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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

手を抜く

2019-09-07 06:12:35 | よもやま話

絵のタイトルは、「まだまだ」です。
まだまだ残りがあるのか。
まだまだ熟れるまで少し時間が必要なのか、意味不明のタイトルです。
きっと、まだまだ自分は生きることができると、思ったに違いない。


あと30分もすると、カフェで料理の下準備の開始です。
11時のオープンと同時に、20人の昼食会が始まる。
朝ごはんは、カフェで作るまかない料理となるでしょう。
今日のテーマは、「手を抜く」です。

「手抜き」とは、
しなければならない手続きや手間を故意に省くこと。「仕事を手抜きする」「手抜き工事」
囲碁・将棋で、普通なら応手すべき所を省いて他の好所に着手すること。
仕事の手が休まること。暇になること。
(デジタル大辞泉より)

まずは、手を抜く準備です。
忙しくなるのは分かっている。朝ごはんを抜く。
仕事着が乾いていなくても着て、開店までに体温で乾かす。
これはやめ。少なくともしなければならないことを手早く拾い出す。
漏れても仕方がないと、心の準備と言い訳を考える。

実際に手抜きにかかる。
手抜きをしようとすると、違う世界が見えてくる。
発想が斬新になり、エッセンスだけのものになる。剪定や盆栽がよい例である。
ルーチンワークに慣れていた手をそっと休めて、もっと簡単にならないかと考える。
考えるだけでは進まないので、やってみる。
監督業を椅子に座らないでやる。草抜きしながら現場の周りをうろうろするのもその一つ。
職人の邪魔にならないように、仕事を見ながら一言励ます。
草を取ってる姿をさっき見たと、持ち場の監督が心配事を相談にくる。
工事の進捗状態を知るのに、手っ取り早い方法だった。
報告なんて待ってられない。自分で見る。報告会も短時間で済み、的確に指示できた。

囲碁・将棋で、普通なら応手すべき所を省いて他の好所に着手すること。
こんな発想が生まれるのです。

「手を抜く」ことは、実は疲れる。
今までのやり方を踏襲したほうが、考えることが少ない分楽なのである。
いつもとはいかない。
後ろに列ができるほど安全運転のばあさんが、孫の病気をみて病院まで暴走する。
時には、パトカーを追い抜くことだってへっちゃらです。
サイレンの音を聞いて、すべての車が道を開けてくれる。
病院に着いてから、速度違反の切符をもらう。

今頃、妻が格闘していることだろう。
洗濯物だけは干して出かけよう。

朝シャンの 走って乾く 駅で汗

2019年9月7日
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組み合わせ

2019-09-06 10:46:42 | よもやま話

絵のタイトルは、「めんそーれ」です。
あなたの姿は、この家に来た時から変わりません。
変わったのは私達です。いつも、見守ってくれてありがとう。


今日のタイトルは、「組み合わせ」です。
10日後に、ゴルフコンペのカフェ杯をする。
お客さんの年齢層は、私たちと同じ世代です。
嬉しいことに、70歳代後半の先輩たちが3人も参加してくださいます。
シルバーティーから打つ方もいらっしゃるので、
二人の方から了も解をいただき、合わせてシルバーティーとしていただきました。
それなら、スクラッチで勝負だと喜んでおられました。
先輩たちは、腕自慢でどの方も優勝候補です。若年者として、情けない。
地域の方の参加は、「組み合わせ」の気苦労が多い。
あいつとは回りたくないと言われる方は、さすがにおられません。
お歴々の皆さんです。気を使います。
女性の方々も、昔ならした腕自慢です。こちらは、妻にまかせましょう。

カフェの宴会場は、一間のフリースペースです。
参加人数にあわせて、都度レイアウトを変更します。
互いの顔が見えるよう、できるだけ向かい合わせの並びとします。
酒飲みで年配者のグループとなると、料理が進みません。
反対に、女性で酒を飲まないグループとなると、すぐに料理の皿が空きます。
飲む方からは、料理をこれ以上出すなと言われるし、
女性グループからは、「食べようと思ったら、もうない。」ともっとスピードアップの要望が出ます。
配膳は、出たとこ勝負の推理ゲームです。

「組み合わせ」の妙とも言いますが、予約客は一組としています。
狭い田舎暮らしです。聞かれたくない話もあるようです。
危険は未然に防ぐがモットーです。

予約客にはお任せ料理と決まっています。
お酒が進むけどカロリーオーバーにならぬよう、料理には気を使います。
旬の新鮮でカフェの経営にも優しい食材選びのなかで、知恵の輪のような「組み合わせ」の連続です。
昨日も来た今日もいるというリピーターの方々のために、和洋中の味付けで工夫が続きます。

究極の「組み合わせ」は、夫婦です。
合うはずだと、気の迷いで一緒になる。
大外れと互いに気づくも後の祭りです。
それからは、我慢と挑戦の暮らしです。
やっと、「組み合わせ」の妙がしっくりいくなと思った頃には、お別れです。
ああ、無常。

ユリの花 歩く姿に ああ無情

2019年9月6日
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いやあ、まいったまいった

2019-09-05 07:43:20 | よもやま話

このタイトルに相応しい絵なんて思いつかない。
選んだのは、「そばを作る人」でした。
最期まで、格好をつけたがるのです。


今日のタイトルは、「いやあ、まいったまいった」です。
授業が始まっているのに、出席できない。
これに出席しないと単位不足で留年する。
急いでいる時に、かかってきたスマホを擦るも受信モードにならない。
焦って画面をたたくと切れてしまった。
諦めて、皆が待つ部屋に向かった。
なんとそこは、故郷の大きな家であった。
私が使っていた8畳三間に男たちが溢れている。
畳の床に敷き詰めた布団の裾が濡れている。
どうしたのかと聞き、天井を見ると雫が垂れている。
みるみるうちにその量は増え、天井にたまっていた雨水が鉄砲水となり壁をぶち抜いた。
しばし後、落ちた天井から屋根を覗くと、ぽっかりと大きな穴が開いていた。
ブルーシートでとりあえずの補修をしなければとブルーシート(毛布)を持ち上げたところで眼が覚めた。

大学時代の留年の危機、使えぬ悩みのスマホ、故郷の亡き兄のあとの遺産の始末の夢を見た。
思い起こせば、天井から結露水が溢れたのは、工場の冷水配管のずさんな保温工事の悪夢である。
工事のプロジェクトマネージャーであった。
新旧の心配事をつなげて夢を見せてくれた。自分の頭の中を疑った。
これは文字にしておかなければと、寸暇を惜しんで文にした。

誰にも悪夢のような経験はあるものです。
心の襞に巣くった悪寒のような経験を何度も夢にみる。
そのたびに、脂汗をかくのです。
女がからまないのはどうしてと自問し、密かに自答している。
(9月2日にメモ書きしたもの)

タイトルは、「いやあ、まいったまいった」ですね。
あの人の顔は覚えているものの、名前が出てこない。
映像と名前などの記憶中枢は異なり、名前の記憶容量は映像に較べ小さい。
失礼とは思いながら挨拶をする途中に、急にその人の名前が口から出てきた。
借金取りが職場を訪ねてくる。毎回5000円を徴収する。
微妙な額であるが毎日となるときつい。
日銭が欲しいと、夜のバイト(皿洗いやラブホテルの清掃)をする。
沖縄に住む看護婦さんに聞きました。この方は、男気がある方で仲間の面倒をつい見てしまう。
「プチまいった」は、日常茶飯事のこと。
かみさんを亡くしたのは、十分なことをしてやれなかった自分のいたりなさだった。
経済的に苦しかった。かみさんは、治療費を稼ぐためにぎりぎりまで働いていた。
かみさんが働く職場の方から、何とかならないのかと諭された。

これから、経験したことのない「まいった」が待っているはずです。
竜馬のように、死ぬ時も前のめりとはいかないかもしれない。
きっと、こんな人だったかと周りに迷惑をかけることだろう。
最低6年間は、他人(家族、医療関係)の世話になると、何かの統計で見ました。
逝くまでの道のりの遠いこと。
悪さをした分だけ、すんなりとは逝かせてくれない。
不気味な不安は、脳の片隅に巣くい体の変調ととともに大きくなっていくことだろう。
医者でありながら認知症に罹る人が、変わりゆく自分を残る良識で分析し話していた。

最期まで、笑い話を続けるだけの元気が欲しい。

先見えて 少し良い人 振りをする

2019年9月5日
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ついに、その日が来た

2019-09-04 07:00:12 | よもやま話

絵のタイトルは、「いつも励まされてる」です。
あれこれ言われるのも、すべて私のためを思ってのことです。
それにしては、時々チクチクするのはなんでしょう。


今日のテーマは、「ついに、その日が来た」です。
妻とゴルフに行った。僅差で負けてしまった。
負けたのは、初めてです。ついに、その日が来ました。
私がゴルフを始めたのは8年前、妻は5年前です。
二人でやるときは、緊張感はゼロです。
やりたいように打ち、失敗してはぼやき、ストレスフリーのラウンドです。
二人とも、できるかなと挑戦的なゴルフとなります。
あれあれできるようになったねと、二人とも腕をあげています。

今度やるゴルフ「カフェ杯」には、女性が妻も含め三人出ます。
子育てが終わった女たちの真剣勝負です。楽しみですね。
昨年(第一回目)は、企業参加の商品が盛りだくさんのコンペでした。
今年は、商品なしの仲間内のコンペとしました。
参加賞は、カフェで作るジャム(桃、りんご、ブルーベリー、ルバーブ)にしました。
あと2週間、合間をみて作りましょう。

24時間一緒の生活です。
会社に勤めている頃は、考えられない生活です。
家庭でもカフェでも、ほとんどの仕事において妻がリーダーです。
私は、妻を支える補助的な仕事です。
妻から細かく指導されることに慣れるのに、時間がかかりました。

ついに、その日が来たのではなく、必然的なことだったのかもしれません。
丸く丸くなる毎日です。今度は少しとんがって勝ちたい。

ふんふんと 聞くから今は テレビ消し

2019年9月4日
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2019-09-02 04:56:50 | よもやま話

何度も使いまわした絵、タイトルは「永観堂」です。
恋とは、まさに「ウフフ、オホホ」です。
京都に行くとここがよいと、永観堂を勧めてくれた郁ちゃんも85歳。
どうしておられるでしょうか。訪ねたい。


今日のテーマは、「恋」です。
兄貴の葬儀に久しぶりに帰郷した。
懐かしい顔に会った。
亡くなる方の最後の仕事は、親せきや友人たちを再会させることです。
85歳の現役保険外交員のおばさんもいた。
相変わらずの無敵ぶりでした。
両脇を固める従妹たちは、素敵に歳をめされていました。
私が描いた似顔絵を見せて、描きましょうかと誘うと、こんなんじゃいやだとの返事。
友人の兄にくっついて、一緒に遊んだ妹さんにも会いました。
この娘は、泣くとしょんべんを垂れるので往生しました。
泣かすなよと、赤い唐辛子で遊んでいたら、舐めちゃって大泣きでした。
妹さんも還暦を過ぎたのでしょう。

なぜ、「恋」のタイトルを選んだのでしょう。
恋とは、
親兄弟のいつくしみあう心。ひろく、人間や生物への思いやり。
男女間の愛情。恋愛。
大切にすること。かわいがること。めでること。
〔キリスト教〕 神が、全ての人間をあまねく限りなく いつくしんでいること。アガペー。
〔仏教〕 渇愛、愛着(あいじゃく)、愛欲。
「十二因縁」の説明では第八支に位置づけられ、迷いの根源として否定的に見られる
(広辞苑より)

年月は経ても、記憶は鮮明です。
妹さんに会ったとたん記憶が蘇り、「しょんべんたれ」と言っていました。
本人はきょとんとしていましたが、一緒に遊んでもらってとお礼を言われました。
男女間の愛情とは、少し違う「恋」について語りたい。

似顔絵を描いていると、良いところを探すのが癖になっていました。
60過ぎのおばさんの顔が、ほんの一言で初々しく朱に染まる。
きゃっきゃと騒いでいた女子中学生が、愁いを帯びて無表情になる。
概して、女性は元気です。
おっかない顔の老人が、昔の悪さを語り破顔一笑。
なんかなあ。
悪い人はいない。そうだとしても、時として怒りに狂い般若の顔になる。

総じて、広辞苑が説く「大切にすること。かわいがること。めでること。」に通ずる。
どんな表情にも訳がある。その訳を聞いたり推察する。
そんなことが楽しい。
好きな人ばかりを見て、決して来ない未来を想像した若いころとは違う。
目の前を通過する女性は、何する人ぞと興味が湧く。そしてすれ違う。
気の迷いで立ち止まり、小さな言葉と微笑みに、ほんわかとなります。
「恋」の枝垂れ花火です。
スターマインとなって、ドーンと弾けた幼な恋ではない。

恋とは慈愛。
花を見て、虫をいとおしみ、林を抜ける風に癒され、遠くの山々に眼を細める。
なにげない情報が、血となり肉となる。
いくつになっても、恋はできる。

裾を踏む 誰かと見れば 恋女房

2019年9月2日
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