原発再稼働差し止め福井地裁仮処分決定(2015年4月15日)に関する社説一覧

2015-04-15 08:37:04 | 桜ヶ丘9条の会

高浜原発差し止め―司法の警告に耳を傾けよ
2015年4月15日(水)付 朝日新聞社説

 原発の再稼働を進める政府や電力会社への重い警告と受け止めるべきだ。

 福井地裁が関西電力高浜原発3、4号機の再稼働を禁じる仮処分決定を出した。直ちに効力が生じ、今後の司法手続きで決定の取り消しや変更がない限り再稼働はできなくなった。

 裁判所が仮処分で原発の運転を認めないという判断を示したのは初めてだ。高浜3、4号機は原子力規制委員会が「新規制基準を満たしている」と、事実上のゴーサインを出している。

 福島での事故後、規制当局も立て直しを迫られ、設置されたのが規制委である。その規制委が再稼働を認めた原発に、土壇場で司法がストップをかけた。国民に強く残る原発への不安を行政がすくい上げないとき、司法こそが住民の利益にしっかり目を向ける役割を果たす。そんな意図がよみとれる。

■新規制基準への疑問

 注目したいのは、規制委の新規制基準に疑義を呈した点だ。

 規制委は、最新の知見に基づいて基準を強化した場合、既存原発にも適用して対策を求めることにした。再稼働を進めようとする政治家らからは「世界一厳しい基準」などの言説も出ている。

 しかし、今回の決定は「想定外」の地震が相次ぎ、過酷事故も起きたのに、その基準強化や電力会社による対策が、まったく不十分と指摘している。

 地裁は、安全対策の柱となる「基準地震動」を超える地震が05年以降、四つの原発に5回も起きた事実を重くみて、「基準地震動を超える地震が高浜原発には到来しないというのは楽観的見通しにすぎない」と断じた。再稼働の前提となる新規制基準についても「緩やかにすぎ、これに適合しても原発の安全性は確保されていない」とまで指摘、「新基準は合理性を欠く」と結論づけた。

■燃料プールの安全性

 また決定は、燃料プールに保管されている使用済み核燃料の危険性についても触れた。

 格納容器のような施設に閉じ込められていないことを指摘して、国民の安全を最優先とせず「深刻な事故はめったに起きないという見通しにたっている」と厳しく批判した。

 そして①基準地震動の策定基準の見直し②外部電源等の耐震性強化③使用済み核燃料を堅固な施設で囲む④使用済み核燃料プールの給水設備の耐震性強化――の必要性をあげ、4点が解決されない限り脆弱(ぜいじゃく)性は解消しないと指摘した。

 これらはいずれも全国の原発に共通する問題だ。

 政府内では、2030年に向けた電源構成を決める議論が続いている。電源ごとの発電コストについても再検証中だ。

 04年時に1キロワット時あたり5・9円だった原発コストは、事故直後に8・9円以上とされた。電力各社は規制委の新基準に沿った安全対策費としてすでに2兆円以上を投じてきているが、今回の決定に則して対策の上積みを迫られれば、費用はさらに上昇しかねない。

 関電は決定に対し、不服申し立ての手続きをする意向だ。

 もちろん規制委も電力会社も、専門的な立場から決定内容に異論があるだろう。

 だが、普通の人が素朴に感じる疑問を背景に、技術的な検討も加えたうえで「再稼働すべきでない」という結論を示した司法判断の意味は大きい。裁判所の目線は終始、住民に寄り添っていて、説得力がある。

■立ち止まって考える

 今回のような司法判断が定着すれば多くの原発で再稼働ができなくなる。電力会社にとっては受け入れ難いことだろう。

 だが、原発に向ける国民のまなざしは「福島以前」より格段に厳しいことを自覚するべきではないか。

 今回の決定を導いたのは、昨年5月に大飯原発の運転差し止め判決を出した樋口英明裁判長だ。この判決について、経済界などから「地震科学の発展を理解していない」などと批判もあった。現在は、名古屋高裁金沢支部で審理が続いている。

 しかし、決定を突出した裁判官による特異な判断と軽んじることは避けたい。

 それを考える材料がある。

 昨年11月、大津地裁で高浜、大飯の原発再稼働の是非を問う仮処分申請の決定が出た。同地裁は運転差し止め自体は却下したものの「多数とはいえない地震の平均像を基にして基準地震動とすることに、合理性はあるのか」と指摘し、今回と同様、基準地震動の設定のあり方について疑問を呈していた。

 政府や電力会社の判断を追認しがちだった裁判所は、「3・11」を境に変わりつつあるのではないか。

 安倍政権は「安全審査に合格した原発については再稼働を判断していく」と繰り返す。

 そんな言い方ではもう理解は得られない。司法による警告に、政権も耳を傾けるべきだ。



社説:高浜原発差し止め 司法が発した重い警告
毎日新聞 2015年04月15日 02時33分

 関西電力高浜原発(福井県)3、4号機に対し、福井地裁は再稼働を認めない仮処分決定を出した。原子力規制委員会の安全審査に合格した原発の再稼働についての初の司法判断だったが、決定は審査の基準自体が甘いと厳しく指摘した。

 私たちは再生可能エネルギー拡大や省エネ推進、原発稼働40年ルールの順守で、できるだけ早く原発をゼロにすべきだと主張してきた。それを前提に最小限の再稼働は容認できるとの考え方に立っている。

 それに対し、決定が立脚しているのは地震国・日本の事情をふまえると、原発の危険をゼロにするか、あらゆる再稼働を認めないことでしか住民の安全は守れないという考え方のようだ。

 確かに事故が起これば、広範な住民の生命・財産・生活が長期に脅かされる。そうした危険性を思えば、現状のなし崩し的な再稼働の動きは「安全神話」への回帰につながるという司法からの重い警告と受け止めるべきだ。

 決定は新基準に対して、適合すれば深刻な災害を引き起こす恐れが万が一にもないと言える厳格さが求められると指摘した。事実上、原発の再稼働にゼロリスクを求めるに等しい内容だ。

 関電は規制委への申請後、想定する地震の最大の揺れ「基準地震動」を550ガルから700ガルに、最大の津波の高さ「基準津波」を5.7メートルから6.2メートルに引き上げ、安全性を高めたと強調した。

 しかし、決定は全国の原発で10年足らずに5回、基準地震動を超える地震が起きており、高浜でもその可能性は否定できないと指摘。このままでは施設が破損して炉心損傷に至る危険が認められると結論付けた。

 そのうえで、基準地震動を大幅に引き上げて根本的な耐震工事を施し、外部電源と主給水の耐震性を最高クラスに上げ、使用済み核燃料を堅固な施設で囲い込むことでしか、危険は解消できないと指摘した。

 関電は11月の再稼働を見込んで手続きを進める予定だったが、日程の見直しを迫られかねない。

 今回の決定が示した考え方は、再稼働を目指そうとする国内の多くの原発にあてはまる。関電の大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた昨年5月の福井地裁判決と同じ裁判長の決定で、共通した安全思想が根底にあるようだ。

 原発再稼働の是非は国民生活や経済活動に大きな影響を与える。ゼロリスクを求めて一切の再稼働を認めないことは性急に過ぎるが、いくつもの問題を先送りしたまま、見切り発車で再稼働をすべきでないという警鐘は軽くない。


国民を守る司法判断だ 高浜原発「差し止め」

2015年4月15日 東京新聞・中日新聞社説


 関西電力高浜原発(福井県高浜町)の再稼働は認めない-。福井地裁は、原子力規制委員会の新規制基準を否定した。それでは国民が守られないと。
 仮処分は、差し迫った危険を回避するための措置である。通常の訴訟とは違い、即座に効力を発揮する。
 高浜原発3、4号機は、動かしてはならない危ないもの、再稼働を直ちにやめさせなければならないもの-。司法はそう判断したのである。

 なぜ差し迫った危険があるか。第一の理由は地震である。
 電力会社は、過去の統計から起こり得る最大の揺れの強さ、つまり基準地震動を想定し、それに耐え得る備えをすればいいと考えてきた。
◆当てにならない地震動
 原子力規制委員会は、新規制基準による審査に際し、基準値を引き上げるよう求めてはいる。
 関電は、3・11後、高浜原発の基準地震動を三七〇ガルから七〇〇ガルに引き上げた。
 しかし、それでも想定を超える地震は起きる。七年前の岩手・宮城内陸地震では、ひとけた違う四〇二二ガルを観測した。
 「平均からずれた地震はいくらでもあり、観測そのものが間違っていることもある」と地震学者の意見も引いている。
 日本は世界で発生する地震の一割が集中する世界有数の地震国である。国内に地震の空白地帯は存在せず、いつ、どこで、どんな大地震が発生するか分からない。
 だから基準地震動の考え方には疑問が混じると判じている。
 司法は次に、多重防護の考え方を覆す。
 原発は放射線が漏れないように五重の壁で守られているという。
 ところが、原子炉そのものの耐震性に疑念があれば、守りは「いきなり背水の陣」になってしまうというのである。
 また、使用済み核燃料プールが格納容器のような堅固な施設に閉じ込められていないという点に、「国の存続に関わるほどの被害を及ぼす可能性がある」と、最大級の不安を感じている。
 福島第一原発事故で、最も危険だったのは、爆発で屋根が破壊され、むき出しになった4号機の燃料プールだったと、内外の専門家が指摘する。
 つまり、安全への重大な疑問はいくつも残されたままである。ところが、「世界一厳しい」という新規制基準は、これらを視野に入れていない。
◆疑問だらけの再稼働
 それでも規制委は新基準に適合したと判断し、高浜原発は秋にも再稼働の運びになった。
 関電も規制委も、普通の人が原発に対して普通に抱く不安や疑問に、しっかりとこたえていないのだ。従って、「万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険」があると、福井地裁は判断した。新規制基準の効力や規制委の在り方そのものを否定したと言ってもいいだろう。
 新規制基準では、国民の命を守ることができないと、司法は判断したのである。
 昨年五月、大飯原発(福井県おおい町)3、4号機の差し止めを認めた裁判で、福井地裁は、憲法上の人格権、幸福を追求する権利を根拠として示し、多くの国民の理解を得た。生命を守り、生活を維持する権利である。国民の命を守る判決だった。
 今回の決定でも、“命の物差し”は踏襲された。
 命を何より大事にしたい。平穏に日々を送りたい。考えるまでもなく、普通の人が普通に抱く、最も平凡な願いではないか。
 福島原発事故の現実を見て、多くの国民が、原発に不安を感じている。
 なのに政府は、それにこたえずに、経済という物差しを振りかざし、温暖化対策なども口実に、原発再稼働の環境づくりに腐心する。一体誰のためなのか。
 原発立地地域の人々も、何も進んで原発がほしいわけではないだろう。仕事や補助金を失って地域が疲弊するのが怖いのだ。
 福井地裁の決定は、普通の人が普通に感じる不安と願望をくみ取った、ごく普通の判断だ。だからこそ、意味がある。
◆不安のない未来図を
 関電は異議申し立てをするという。しかし司法はあくまで、国民の安全の側に立ってほしい。
 三権分立の国である。政府は司法の声によく耳を傾けて、国民の幸福をより深く掘り下げるべきである。
 省エネと再生可能エネルギーの普及を加速させ、新たな暮らしと市場を拓(ひら)いてほしい。
 原発のある不安となくなる不安が一度に解消された未来図を、私たちに示すべきである。





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