OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

三つ

2011年07月07日 | 文化・芸術
今日は三つのスケジュールをこなした。
一般の方々にとってはあたり前のことかもしれないが、北京遊学以後、一日一件をこなせれば充分、という感覚になっている。もう20年だ。
今日は、日本橋のブリヂストン美術館、国立の教室、青山のライブと三つ。

ブリヂストン美術館は、大戦後パリで起こった非定形で意識下の心的状態を想起させるあらたな抽象主義「アンフォルメル」をとりあげ、7月6日が最終日ということで、どうにか間に合った。
某劇画の原作ゴーストライターをしたとき、このアンフォルメルの代表的画家ピエール・スーラージュを取り上げたことがあった。そして私は今も生きているとは思わなかったのだが、この3月、スーラージュにインタビューが行われているのを知り、びっくり。その作家として日本に1958年に来ている。
スーラージュは、小さい頃、雪を描くのに黒を使っていた、と周りが記憶しているらしいが、黒が好きだったらしい。それは、光を得るためだったから、のようなことを言っているが、書に似た感覚。
私は、当時の書と西洋の絵画(アンフォルメル運動)がお互い影響を与えた、とその原作の主人公に語らせたが、スーラージュは、自分自身の発想であってどこからも影響を受けたものではないというようなこともいっている。だが(時代の)空気は意識にはないものだと考える。
遠近法も幻視、だとさらにいい、絵画は表現ではない、存在そのもの、というようなことも。作者、作品というモノ、そして観る者、それによって変わり、あるものは存在のみ、と。

国立は、個人的節電うちわプロジェクトである。みなさん手本がなくてもそれなりにまとめ、発想も豊か。今日は水墨もやったが、斉白石的金魚は山椒魚のようなのもあって笑えた。
  
青山CRYは、木津茂理ちゃんから誘われたが、今日は仙波清彦さんが観たかったので、一、日三件という私にとってはなかなかない行動力で無理して行った。この方は邦楽の家元の長男に生まれその世界だけでなく洋楽やアジアの音楽までに精通していて、生まれたときからの音楽家らしい。坂田明さんもトークもなく、いい魂でやっていた。澤田師匠はいつもアドリブでいいね。茂理ちゃんはおじさんたちのなかできりっとしてゾクッっとくる表情が素敵で、日本の唄がかっこよく思えるにはあなただなー。
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