hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

善福寺公園へ

2024年02月17日 | 散歩

 

この辺りは、多摩川が東京湾に流入してできた隆起扇状地だ。西側はほぼ平坦な武蔵野台地で、東側は起伏に富んだ丘陵になっている。善福寺池は、三宝寺池、妙正寺池、井の頭池と共に武蔵野台地の東側にあり、地底や水辺からの湧水によってできた池だ。

善福寺の名称は、昔丘の西側に善福寺・万福寺という寺があったためともいわれている。ここは、交通の便に恵まれなかったために、自然景観が良く保存されていた。

それにしても汚い案内板だ。ぞうきんを持って来て、ゴシゴシやりたい!

 

西荻窪駅北口の女子大通りを北西に進み、東京女子大の塀の東側をそのまま北へ進むと善福寺公園にぶつかる。

散歩コースは、下図の矢印のように、下の池の西側を回って、そのまま公園の西側を北へ進み、バス通りを横断して、上の池を右廻りして、また下の池に戻った。

 

下の池の西側は高い木が乱立している。幹がデコボコで、高さ50mになることもあるという、多分メタセコイアだろう。

 

下の池のヨシやマコモは枯れていた。

 

2009年8月には、下の写真のようにスイレンが一杯で、

白とピンクの花も咲いていた。

 

下の池の北端は(赤の矢印)、トンネルで上の池から水が流れてくる。

 

上の池と下の池を結ぶ水路(遅野井川)は、子供たちが遊ぶ水路として整備されている。

 

水もきれいだ。

 

 

下の池から上の池に行くには、間のバス道路を横切る。

 

上の池も風で立つさざ波の音が聞こえるような静けさ。

 

ここも都立公園なので、思い出ベンチがあった。

 

善福寺川源流 遅野井湧水の碑

遅の井の瀧。源頼朝が奥州征討を終えてこの地に着いた時、干ばつで軍勢が苦しんだ。頼朝は弁財天に祈り、弓で7箇所を掘った。軍勢は水の湧くのが遅い、遅い井と言った。その時、忽然として水が湧きだした。
現在はポンプで水をくみ上げて、滝の形で復元している。

 

 

上の池は枯れた水草が一杯。

 

昨年10月には、下の写真のように水草(アサザ(浅沙、阿佐佐)?)で覆われ、

黄色い花が咲いていた。

 

この後、下の池に戻り、女子大通りを延々と西荻の駅まで戻り、くたびれきった。

 

 

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2 コメント

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Unknown (tsubone)
2024-02-17 18:46:44
善福寺公園に頼朝ゆかりのものがあるとは!
ちーっとも知らずに散策していました。
野鳥がたくさんいるので兄代わりの鳥爺はここか石神井公園で写真を撮ってます。
いいところですよね。
冷水さんとすれ違っているかもですね。
返信する
tsuboneさま (冷水俊頼)
2024-02-18 07:03:51
武蔵野台地の外れなので、どこでも突けば水が出て来たんじゃないですかねって、思ってしまいますが。
井の頭公園と違って不便なところにあるので、人が少ないのがいいですね。
確かに鳥のマークがある場所で、おじさん達が立派なカメラを持ってじっと待っていました。残念ながら傍に女性はいませんでした。
返信する

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