故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

赤毛のアン

2021-09-06 05:39:34 | よもやま話

絵のタイトルは、「なんかなあ」です。
自分の感性で生きてみろ。
自分にはっぱかけ、問いかける。


重いもの 動かすだけの 生きざまか

今日のタイトルは、「赤毛のアン」です。
書きたいと思うことが、日々現れてきます。
でも書けない。ぐずぐずしているうちにするりと逃げていきます。
暮らしに追われ、言い訳をしながら生きています。
一方、幻の魚イトーを吊り上げた時のように、厳かに書きたいことをリリースしていきます。
また、いつかまた私の許に帰ってきてね。

NHKの深夜番組で「赤毛のアン」を視ました。
今までは、「女の子」の物語として、遠目に見ていました。
生きるものとして、性を超える何かを感じたのです。
例えば、「親友をお茶会に呼ぶために、テーブルを飾る」とか、
「飾りのついたおしゃれな洋服を着たい」とか理解できなかった。
女の子だからと思っていたように思う。

改めて、女性を学ぼうと思った。
まず手始めに、妻が話しかけてくることに対応します。
(中断)
男の段取りとは違う、アンの仕草には細やかさや誠実さを感じます。
どうしてなの?という、感性から出てくる言葉は、
頭が良いだけではない、発するだけの勇気があります。
どうも、「赤毛のアン」は、女の子の応援歌という意識から抜け出ていないのでした。
もっと、一人の人間の生きざまとしてストレートに受け止めることができるのではないか。
彼女は本から得た知識(普遍性)を自分のものにし、時代背景や地域性を改善している。
本(大きめの字の)を買って読もうと思いました。

向田邦子という作家がいました。
身近なテーマ(半径5m)を題材にして、関わる者たちの心理を紐解く物語が多い。
時代を動かすストーリーではない。
待てよ。
私が生きている様は、日々の暮らしがあって初めて表現できる。
仕事で何かを成し遂げることのように、大切な日々の暮らしです。
私は、多くの些事を見逃して来た。
生きようとする必然があったからこそ、物語があるのです。
そして切り取るような珠玉の言葉が生まれるのです。
息吹に気づき、血のぬくもりを感じる。

そんなことを改めて学びたいと思いました。
さっそく、本屋に行きましょう。
手にした時の密かな歓びがにじんできます。

2021年9月6日
コメント
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