故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

死んだ人と話す

2017-10-24 05:25:17 | よもやま話

私よ。というタイトルの絵です。
そう言われても、どれだけの過去を辿ればよいのか、
恥ずかしくなることがあります。
だから、謎かけはやめてね。


今日のタイトルは、「死んだ人と話す」です。
墓が骨壺を置けない位いっぱいになった。
骨を壺から出して、広げた。それでも足りなくなって、
墓地に撒いた。正しい作法なのか知らない。
夢の中のことです。

お袋や親父と話せそうでした。
会うことは出来ないけど、話せそうでした。
たぶん話せる。
自分の中に、死んだ人が住んでいます。
記憶として残っている。
たぶん、こういうだろうな。
自分が過去(記憶)を辿るのか、死んだ人が今に甦るのか。
判然としません。すべて脳の中で起こっていることです。

小説を書いていると、
登場人物は、作者の自分ではなくなります。
主人公は、たぶんこうするだろうな。
作者とは、異なる人格です。
主人公は、架空の人物です。
その人が、生きているかのように読み取れます。
優れた作品でのことです。
脳に刻まれ、身体にしみ込んできます。
あの人のように生きたい。

長い間、会ってない人は、生きていても(死んだとは聞いてない)
過去の人です。墓に入っている親父たちと同じです。
正確にいうと、過去に会ったことがある記憶の中の人です。
電話をすれば話せるし、約束すれば会えるでしょう。
姿は変わっているでしょう。
記憶の中の人は、若いままです。

同窓会に出ると、シーラーカンスに会うような気持ちです。
あれだったのが、あんた。ですか。
化け物が出た。
お互い様。

今の彼とも話せるし、何十年も前の彼女とも話せる。
自由気ままです。
あの時、あんたはこう言った。
そうだったね。そして、お前と別れた。
長く生きてることの楽しみの一つです。

おじさんやおばさんの病気自慢の話を聞くのが辛かった。
今は、普通に話しているし、共感が持てるようになったということ。
ただ、生きている人と話せるほうがよい。
それからどうした。と相手から聞くことができる。
自分だけが、「それからがある」会話は面白くない。
聞きたくないこともあるだろう。
それなりに新しい発見もあるはずです。

たまに、あの時より可愛くなっている人に会うことがあります。
その後、良い人生を送ったんだなと思います。
本当は、見た目の印象だけで、素顔を知らなかっただけかもしれない。

ジャムづくり 弱火ことこと 知恵がつき

2017年10月24日
コメント
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