「コンサート自由の風の歌」を四谷区民ホールで聞いた。7月17日のことだ。
このコンサートの入場料は破格の2000円だが、卒業式などで国家斉唱のとき起立しなかったり、ピアノの伴奏をしなかったため処分された教職員の裁判を支援するために使われる。*1
昨年も開催されて、ブログを書いたのが6月15日で、「これで最後になりそうだという。残念だ。」とあるが、今年も開催された。
今年の会場は四谷区民ホール。新宿御苑入口のすぐそばにある。
9階に上がると、新宿御苑が一望だ。代々木のドコモのビル(塔)も見える。
今回も、集まった人は50歳以上と思われる女性が圧倒的で、いかにも教師といった地味な服装の人が多い。
今回のサブタイトルは、「百年の氷、溶けよ!」で、今年が日韓併合100年にあたるためだ。*2 このため、演奏曲も朝鮮のものが多かった。
オープニングは林光さん*3 のピアノでバッハの「前奏曲とフーガ ハ長調」。
林さんは、パンフレットに、
と書いている。バッハは単調で、堅苦しく、私もけして好きとはいえない。しかし、のんびり、静かに聞いていると、いつのまにかぴったりきている。この曲は明るく、コンサートの序曲としてふさわしい曲で、演奏だった。
次は、崔善愛(チェ・ソンエ)さん*4 のピアノと、三宅進さん*5 のチェロで、林さんがこのコンサートのために作曲した「序奏、<トラジのために>」の初演だった。
崔さんは、「私たちはクラシック奏者なので、作曲者ははるか昔に亡くなっていて、自由に演奏できる。しかし、今朝、作曲者の林さんの前で、二人で演奏して、やりにくかった」と話していた。
この他、どこかで聞いたような朝鮮民謡「故郷の春」と、尹伊桑(ユン・イサン)*6作曲の「ノレ」(歌)。
第1部最後が、ユニークな風貌でニコニコ顔の吉村安見子さん*7と、林さんの歌とピアノ。
休憩をはさんで、第二部は、崔善愛さんによる今年生誕200年のショパンで始まった。遺作となった「夜想曲 嬰ハ短調」は激しい曲で、ショパンにもこんな曲があるのかと驚いた。また、彼女の在日としての悩みなどの話しは深く考えていることを思わせた。変な言い方だが、日本人であることを何にも考えない私などは、恵まれているのか、そうでないのか。
次に、橋爪恵一さんのクラリネットと林さんのピアノで尹伊桑の曲、沖縄童歌があり、最後に
教職員と市民有志による「自由な風の歌5合唱団」の、カタルーニャ民謡鳥の歌、スペイン民謡ラ・タララなどで盛り上がって終了となった。
*1:私は君が代も、日の丸も好きでないが、国歌と決められているので、歌われるときには起立するのが当然だと思う。しかし、どうしても起立したくない人にどうして強制するのだろうか。処分までするのは、そういう人を排除したくて、そのための踏み絵として国歌を利用しているとしか思えない。
*2:多くの日本人は、もはや韓国を圧迫しているなどと思っていないし、逆にその勢いに危機を感じているだろう。だから、「日韓併合」については、昔の話しで、とくに関心もない人が大部分と思う。しかし、朝鮮半島の人にとって、目の上のこぶ、日本に征服され、従わされた屈辱の経験として忘れられないのだと思う。とくに、在日の人には未だに現実の大きな問題なのだろう。
*3 :林光は1931年生れの作曲家。うたごえ運動では、林さん作曲の歌が多く歌われていた。サントリー音楽賞受賞のオペラ「セロ弾きのゴーシュ」、モスクワ音楽祭・作曲賞受賞の映画音楽「裸の島」や、合唱組曲「原爆小景」が有名で、著書も多い。
*4 :崔善愛(チェ ソンエ)は、北九州出身。愛知県立芸術大学、および大学院修士課程修了。後に米国インディアナ大学大学院に3年間留学。ピアニストとしての演奏活動のかたわら、全国各地で「平和と人権」をテーマに講演をおこなっている。著書に「自分の国を問いつづけて―ある指紋押捺拒否の波紋」
*5: 三宅進は、チェリスト。桐朋学園、インディアナ大学で学ぶ。群馬交響楽団首席チェロ奏者を経て、現在はソロ、室内楽、主要オーケストラへ首席奏者などとして活躍している。崔善愛さんの夫。
*6 尹伊桑(ユン・イサン、1917年 - 1995年)は、朝鮮(現韓国)生れで、おもにドイツで活動した作曲家。
*7 吉村安見子は、フリーのピアニスト、歌手。国立音大を途中でやめて、小コンサート活動を開始。日本各地を巡って幅広く歌い、演奏している。さまざまな劇団と共演して舞台ピアノの演奏も行う。
このコンサートの入場料は破格の2000円だが、卒業式などで国家斉唱のとき起立しなかったり、ピアノの伴奏をしなかったため処分された教職員の裁判を支援するために使われる。*1
昨年も開催されて、ブログを書いたのが6月15日で、「これで最後になりそうだという。残念だ。」とあるが、今年も開催された。
今年の会場は四谷区民ホール。新宿御苑入口のすぐそばにある。
9階に上がると、新宿御苑が一望だ。代々木のドコモのビル(塔)も見える。
今回も、集まった人は50歳以上と思われる女性が圧倒的で、いかにも教師といった地味な服装の人が多い。
今回のサブタイトルは、「百年の氷、溶けよ!」で、今年が日韓併合100年にあたるためだ。*2 このため、演奏曲も朝鮮のものが多かった。
オープニングは林光さん*3 のピアノでバッハの「前奏曲とフーガ ハ長調」。
林さんは、パンフレットに、
バッハはなにかの感情を表そうとしなかった。ただ、すべての音があるべき秩序で並べられるように努力しただけだった。けれども、そのようなバッハの音楽が、わたしたちをあるいはなぐさめ、あるいは励ます力を持っている。
と書いている。バッハは単調で、堅苦しく、私もけして好きとはいえない。しかし、のんびり、静かに聞いていると、いつのまにかぴったりきている。この曲は明るく、コンサートの序曲としてふさわしい曲で、演奏だった。
次は、崔善愛(チェ・ソンエ)さん*4 のピアノと、三宅進さん*5 のチェロで、林さんがこのコンサートのために作曲した「序奏、<トラジのために>」の初演だった。
崔さんは、「私たちはクラシック奏者なので、作曲者ははるか昔に亡くなっていて、自由に演奏できる。しかし、今朝、作曲者の林さんの前で、二人で演奏して、やりにくかった」と話していた。
この他、どこかで聞いたような朝鮮民謡「故郷の春」と、尹伊桑(ユン・イサン)*6作曲の「ノレ」(歌)。
第1部最後が、ユニークな風貌でニコニコ顔の吉村安見子さん*7と、林さんの歌とピアノ。
休憩をはさんで、第二部は、崔善愛さんによる今年生誕200年のショパンで始まった。遺作となった「夜想曲 嬰ハ短調」は激しい曲で、ショパンにもこんな曲があるのかと驚いた。また、彼女の在日としての悩みなどの話しは深く考えていることを思わせた。変な言い方だが、日本人であることを何にも考えない私などは、恵まれているのか、そうでないのか。
次に、橋爪恵一さんのクラリネットと林さんのピアノで尹伊桑の曲、沖縄童歌があり、最後に
教職員と市民有志による「自由な風の歌5合唱団」の、カタルーニャ民謡鳥の歌、スペイン民謡ラ・タララなどで盛り上がって終了となった。
*1:私は君が代も、日の丸も好きでないが、国歌と決められているので、歌われるときには起立するのが当然だと思う。しかし、どうしても起立したくない人にどうして強制するのだろうか。処分までするのは、そういう人を排除したくて、そのための踏み絵として国歌を利用しているとしか思えない。
*2:多くの日本人は、もはや韓国を圧迫しているなどと思っていないし、逆にその勢いに危機を感じているだろう。だから、「日韓併合」については、昔の話しで、とくに関心もない人が大部分と思う。しかし、朝鮮半島の人にとって、目の上のこぶ、日本に征服され、従わされた屈辱の経験として忘れられないのだと思う。とくに、在日の人には未だに現実の大きな問題なのだろう。
*3 :林光は1931年生れの作曲家。うたごえ運動では、林さん作曲の歌が多く歌われていた。サントリー音楽賞受賞のオペラ「セロ弾きのゴーシュ」、モスクワ音楽祭・作曲賞受賞の映画音楽「裸の島」や、合唱組曲「原爆小景」が有名で、著書も多い。
*4 :崔善愛(チェ ソンエ)は、北九州出身。愛知県立芸術大学、および大学院修士課程修了。後に米国インディアナ大学大学院に3年間留学。ピアニストとしての演奏活動のかたわら、全国各地で「平和と人権」をテーマに講演をおこなっている。著書に「自分の国を問いつづけて―ある指紋押捺拒否の波紋」
*5: 三宅進は、チェリスト。桐朋学園、インディアナ大学で学ぶ。群馬交響楽団首席チェロ奏者を経て、現在はソロ、室内楽、主要オーケストラへ首席奏者などとして活躍している。崔善愛さんの夫。
*6 尹伊桑(ユン・イサン、1917年 - 1995年)は、朝鮮(現韓国)生れで、おもにドイツで活動した作曲家。
*7 吉村安見子は、フリーのピアニスト、歌手。国立音大を途中でやめて、小コンサート活動を開始。日本各地を巡って幅広く歌い、演奏している。さまざまな劇団と共演して舞台ピアノの演奏も行う。