(抗がん剤)
良い薬は、使い方を誤ると劇薬になるものが多いという。
例えば、睡眠薬、乗り物酔い止めの薬。
一度に沢山服用すると、命を落とすことになる。
抗がん剤も同じだ。
抗がん剤はがん細胞を壊滅させる能力を持っている。
血管に注入するのであるが、うまく注入されず、
血管から溢れたとすると、周りの細胞が死滅して、
やけどの跡と同じように、ケロイド状態になるという。
ガン細胞は、人間が持つ細胞より早く、
細胞分裂を起こし増殖する。
その一瞬早く分裂するところを狙って、
抗がん剤が入り込みがん細胞を死滅させる。
ところが人間の細胞には、がん細胞と同じスピードで
分裂を起こす細胞があって、
この細胞も死滅させてしまう。
この同じスピードで分裂する細胞は、
口の中、食道、胃壁など内臓の内側、
毛根、白血球などがある。
食道、胃壁がやられるから、吐き気を催し、
食事が出来ない。
直腸がやられるから、下痢または便秘をする。
毛根をいためるので、脱毛する。
白血球がやられて、進入してくるばい菌を
やっつけることが出来ず、風邪を引きやすくなり、
怪我をすると直りにくくなる。
抗がん剤そのものは、非常に強い薬であるから、
細い血管に注入することが出来ず、
心臓に近い、背骨に沿ってある太い静脈―中心静脈―
に流しこむ。
心臓から、全身にはやく抗がん剤を流す。
心臓から血管を通じて、全身に回るスピードはほんの数秒。
血液のガンであるから、全身に抗がん剤が行き渡らなければ、
何の意味も無い。
抗がん剤の注入には、約30分掛かるが、
その間は主治医が着きっきりである。
薬が他に漏れる、他に思わぬ副作用で、
別の影響を与える、
患者が計算外の異常を訴える、などを監視するためだ。
抗がん剤の副作用(胃壁をいためるため気分が悪くなる)を
抑えるため、副作用を抑える薬を投与する。
その副作用を抑える薬に副作用があり、血糖値が上がる。
血糖値が上がるー糖尿病になるーを抑えるために、
インスリンを投与する。
白血球が死滅するため、白血球を増殖する薬を投与する。
色んな細胞が死滅するので、
体内の細胞を増殖させる薬を注射する。
下痢のひどい人は、下痢止めを...。
吐き気を催すので食べられない。
その上、下痢するのであっという間にやせ細ってくる。
食べ物の匂い、花のにおい、あらゆる臭いに反応して、
吐き気を催す。
こうした副作用で命を落とす人もいるようであるが、
それにしても最近の医学は素晴らしい。
治療しても「三年間生存率 30%」の告知を受けたとき、
三年後の医学の進歩にかけて、治療することにした。
抗がん剤投与が六回必要な中、
三回で骨髄の中にがん細胞が無くなっていたことが解かった。
この知らせを聞いたときの気持ちは、
誰にも想像することは出来ない。
サッカーのオリンピック出場選考試合の最終戦で、
日本が待望の先制点を入れたような快挙であった。
三年後の医学の進歩に賭けて、始めた治療も、
実は医学の長足の進歩の後だったことを知った。
きっと三年後に治療することも無く、
平穏無事に過ぎるに違いないと、この時感じた。
しかし、骨髄にがん細胞が無くなったからと言って、
この三ヶ月で治療が終わることなく、
当初の予定通り通算六ヶ月の治療は必要だ。
残る三ヶ月間の厳しい闘病生活は続いた。
副作用は一ヶ月目より、二ヶ月目。
二ヶ月目より三ヶ月目と厳しくなり、
月を追い回数を追うごとに、副作用を押さえる薬量も
増量せざるを得ず、苦しみも増加していった。
終戦時の天皇の玉音放送ではないが、副作用の我慢は、
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」
残りの三ヶ月であった。
当初、治療の説明を受け、
治療することを選んだのはボク自身。
苦しみも耐え、将来へ希望を繋ぐのもボク。
良い薬は、使い方を誤ると劇薬になるものが多いという。
例えば、睡眠薬、乗り物酔い止めの薬。
一度に沢山服用すると、命を落とすことになる。
抗がん剤も同じだ。
抗がん剤はがん細胞を壊滅させる能力を持っている。
血管に注入するのであるが、うまく注入されず、
血管から溢れたとすると、周りの細胞が死滅して、
やけどの跡と同じように、ケロイド状態になるという。
ガン細胞は、人間が持つ細胞より早く、
細胞分裂を起こし増殖する。
その一瞬早く分裂するところを狙って、
抗がん剤が入り込みがん細胞を死滅させる。
ところが人間の細胞には、がん細胞と同じスピードで
分裂を起こす細胞があって、
この細胞も死滅させてしまう。
この同じスピードで分裂する細胞は、
口の中、食道、胃壁など内臓の内側、
毛根、白血球などがある。
食道、胃壁がやられるから、吐き気を催し、
食事が出来ない。
直腸がやられるから、下痢または便秘をする。
毛根をいためるので、脱毛する。
白血球がやられて、進入してくるばい菌を
やっつけることが出来ず、風邪を引きやすくなり、
怪我をすると直りにくくなる。
抗がん剤そのものは、非常に強い薬であるから、
細い血管に注入することが出来ず、
心臓に近い、背骨に沿ってある太い静脈―中心静脈―
に流しこむ。
心臓から、全身にはやく抗がん剤を流す。
心臓から血管を通じて、全身に回るスピードはほんの数秒。
血液のガンであるから、全身に抗がん剤が行き渡らなければ、
何の意味も無い。
抗がん剤の注入には、約30分掛かるが、
その間は主治医が着きっきりである。
薬が他に漏れる、他に思わぬ副作用で、
別の影響を与える、
患者が計算外の異常を訴える、などを監視するためだ。
抗がん剤の副作用(胃壁をいためるため気分が悪くなる)を
抑えるため、副作用を抑える薬を投与する。
その副作用を抑える薬に副作用があり、血糖値が上がる。
血糖値が上がるー糖尿病になるーを抑えるために、
インスリンを投与する。
白血球が死滅するため、白血球を増殖する薬を投与する。
色んな細胞が死滅するので、
体内の細胞を増殖させる薬を注射する。
下痢のひどい人は、下痢止めを...。
吐き気を催すので食べられない。
その上、下痢するのであっという間にやせ細ってくる。
食べ物の匂い、花のにおい、あらゆる臭いに反応して、
吐き気を催す。
こうした副作用で命を落とす人もいるようであるが、
それにしても最近の医学は素晴らしい。
治療しても「三年間生存率 30%」の告知を受けたとき、
三年後の医学の進歩にかけて、治療することにした。
抗がん剤投与が六回必要な中、
三回で骨髄の中にがん細胞が無くなっていたことが解かった。
この知らせを聞いたときの気持ちは、
誰にも想像することは出来ない。
サッカーのオリンピック出場選考試合の最終戦で、
日本が待望の先制点を入れたような快挙であった。
三年後の医学の進歩に賭けて、始めた治療も、
実は医学の長足の進歩の後だったことを知った。
きっと三年後に治療することも無く、
平穏無事に過ぎるに違いないと、この時感じた。
しかし、骨髄にがん細胞が無くなったからと言って、
この三ヶ月で治療が終わることなく、
当初の予定通り通算六ヶ月の治療は必要だ。
残る三ヶ月間の厳しい闘病生活は続いた。
副作用は一ヶ月目より、二ヶ月目。
二ヶ月目より三ヶ月目と厳しくなり、
月を追い回数を追うごとに、副作用を押さえる薬量も
増量せざるを得ず、苦しみも増加していった。
終戦時の天皇の玉音放送ではないが、副作用の我慢は、
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」
残りの三ヶ月であった。
当初、治療の説明を受け、
治療することを選んだのはボク自身。
苦しみも耐え、将来へ希望を繋ぐのもボク。