このタイトルに相応しい絵なんて思いつかない。
選んだのは、「そばを作る人」でした。
最期まで、格好をつけたがるのです。
今日のタイトルは、「いやあ、まいったまいった」です。
授業が始まっているのに、出席できない。
これに出席しないと単位不足で留年する。
急いでいる時に、かかってきたスマホを擦るも受信モードにならない。
焦って画面をたたくと切れてしまった。
諦めて、皆が待つ部屋に向かった。
なんとそこは、故郷の大きな家であった。
私が使っていた8畳三間に男たちが溢れている。
畳の床に敷き詰めた布団の裾が濡れている。
どうしたのかと聞き、天井を見ると雫が垂れている。
みるみるうちにその量は増え、天井にたまっていた雨水が鉄砲水となり壁をぶち抜いた。
しばし後、落ちた天井から屋根を覗くと、ぽっかりと大きな穴が開いていた。
ブルーシートでとりあえずの補修をしなければとブルーシート(毛布)を持ち上げたところで眼が覚めた。
大学時代の留年の危機、使えぬ悩みのスマホ、故郷の亡き兄のあとの遺産の始末の夢を見た。
思い起こせば、天井から結露水が溢れたのは、工場の冷水配管のずさんな保温工事の悪夢である。
工事のプロジェクトマネージャーであった。
新旧の心配事をつなげて夢を見せてくれた。自分の頭の中を疑った。
これは文字にしておかなければと、寸暇を惜しんで文にした。
誰にも悪夢のような経験はあるものです。
心の襞に巣くった悪寒のような経験を何度も夢にみる。
そのたびに、脂汗をかくのです。
女がからまないのはどうしてと自問し、密かに自答している。
(9月2日にメモ書きしたもの)
タイトルは、「いやあ、まいったまいった」ですね。
あの人の顔は覚えているものの、名前が出てこない。
映像と名前などの記憶中枢は異なり、名前の記憶容量は映像に較べ小さい。
失礼とは思いながら挨拶をする途中に、急にその人の名前が口から出てきた。
借金取りが職場を訪ねてくる。毎回5000円を徴収する。
微妙な額であるが毎日となるときつい。
日銭が欲しいと、夜のバイト(皿洗いやラブホテルの清掃)をする。
沖縄に住む看護婦さんに聞きました。この方は、男気がある方で仲間の面倒をつい見てしまう。
「プチまいった」は、日常茶飯事のこと。
かみさんを亡くしたのは、十分なことをしてやれなかった自分のいたりなさだった。
経済的に苦しかった。かみさんは、治療費を稼ぐためにぎりぎりまで働いていた。
かみさんが働く職場の方から、何とかならないのかと諭された。
これから、経験したことのない「まいった」が待っているはずです。
竜馬のように、死ぬ時も前のめりとはいかないかもしれない。
きっと、こんな人だったかと周りに迷惑をかけることだろう。
最低6年間は、他人(家族、医療関係)の世話になると、何かの統計で見ました。
逝くまでの道のりの遠いこと。
悪さをした分だけ、すんなりとは逝かせてくれない。
不気味な不安は、脳の片隅に巣くい体の変調ととともに大きくなっていくことだろう。
医者でありながら認知症に罹る人が、変わりゆく自分を残る良識で分析し話していた。
最期まで、笑い話を続けるだけの元気が欲しい。
先見えて 少し良い人 振りをする
2019年9月5日
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