楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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介護されるとは? 大・小の用意

2021年11月13日 04時15分14秒 | つれづれなるままに考えること
以前トイレのことを書いて、

皇女和宮が旧中山道を下るに当たり、
ご宿泊になる宿場の本陣が慌てて、
宿泊所を改造している記録が残って居る。
そう書いて終わったが、

今日はその続きである。


中でも信濃(長野県)の小田井宿本陣は
上段の間、二の間、三の間、そして厠、湯殿なども、
畳の入れ替えなどしている。

厠は、大用所・小用所共に
二畳の畳敷きを新しい畳に取り替えた。

二畳の畳敷きというのが不思議でならなかった。

でも説明を聞いて、すぐに納得がいった。

天皇などの高貴な方は大の用を足した後も、
自分でお尻を拭くのでなく、

きっと御付きの方が始末なさるに違いない。

第一、畳の間にそのまま、
ジョーと小用を済ますわけでなく、

大便もそのまま畳の上に置くわけではあるまい。
おそらくオマルが置かれていただろう。

オマルの中を見て、御典医がその色や匂いを見て、
体調に異常はないか判断したに相違ない。


それにしても小さい頃から同じことをしているから、
恥ずかしいも何も無いとは言え、
どうも不思議である。

もし仮に、カミさんが大でも小でも用を足して、
終わったらその後始末を、
亭主のボクがするのを我慢できるだろうか、
はなはだ疑問である。


しかしいつか体を動かすことも出来ない病に倒れ、
止もう得ずこんなことをして貰う羽目にならないとは言えない。

いくら介護保険が役に立っても、
せめて大・小の用くらい自分で始末したいものだ。

106歳で大往生した叔母が、
最後までこれだけは自分でやりたい、
と言っていたのが、
頷ける。


コメント (8)
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