(アウシュビッツ捕虜収容所の博物館の看板)
アウシュビッツ強制収容所は、
現在「負の世界遺産」
「アウシュビッツ博物館」として残っている。
アウシュビッツを見学して、印象が強烈過ぎて、頭が混乱し、
チェコも、スロバキアも、ハンガリーも何を観てきたか、
何も残っていません。)
(アウシュビッツ入り口)
(収容者の見張台と高い塀)
(並ぶ収容所)
まず、アウシュビッツのガイドは、
中谷 剛さん。ポーランド語を勉強し、
ポーランド語でポーランドのガイド試験に合格した、
アウシュビッツで唯一の日本人ガイド。
日本の総理大臣にも、議員さんにも、
われわれ観光客にも、
「私は同じ説明をします」と言う。
とつとつと話す内容は、
詳しい勉強の痕(あと)を物語っている。
戦争とは?
人間とは?
生きるとは?
問題を投げかける説明をする。
虐殺された数150万人。遺品をリサイクルするため、
品物ごとに展示してある。
ドイツ・ナチスが敗戦と共に、
証拠隠滅を図ったが、
それでも残った膨大な展示物の数々...
(義足の数々)
自分の名前を書き記した鞄の数々。展示物をガラス越しに撮影.
(カバンの山)
髪の毛、義足など、子供の靴、女性の靴、男性の靴、
未知の土地に希望を託して、
持ち込んだ全財産を入れた鞄、鞄、鞄、...
時間の経過と共に風化して触れば粉になるのではないか、
と言われる
その展示物を今後どのように保存するか...
問題は山積する。
ポーランド人をはじめユダヤ人が
強制収用されてやってきたが、
その人達が薄々には、
感じていたと思われる処刑への旅。
(収容所にやって来た人達)
(収容所の当時の写真から)
列車から降りると、軍医が収容者の顔色を見て、
強制労働に耐えうるかどうかを決め、
右左(みぎ、ひだり)に人を振り分ける。
右へ行けば過酷な強制労働が待っており、
左に行けば、ガス室での虐殺が待っている。
(列車から降ろされた場所)
(向こうに見える森まで歩かされる)
(ポーランド人が造った自分たちを葬るガス室ー右側の建物)
(ポーランド人が自分たちの絞首刑の死刑台)
(ポーランド旅行のアルバムの処分はつづく)