9月1日から今日まで毎日の最高気温は30℃を超えていた。いつまで続くの?この暑さ!
団十郎朝顔も沢山咲いて毎朝随分楽しんだ。そして初めて知った事に、朝顔って葉が付くところ順番に花芽も付くんだよな。小学校で朝顔を植えつけて夏休みに家へ持ち帰る小学校生達は知っているんだろうなぁ~。否ひょっとして近頃、時代は変わって朝顔の栽培なんて事はしなくなっているかもな。。。(笑)
唐古・鍵遺跡史跡公園で作った土器(7/27)、焼成後の作品を唐古・鍵考古ミュージアムへ行って(9/5)貰ってきた。
9月12日(木)
思い立って午後から、薬師寺慈恩殿に出かけた。萩がいっぱい咲いていた。
薬師寺創建当時から1300年を経て、なお現存する国宝東塔の大修理(平成21年から解体修理が始まっていた)がいよいよ完了に近づいて、来年令和2年4月に落慶法要が行われる予定。
その落慶慶賛行事の一つとして慈恩殿の障壁画が特別公開されている(9/7~9/15)。元首相の細川護熙(ほそかわ もりひろ)氏が6年かけて描いた障壁画が「慈恩殿」に奉納され、去る6日には絵に魂を入れる開眼入魂法要があったらしい。
ちなみに細川 護熙氏(第79代内閣総理大臣)は一年で退陣され、政治家としてのお顔しか知らなかったが、陶芸や茶道そして絵画にも憧憬が深い方のようだ。
慈恩殿の広間に一歩踏み入るとハッとして胸がドキドキする。
障壁画の画題は『東と西の融合』で、広間の正面にはお釈迦様の象徴である菩提樹(ぼだいじゅ)を中心に、左側には「衆人賛美」:釈迦を賛美する人々や動物の象、右側には「衆人奏楽」:音楽を奏でる人々や動物の虎の他、飛天、天女などが描かれている。
広間出入り口になる左側(東角)には慈恩大師、右側(西角)には無着・世親(むぢゃく・せしん)ら十大弟子が描かれている。
絵の背景は明るい黄色で統一されていて、慈恩殿の中は想像を越えて華やかで綺麗だった。
(画像はクリックすると拡大する)
玄奘三蔵の姿を探したが描かれておらず、それは慈恩殿の手前に建つ玄奘三蔵院から全てを見守っておられるという発想で、実に素晴らしい世界観の表現かと感銘を受けた。
そうそう、慈恩殿という名称は法相宗の宗祖・慈恩大師に因むそうである。
ビデオで氏が語られているのはホームページに書かれている言葉通りで、引用させてもらうと、テーマの『東と西の融合』とは[ 釈迦にはじまり無着・世親によって深められ玄奘三蔵が大成し、その弟子の慈恩大師によって発展した法相宗(ほっそしゅう)に係わる人々を描き、その教えが西から東へと伝えられ、ここ薬師寺に帰結した。]との事。
余談ながら、運慶作の迫力ある感動的な木造無着・世親像が法相宗興福寺北円堂に安置されているのを思い出した。
話はあれこれバラバラになるが、障壁画は66場面(113枚)で構成されていて、全てを並べると総長157.72mになるとか。約100畳あるらしい広間は欄間と柱を除いて襖や壁がびっしりと絵画で埋め尽くされている。凄い!
写真撮影禁止だったので、あの綺麗な素晴らしい光景は今ココにホームページに載せられている写真を頂いておこう。来年4月東塔の落慶と同時に再び公開されるそうだから、塔と一緒に是非又見たい。
それから、境内で実が沢山生っている楷(かい)という樹を見た。説明板には「中国の聖人である孔子の墓所に実った楷の種子から育てた苗木を 楷の木を広める運動をしておられる山浦啓榮氏(栃木県在住)によって移植されたもの」と書かれていた。
唐招提寺鑑真和上の御影堂や墓所にある瓊花(けいか)と同様に珍しい貴重な樹なんだよな。
帰りがけ、白鳳伽藍の土塀の向こうに工事中の覆いが外されかけた東塔の屋根の先が見えた。水煙の透かし彫り飛天、特に笛を吹く天人は空を見ながら気持ち良く奏でていることだろう。
ふと、先ほど観てきた画の「衆人奏楽」で印象に残った楽器、この時代の琵琶と笙の音色はどのような響きだったのだろうと・・・・・
団十郎朝顔も沢山咲いて毎朝随分楽しんだ。そして初めて知った事に、朝顔って葉が付くところ順番に花芽も付くんだよな。小学校で朝顔を植えつけて夏休みに家へ持ち帰る小学校生達は知っているんだろうなぁ~。否ひょっとして近頃、時代は変わって朝顔の栽培なんて事はしなくなっているかもな。。。(笑)
唐古・鍵遺跡史跡公園で作った土器(7/27)、焼成後の作品を唐古・鍵考古ミュージアムへ行って(9/5)貰ってきた。
9月12日(木)
思い立って午後から、薬師寺慈恩殿に出かけた。萩がいっぱい咲いていた。
薬師寺創建当時から1300年を経て、なお現存する国宝東塔の大修理(平成21年から解体修理が始まっていた)がいよいよ完了に近づいて、来年令和2年4月に落慶法要が行われる予定。
その落慶慶賛行事の一つとして慈恩殿の障壁画が特別公開されている(9/7~9/15)。元首相の細川護熙(ほそかわ もりひろ)氏が6年かけて描いた障壁画が「慈恩殿」に奉納され、去る6日には絵に魂を入れる開眼入魂法要があったらしい。
ちなみに細川 護熙氏(第79代内閣総理大臣)は一年で退陣され、政治家としてのお顔しか知らなかったが、陶芸や茶道そして絵画にも憧憬が深い方のようだ。
慈恩殿の広間に一歩踏み入るとハッとして胸がドキドキする。
障壁画の画題は『東と西の融合』で、広間の正面にはお釈迦様の象徴である菩提樹(ぼだいじゅ)を中心に、左側には「衆人賛美」:釈迦を賛美する人々や動物の象、右側には「衆人奏楽」:音楽を奏でる人々や動物の虎の他、飛天、天女などが描かれている。
広間出入り口になる左側(東角)には慈恩大師、右側(西角)には無着・世親(むぢゃく・せしん)ら十大弟子が描かれている。
絵の背景は明るい黄色で統一されていて、慈恩殿の中は想像を越えて華やかで綺麗だった。
(画像はクリックすると拡大する)
玄奘三蔵の姿を探したが描かれておらず、それは慈恩殿の手前に建つ玄奘三蔵院から全てを見守っておられるという発想で、実に素晴らしい世界観の表現かと感銘を受けた。
そうそう、慈恩殿という名称は法相宗の宗祖・慈恩大師に因むそうである。
ビデオで氏が語られているのはホームページに書かれている言葉通りで、引用させてもらうと、テーマの『東と西の融合』とは[ 釈迦にはじまり無着・世親によって深められ玄奘三蔵が大成し、その弟子の慈恩大師によって発展した法相宗(ほっそしゅう)に係わる人々を描き、その教えが西から東へと伝えられ、ここ薬師寺に帰結した。]との事。
余談ながら、運慶作の迫力ある感動的な木造無着・世親像が法相宗興福寺北円堂に安置されているのを思い出した。
話はあれこれバラバラになるが、障壁画は66場面(113枚)で構成されていて、全てを並べると総長157.72mになるとか。約100畳あるらしい広間は欄間と柱を除いて襖や壁がびっしりと絵画で埋め尽くされている。凄い!
写真撮影禁止だったので、あの綺麗な素晴らしい光景は今ココにホームページに載せられている写真を頂いておこう。来年4月東塔の落慶と同時に再び公開されるそうだから、塔と一緒に是非又見たい。
それから、境内で実が沢山生っている楷(かい)という樹を見た。説明板には「中国の聖人である孔子の墓所に実った楷の種子から育てた苗木を 楷の木を広める運動をしておられる山浦啓榮氏(栃木県在住)によって移植されたもの」と書かれていた。
唐招提寺鑑真和上の御影堂や墓所にある瓊花(けいか)と同様に珍しい貴重な樹なんだよな。
帰りがけ、白鳳伽藍の土塀の向こうに工事中の覆いが外されかけた東塔の屋根の先が見えた。水煙の透かし彫り飛天、特に笛を吹く天人は空を見ながら気持ち良く奏でていることだろう。
ふと、先ほど観てきた画の「衆人奏楽」で印象に残った楽器、この時代の琵琶と笙の音色はどのような響きだったのだろうと・・・・・