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伊勢本街道ー12

2012-09-05 | 日記
九月とはいえ連日30度を超す暑さが続いているのに伊勢本街道バスハイクに参加してきた。道の駅伊勢本街道御杖姫石明神伊勢奥津駅飼坂峠道の駅美杉迄の14キロのコースである。前回の12キロを半分でギブアップしていたので迷っていたが思い直し、14キロは歩けないだろう事を受け入れての参加であった。

奈良県宇陀郡御杖村大字敷津の「道の駅御杖」を10時30分に出発。稲穂が随分色づいてきた田んぼ道を進んで行くと民家の並ぶ村中に入った。『敷津七ふしぎ』というのがあるらしい。倭姫命が天照大御神をお祀りするにふさわしい土地を探して伊勢に向かわれる道中、この岩の上から中秋の名月を鑑賞されたという「月見石」や「倭姫命の手洗い井戸」や「夫婦岩」や「弘法の井戸」やらを見ながらも団体の歩きなのでゆっくり案内板を読んでいる隙はない。取敢えずカメラに収めて先を急ぐ。それでも倭姫命云々と読めば伊勢本街道を歩いている実感が湧いてなんだか嬉しくなるよナ(笑)
「丸山公園」を通過して石段を下りると倭姫命も参拝されたという「姫石明神」(ひめしみょうじん)に来た。山肌に横たわる巨大な石の前に赤い鳥居が建ち、小さい鳥居も数基置かれていた。昔の原始信仰が引き継がれているようだ。ココは岩坂峠、ごろごろ石の峠道を下る途中に「六部塚」をも確認。
「月見石」と「姫石明神」の画像を投稿しておこう。
         

この岩坂峠を下ると県境、いよいよ三重県に入る。大和の国から伊勢の国に入るわけだ。
県境の杉平で最初に見た常夜燈には「太神宮」ではなく「太一」(たいいつ)と刻まれている。伊勢に入った証かな。高い場所にあったが、この位置が昔から在った元の位置で今は道路の方が下がったそうだ。そういえば次に見る「いせみち」道標も昔は高い所にあったと説明版に書いていた。
それから5分程歩いただろうか、道を左に折れると「ミタケのサクラ」として有名な桜の名所・三多気(みたけ)という所に行けるらしい。来年のお花見はここにしようと思う。
ふと見ると民家の庭に女郎花が風に吹かれて咲いていた。小さい秋を見つけたよ。
       (画像はクリックすると拡大する)


本街道はそのまま直進して地名は払戸、ここにも大きな太一常夜燈があった。そして間もなく下垣内、旧道に入ると庚申堂があって赤い“前掛け”をした地蔵尊と庚申像が祀られていた。今 画像の案内板を読んでみると、この庚申像は「青面金剛神」といって二~六本の腕がある猿の形相をした鬼神だと書いている。青面とはもっとゆっくり見たかったなぁ。。。。。

早や稲刈りの始まった田んぼを見ながらそして又常夜燈を見て、奥津宿の坂本屋の玄関に掛かっているピシッと糊の効いた爽やかな“のれん”に気分を良くして・・・とあれこれ楽しみながら歩いていると、正午も過ぎてJR名松(めいしょう)線「伊勢奥津(おきつ)駅」に来た。駅とは言え雰囲気が違って「津市八幡住民センター」となっている。

            昼食が済んで皆が集合した時に地域のボランティアさんから説明があった。名松線とは名張と松坂を結ぶ線、現在は廃止線の対象で休線となっていて、この奥津から名張まではバスが移動手段になっているそうである。ホームに出てみると名張方面に向かう線路の先は雑草で埋まっていた。蒸気機関車が走っていた頃の名残である給水塔もつる草に覆われ寂しく建っていた。

かつて林業が盛んだった頃の美杉町は杉の植林が美しく地名の由来にもなったそうだが、時代が変わり今はすっかり寂れたという。
伊勢街道としての“村おこし”に力が注がれているようで、正念寺まで続く「のれん街」には各家の表に趣向を凝らした“のれん”が掛かっていた。
入り口に置かれた手作り灯篭は決められた日に一斉に灯されるという。きっと風情ある夜になるのだろう。

おんばさん」と書かれた看板があって、???。ボランティア案内人さんの許可を得て大急ぎで別行動、100m程横道に進むと小さな祠があって沢山の“よだれかけ”が掛かっていた。子供が病気になるとこのよだれかけの一枚を持ち帰り治ると新しいのを作ってお礼参りをするという風習があるそうだ。そして毎年8月23日夜の地蔵会には「百万遍の数珠繰り」行事があって、山へ行け、川へ行けと大きな声で悪魔を追い出すのだそうだ。子供人数が減って大人の人達で行われている地蔵会だそうだが地域住民の繋がりがしっかり残っているんだなぁ。
             

しばらく行くと「札場跡」があって、慶應四年(明治元年)太政官(最高官庁)から発布された札を模した絵と説明文の案内版があった。伊勢参りの人々へ通行手形を渡した場所だそうで、キリスト教徒や邪宗門徒でないことを確かめ伊勢参拝を許した身分証明がここで発行されたわけだ。


谷口という所、大きな太一常夜燈があって、すぐ近くに正念寺という曹洞宗のお寺があった。ボランティアの方々の案内はここ迄で、私達はなだらかな山道を歩いていよいよ「飼坂峠」(かいさかとうげ)に向かった。
首切地蔵」が祀られていた。恐ろしげなその名に背中が寒くなって飼坂峠の怖さが早や伝わってきた。狼や山賊などの犠牲になった人達を供養したお地蔵さまだそうだ。
国道369号線に出てトンネルの手前からいよいよ飼坂峠の急な上りが始まる。

しばしの休憩があったので案内板を読んだ。「お伊勢参りして 怖いとこどこか かい坂 ひつ坂 くらとり坂 つるの渡しか 宮川か」と道中歌に謡われたとココにも書いてあった。鞍取り峠は前回に歩いた奈良県宇陀郡の曽爾村と御杖村の間の峠だったよな。
ちなみにこの先の説明をメモっておくと、櫃坂というのは上多気(かみたけ)と松阪市飯南の間の峠で、櫃坂を下って平野部に出ると、今度は危険を伴う川渡りが難所に変わり、櫛田川の津留の渡しと宮川を越えると伊勢のまちに入るらしい。

今日の飼坂峠は如何程かと・・・・・ギブアップするべきか頑張るべきかをココで決めなければ峠の途中で後戻りはできない。2・3人の女性がバスに乗り込まれた。
決めかねている私に「ゆっくり登りましょう」と優しく声を掛けて下さった添乗員のNさんに勇気をもらって続行を決めた。ありがとうございます。頑張ります!固形のブドウ糖を1粒口に入れて歩き出した。

腰切り地蔵」の前を通り過ぎて見た標識には峠の頂上まで0.4kmとあった。「息はハァー ハァー 2回吐いて2回吸うようにして、ゆっくり小股で登るといいですよ。」いろんなアドバイスを頂き一生懸命息を整えながらNさんの後ろを歩いた。
0.2kmの標識そしてついにメンバーの皆さんの姿を目の前に頂上・「飼坂峠茶屋跡」に着いた。やった~!!登りきれた!  
ベンチの席を空けて下さった方に感謝、ありがとうございます。後ろの4人の方も到着となり喜び合った。とても嬉しかった。これぞ団体ならではの有難さ!皆んなのエネルギーが結集して成せる不思議である。
        

給水と行動食で疲れを吹っ飛ばし、出発の号令がかかった時には元気回復!列の真ん中に位置することが出来た。20分あまりで峠を下りて多気(たげ)という所に来た。
目の前に大きな太一常夜燈と「すぐいせ道」と刻まれた大きな道標がど~んと現われた。広い草地に立っている案内版には「旧三木屋跡」と書かれていた。江戸時代からの宿場町多気を代表する旅籠だったそうである。
続いて建ち並ぶ家々には「大嶋屋」「大和屋」「登富屋」etc.と旅籠のみならず職人さんや商人にも許されたらしい屋号が沢山あった。立派なしめ縄も私の目をひいた。

    


立川川を渡ると今日のゴール「道の駅美杉」まで5分ぐらいだったかな。今日のコースは彼と二人だけでは絶対に歩けなかったはず。ツアーならではの歩きに感謝。そして完歩できたことに満足満足。次回もツアーのお世話になろうと思う。




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