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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

韓国へ出張

2017-10-08 08:02:35 | プロジェクトエンジニアー

助けてくれたのがこの方です。
いつもスケベな話ばかりしてはぐらかされます。
今でも現役で、日本だけでなく世界を良くしようと頑張っておられます。


今日のタイトルは、「韓国へ出張」です。
日本でさんざん試験をしました。
産業廃棄物のもみ殻を夢の素材に変える機械を開発しました。
据え付けと試験のために、海外に出張した話です。

なぜ今さらこんな話を書くことにしたのか。
仕事が終わって、毎晩食堂に行きました。
おばちゃん(あずま)が、手作りのまっこりと手料理で迎えてくれました。
疲れはとれ、また明日頑張ろうと思い直しました。

電線のマーキングは、電線にペンチで押す回数でした。
図面通り、なんとか組みあがりました。
もみ殻を集めて試験が始まりました。
野ざらしのもみ殻は、水分を多く含んでいました。

もみ殻のセルロースをアルファー化させ、
セルロースを鎧のように覆っているリグニンを熱で破壊します。
リグニンが取れたセルロースを圧縮スクリュー(エクストウルーダー)で粉砕します。
粉砕粒度は100メッシュ(小麦粉くらいの大きさ)アンダーにします。
原料のもみ殻の約30%が100メッシュアンダーになります。
100メッシュアンダーの粉は工業原料に変身しました。
プラスチックの原料、塗料の原料として、高価な炭酸カルシウムの代替品となりました。

前述の野ざらしのもみ殻の水分が蒸発し、スクリューの入り口
つまり籾殻投入口でブリッジをつくり、連続投入が出来なくなりました。
スクリューの回転数を落とすため、Vプーリーをサイズダウンすることにしました。
モーターの周波数変換器(インバーター)は、ありませんでした。
町工場に行き、新しいプーリーを買い、ボス穴とキー溝を加工してもらいました。
融通がきいて、できも上々の釜山の町工場群でした。
発生する蒸気を機外排出させるために、新たにパンチングプレートとファンをつけました。
30分は、連続粉砕できることになりました。

一緒に出張した商社の方が、
「十分やった。いったん帰国しよう」と勧めました。
あずまの店で散々話しました。
まっこりで癒されました。

帰国を見合わせ、原料のもみ殻を精選(水分で固まったブロックとごみの除去)
することにしました。
方法について、韓国の方々に相談しました。
議論白熱、最後にはつかみ合いになりました。
島国と違う、大陸的な自己主張の文化を見ました。

一方、午後4時頃になると労働者は車座になり食事を摂り始めました。
真ん中には、バケツにいれたまっこりがありました。
柄杓ですくい皆さんが飲まれていました。
勧められましたが、断りました。
食堂で、ステンレスの箸を使い煮干しの浮いたうどんをすすりました。

結局、粉砕粒度をあげる(50-100メッシュを中心)ことにしました。
セルロースは破壊されており、発酵して牛の餌になることになりました。
粉砕もみ殻の大きな発酵施設と切り返し場所と重機が建設され購入されていました。
二回目の出張の時に視ました。

野ざらしのもみ殻を使うことをやめ、日本のように屋内で保管されている
もみ殻を使うことにしました。
日本と違うのは、米にも短粒種だけでなく、中粒種と長粒種がありました。
原料に併せて、粉砕スクリューの回転数を変えたり、スクリューのピッチを
変えることにしました。

会社を代表して一人で出張をしました。
機械の開発責任者兼運転責任者でした。
観光ビザの日数は、残り少なくなり路銀も尽き、
韓国での対策費も底をつきました。
助けてくれたのは、海外部の部長でした。
新たなビザを申請してくれ、必要なだけ路銀と対策費を送金してくれました。
電話で熱く語る私を励ましてくれました。
粘る私を所属する技術部がバックアップしてくれました。
随行した商社の方は、あきれて一緒に残ってくれました。

2か月あまり、毎晩あずまの店に通い続けました。
冷えたまっこり、飲み過ぎた朝はヘージャンクー(牛の血の冷スープ)で
元気を取り戻しました。
なによりも、あずまの笑顔が元気づけてくれました。

孤独な海外出張でした。
どこの国でも一生懸命働く男を支えてくれるのは、かあちゃんの優しい笑顔と
心のこもった手料理です。
ドイツでもスイスでも一緒でした。

そんなこともあったね。
ここでも、また頑張ろうと思い返しています。
元気になった妻は、時々咳をしながら畑に出かけていきました。

頑張った 昔話と 今を生き

2017年10月8日
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もっとやれ

2017-10-07 08:22:01 | よもやま話

独酌するしかないでしょう。


ああ言えばこう言う。
外野はとかく煩いものです。
やってる方だって、結末なんて判らない。

カフェの閉店間際に、注文が三つありました。
ある宴会が計画されました。
料理は持ち込みです。酒は店に売るほどある。
上司のお持ちになるオードブルに対抗して、美味しいもの旨いものとして、
我がカフェのお好み焼き、ピザとパンをチョイスしてくれました。
私は、「男をあげて」と願いながら受けました。

その前に、「鮎が手に入った。店で焼けないか」と依頼がありました。
さっそく、鮎をいただきに行きました。
七輪一個では足りないなと思い、急きょ七輪を一個買い足しました。
火を熾しかけた頃、家族のためにお好み焼きを焼いてと注文が追加されました。

鮎だけのはずが、どんどん違う方向に行くことに。

お客様は我儘です。
それでよいのです。
だって、店の看板はあげてるし開店しているわけですから。

そこへ鮎食いのお客様が到着。
火はやっと熾ったばかり。
結局、お客さんに焼いていただくことになりました。

お客さまが、焼けないのなら断れば良いのに。と言われました。
鮎が食えるというから、風邪を押してきたのに。
いやそれはすみませんと、奉納相撲の写真を見てもらって、ご機嫌うかがいです。
料理が何にもないまま、酒盛りが始まりました。

事情が分かるだけにつらい。

ちょっといい女が出席する宴会。
子供に鮎(川魚)を食わせたくないお爺ちゃんとおばあちゃん。
(残留放射能が気にかかります)
鮎をいただき無駄にはできない。
かといって、急遽家を空けることになり、残る家族の機嫌も心配。
妻は、風邪を押してなんとか頑張っている。
この咳は私の煙草のせい。と言っちゃうものだから、
皆から説教をされる始末。

やっと片付けて帰ってきたのは、10時前。
娘から電話。どうやら、酔っぱらっている様子。
私の悪行をあげつらい、ののしっていました。
やれやれ。

もっとやれ。
と思うしかない。
私のせいでもあるようで、そうでもないと自己弁護。

朝の爽やかな空気のなか、結局今日から屋外で、
少なくとも換気扇の下で、煙草をいただくことにしました。
鎖でつながれていないだけましか。
と、隣の糖尿病のワンちゃんのことを思う。
こうして、少しずつしゃべり出し、腹が減ったのを思い出し、
普通になっていきます。

無駄会議 上司饒舌 もっとやれ

2017年10月7日

2016年9月1日投稿記事「ちょっと、違うんだけど」を参照ください。
私の腹立ちの解消方法について書いています。
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不調時の処方箋

2017-10-06 07:42:25 | プロジェクトエンジニアー

いちゃりばちょーでー。
袖触れ合うも多少の縁。というような沖縄言葉です。
ちょっと、今日のタイトルと意味合いが異なりますが、良しとしましょう。


今日のタイトルは、「不調時の処方箋」です。
上手くいかない時は、ささくれのように心に引っかかります。
普段ならなんでもないことが、見過ごせない。
関係もぎすぎすとなります。

不満のコップから少しずつ溢れています。
それさえも気づかない。
コップに小さな火種を落とすだけで、コップは一気に溢れてしまいます。
お暇をいただきます。と妻が書いた手紙を食卓の上で発見する。
鍋釜&皿が飛び交うなら、まだましなことになります。

こんな感じは、夫婦を長年やっていれば一度や二度はあることです。
処方箋は、「家族のモラル」に陽を当てることです。
つまり、長屋の八っつあんや熊さんのように、夫婦関係をさらけ出すことです。
家族には、なんとなくモラルというものが醸成されて行きます。
美酒にならないで、ぶつぶつと臭いものになることがあります。
なんか変だよ。
ここで長屋の隠居が出てきます。
夫婦を諭します。
どちらにも公平です。

この辺りでは、町内会がその役割をしています。
お互いの家族関係を皆が知っている。
こうした方が良いよ。と、忌憚のない話が先輩から出ます。
馬鹿だね。馬鹿をしたよ。と皆が笑います。
夫婦だけで抱え込まない。抱え込ませない。
お互い様。

片方が、病気になります。
よくあることです。
普段より役割が多くなります。
不慣れなことをこなさなければならない。
奮闘する仕草は、まさしく可笑しい。
怒らないでね。

子供の弁当を作ろうにも、料理をしたことがない。
考えた末に、コンビニ弁当を買って来て、
子どもの好きな物だけを選び詰め替えた。
あるいは、会社の同僚(女性)に簡単な料理を教えてもらった。

一生懸命やってくれたと、あとでこっそりご褒美があります。
あれあれなんのこと。実はコンビニ弁当なのに、こそばゆい。
奮闘したことも忘れています。
こうして、いつもの生活に戻っていけます。

今日は、夫婦に焦点を当てて描いてみました。

緒が切れた 家出支度に 路銀なし

2017年10月6日
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人に伝える

2017-10-05 03:23:56 | プロジェクトエンジニアー

私は、海の絵が好きです。
流れる水も、たゆたう水面も光と共存して美しいと感じます。


今日のテーマは、「人に伝える」です。
自分なりに、「地域おこし」の自己紹介文を書いてみました。

私は、広島生まれの60代の男です。
この地に来てよかったと思います。
ここでは、小学生が挨拶をしてくれます。
初めての畑仕事に、いろんな方がアドバイスをくれます。
歩くことで初めて見える景色があると気づくようになりました。
ここに来て1年半が過ぎました。
数々のイベントに参加し、顔を覚えていただきました。
顔を覚えようと、似顔絵を描き始めました。
縁側のような場所があったらと、蔵カフェ「さんぽみち」を開店しました。
自分が変わることで道が開けたように思います。
「故郷に恩返し」と墓標に刻める仕事をしたいと思います。
よろしくお願いします。

以上です。
約250字の短い紹介文です。
これで、想いが「人に伝わる」でしょうか。

雲隠し 嬉し恥ずかし お月さん

2017年10月5日
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いいことも悪いことも

2017-10-03 06:23:10 | プロジェクトエンジニアー

どうしようもない馬鹿なんです。
酔っぱらって、川に落ちています。
奥さんは、当分口をきいてくれません。


よもやま話が、なぜ悪い。
よもやま話とは、
とりとめのない、雑多な話。無駄話の類。「四方山話」と書く。
毎日、論文や清談を書くことは出来ません。

今日のタイトルは、「いいことも悪いことも」です。

清濁併せ呑む。
清濁併せ呑むとは、善人でも悪人でも、来る者はすべて受け入れる度量の大きさを表すたとえ。
(故事ことわざ辞典より)
自分自身を振り返っても、恥ずかしいことの方が多い。
とても言えないことばかりです。
まあ、心の中はぐちゃぐちゃで、一筋の光を頼りに生きているようなものです。
ある人は、信仰であったり、家族や友人関係がよりどころです。

私の一筋の光とは、なんでしょう。
こうだったら良いな。てなもんでしょうか。
更に大切にしていることは、昔からこうだったです。
黒子(プロジェクトエンジニアー)が表に出てはいけない。
表舞台は、常に顧客です。

顧客が、昔からこうだったと思えるようになる頃には、
別の現場で、また騒いでいるのが私達の役目です。
現場はプロフェッショナルの集まりです。
一皮むけば、どれも個性の強いばらばらの集団です。
自分が得をするかしないかが、仕事の動機です。
多くの人が儲かり、またはぎりぎりだけど次は儲かりそうだと
プロジェクトマネージャーの一言に耳を傾けます。
汗をかかない人の話など聞く耳持たぬ集団です。
あの人はここまでやっている、こんなことまで見通している。
敵わないな。

眼から汗をかいている。
絞る言葉に真実を見る。
これは譲れないとボーダーラインを示せる人が、
プロジェクトマネージャーです。

仕事を離れたら、ああやっぱりこの人も同じ馬鹿な人なんだ。
スケベ話で盛り上がる酒盛りです。
よもやま話の中にも、清濁併せ呑む気概が見受けられるのが、
プロジェクトマネージャーです。
個々人の私生活まで知っているのが、プロジェクトマネージャーです。
身体を心配し、辛い想いを共有することが出来る人のことです。

筋の通ったよもやま話なんて、長屋の隠居に聴くしかありません。
幼子が見せる独り芝居の中にしかありません。
どんなに繕おうとも、よもやま話で現れるお里です。

生きている限り、「いいことも悪いこと」も避けて通ることはできない。
皆がゴミを拾えばきれいになる通りです。
私達は、そうして生きてきました。
これからもそうでしょう。

昔からこうだった。
昔はこうだったなんて言いたくない。

髪に手を 赤いけだしが 風に舞う
(みだれ髪より)

2017年10月3日
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