などが知られている。
 拙作『みすゞと雅輔』は、弟の上山雅輔(本名・上山正祐)から見た、みすゞとその生涯、詩作の背景と情熱を、伝記小説として書いたものだ。
 雅輔は、幼い頃に、金子家から上山家へ養子に出たため、みすゞを姉とは知らず、十代で親しくなる。二人は共に本屋の子であり、文学を語り、愛憎入り混った友となる。みすゞが妻となり母となると、雅輔は菊池寛の文藝春秋社に入り、古川ロッパの下で編集者として働きながら、みすゞと文通を続けるが、姉は二十六歳で自殺する。ロッパが役者に転身すると、戦前から戦中は脚本家として「昭和の喜劇王」の舞台を支え、戦後、ロッパ一座が解散すると、劇団若草を主宰し、坂上忍、吉岡秀隆など、五千人の俳優を育てる。
 その雅輔の直筆資料が、彼の没後から二十五年たった2014年、四国で見つかった。現地で調査したところ、みすゞと交遊した大正十年から最晩年の平成元年まで、約七十年にわたる膨大な日記と回想録があり、三年かけて読解した。みすゞの自殺の背景(芥川の自死に影響を受け、結婚前から死に憧れていた)など、多くの新事実が判明した。みすゞの夫の親族、みすゞの娘に会い、知られざる実像もうかがった。

以下略

 

金子みすゞ: 1930(昭和5)年3月10日26歳で自殺。金子テル。現長門市先崎生れ。

上山雅輔(かみやま・がすけ):少年時代は正祐(まさすけ)。映画評論を書くようになった24歳から雅輔となった。実母は金子ミチ(フジの姉)。

上山松蔵:雅輔の父。一代で大書店・上山文英堂を築いた働き者。店員には厳しいが、息子には甘い。フジの後添えに正祐の実母ミチを迎える。

上山フジ:正祐の育ての母。金子ミチの妹。雅輔が中学生の時、病死。

金子堅助:みすゞの兄。

宮田敬一:上山文英堂の商売上手、根性ある店員。テルと結婚する。

ㇿッパ:古川郁郎。加藤男爵の6男で、古川家へ養子。映画雑誌「映画世界」を編集・発行。後の喜劇王。

深山容子:戦後に劇団若草を立ち上げた才女。正祐の初めての恋人で同棲。

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

興味深く読んだが、冗長だ。

 

金子みすゞが何故自死したか知りたかったが、たぶんそうだろうという理由は解った。

子どもを元夫に取られてしまう危機が直接的動機で、童謡詩が流行らなくなり投稿雑誌が無くなり、敬愛する西條八十がパリへ去って大人向け詩などに転向したことが間接的動機のようだ。

 

金子みすゞの生涯の凡そは解ったが、大部分を占めるのは弟・上山雅輔(正祐)なるたいして魅力のない人物の記述で、この部分は冗長だ。父・松蔵の飴と鞭にすぐに懐柔され、何かというと自堕落な生活におぼれるのはあまりにも情けない。

さらに、西條八十のよく知られた童謡(詩)などみすゞ以外の詩、歌の掲載が多く、冗長だ。

 

 

松本侑子(まつもと・ゆうこ)

1963年出雲市生まれ。筑波大学卒、政治学専攻。

テレビ朝日系列「ニュースステーション」出演をへて

1987年『巨食症の明けない夜明け』(集英社文庫)ですばる文学賞

1990年『偽りのマリリン・モンロー』が野間文芸新人賞候補

2008年NHK教育TV「赤毛のアン」英語番組で講師、テキスト全3冊を執筆

2010年評伝小説『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』で新田次郎文学賞受賞

2013年『赤毛のアンのプリンス・エドワード島紀行』が全国学校図書館協議会選定図書

他に、幕末維新小説『島燃ゆ 隠岐騒動』『春の小夜』など。

英検1級。村岡花子訳『赤毛のアン』は名訳だが省略がある。松本侑子さんは、英米文学からの引用を詳解した全文訳『赤毛のアン』の翻訳本を出した。

松本さんは、離婚経験があり、今はパートナーと事実婚をしている。(フリーランスの戸籍名変更は大変だった。)

わたしは初婚の時、遠距離恋愛で彼の暮らし振りを全然見ずに結婚して失敗しました。だから、恋愛中もお互いの生活態度をよく見ることが大切だと痛感しています。恋愛は家の外でもできるけど、結婚は家の中で衣食住をともにすることが主になってくる、という点で違いがあります。

恋愛と自立の幸福論 松本侑子さんインタビュー

 

 

「講談社」のもとなったのは「大日本雄弁会」。雑誌「講談倶楽部」を創刊して講談社へ。古めかしい名前だというイメージはなかったが、考えていれば、「講談」なのだから古めかしい名前なのだったのだ。

金子みすゞの詩、3編

大漁

朝焼小焼だ / 大漁だ / 大羽鰮(おおばいわし)の / 大漁だ。

浜は祭りの / ようだけど / 海のなかでは / 何万の / 鰮のとむらい / するだろう

 

私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても

お空はちっとも飛べないが、

飛べる小鳥は私のように、

地面(じべた)を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、

きれいな音は出ないけど、

あの鳴る鈴は私のように、

たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私。

 

みんなちがって、みんないい。

 

こだまでしょうか  (本書には掲載されていなかったと思うが? 東日本大震災の時のACジャパンのCM)

 

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「もう遊ばない」っていう。

 そして、あとで
 さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

 

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