hiyamizu's blog

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尾崎左永子『王朝文学の楽しみ』を読む

2011年04月23日 | 読書2
尾崎左永子著『王朝文学の楽しみ』岩波新書1294、2011年2月、岩波書店発行、を読んだ。

著者のいう「王朝文学」とは、古今和歌集から新古今和歌集まで約300年間に宮廷の貴族たちが作り出した歌集、歌物語、女流日記などのことだ。『源氏物語』『枕草子』『伊勢物語』などの本当の面白さは教科書に採用されぬ部分にある、と著者は言う。

第1章 王朝文学、二つの柱
「かな」が発達して女たちも文字を手にして女流文学隆盛となった。また、四季に関わる美意識が万葉集から受け継がれている。

第2章 『古今和歌集』の出現
醍醐天皇の撰定の勅令には「漢詩(からうた)」から「和歌(やまとうた)」への意図がある。
漢字は「真名(まな)」、「男文字」で正式の字。「仮名(かりな、かな)」は「女文字」で仮の字。

第3章 日記文学の面白さ
蜻蛉日記:美貌と才気あり、嫉妬深く情の強い道綱母の私小説的自叙伝
和泉式部日記:帥宮(そちのみや)敦道親王たちとの恋歌のやりとり

第4章 歌から物語へ
染織、工芸、薫香、かな書法など王朝文化が最も上り坂のときに、犀利な観察、比較、緻密な価値判断を持つ紫式部が出会い、源氏物語が生まれた。
紫式部は歌人として巧いとはいえない。ある種巧みではあるが、創作者としての勢いに欠ける。

第5章 暮らしの背景―王朝文学理解のために
当時は尼さんになるといっても頭を剃るわけではなく、黒髪をばっさり切るだけ。現代の女性は当時の尼さんと同じ。
「よばい」とは「夜這い」つまり「夜、男が女のもとへこっそり忍んで行くこと」と思っていた。著者によれが、もともとの意味は「呼ばひ」すなわち「呼び続けること」から「言い寄ること」「求婚すること」になったらしい。

第6章 紫式部と清少納言
第7章 『新古今和歌集』―王朝文学の終焉
後鳥羽院は生命をかけても守るべき王朝文化、新古今集に命をかけた。
時代の流れが戦乱と共に激しくなればなるほど、歌の上ではつよい意思やたのもしい生き方などは片鱗もみえなくなる・・・武力が世を席巻していけばいくほど、王朝貴族の誇りは、幻想のなかに人の心を生き延びさせようとする。それは現実回避の後ろ向きの姿勢というよりも、武力を頼む奴等には決してこの楼閣を侵させない、という意思に満ちているようにみえる。




尾崎左永子(おざき・さえこ)
歌人、エッセイスト。1927年、東京に生まれ。東京女子大学文学部国語科卒。
1957年、歌集『さるびあ街』。歌集多数。
著書は、『源氏の恋文』、『源氏の薫り』、『新訳源氏物語(全4巻)』、『尾崎左永子の語る 百人一首の世界』など。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

歌人である著者は、王朝文学の楽しみ方を、さまざまな面から語っている。学者でないからこそ、わかりやすいし、著者自身の感動が伝わってくる。正岡子規は「貫之は下手な歌よみにて、『古今集』はくだらぬ集にこれありそうろう」といい、一般にも『新古今集』は技巧におぼれ、定型化で自然さが失われていると言われていると思う。しかし、著者は、これに反対している。著者は、雅の心、歌の技、古今の歌の知識を楽しんでいるように見える。私はやはり、天皇から庶民まで幅広い万葉集が、おおらかさ、生活や地面の匂いのする点でより好きだ。



コメント (1)
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