絵のタイトルは、「宴も半ば」です。
美味しいぶどうを食べ続け、思うところあって食べきらず残しました。
タイトルは、自分の生きざまもこうあれとつけました。
今日のタイトルは、「優しくなるとき」です。
落語の本題に入る前の枕詞のような話。
人ごみのなかに、恋人を見つけた。
帰るんなら送ろうかと声をかけた。
友達のところに行くことにした。との返事。
友達とは?と恐る恐る聞いた。
男の人のところ。と恋人は応えた。
男は、引き留めることができなかった。
三人の女と付き合い、今しがた心の中でこの人と決めたばかりであった。
目の前にいる女は、決めた人ではなかった。
そう。では送る必要はないか。
と女を見送った。
女は、引き留めて欲しかったかもしれない。
女は、うそをついたかもしれない。
確かめることはやめた。
男の狡さである。
人は、時としてひどいことをする。
その後ろめたさのバランスをとるために、「優しくなるとき」がある。
抑えきれない欲望に走ってしまった。
その結果は拭い去れないものである。
自分が一番知っているのに、生きる忙しさで忘れてしまう。
ふとした時に、残酷なことをしたと甦る。
目の前の人に、賠償のような優しさを示す。
返す時がきたときに、恩人はいない。
育ててくれた故郷は遠くになっている。
謝るには遅すぎる。
60歳に届きそうな女性が言った。
息子と娘がいるが結婚はしていない。
手元に置きたい気持ちもあるが、自分の道をみつけて歩いてほしいと心底思う。
そうですよ。私は、ここに来てよかった。
故郷ではないが、いただいた恩はどこでも返せますね。
と私が言う。
持っている金は使うほうがよい。
回りまわって戻ってくる。
とその女性は納得顔。
優しさもそうかもしれない。
あんなにひどいことをして生きてきたのに、仏のような人がいる。
人は、なんらかの十字架を背負って生きている。
孫様の わがままおかし ひなたぼこ
2018年10月28日