楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
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     ・おくのほそ道を歩く

思い出のアルバム6-ワルシャワ(ポーランドを旅して 2)

2021年06月13日 03時55分00秒 | つれづれなるままに考えること


(爆撃で瓦礫の山と化した市街を
       以前に復元させたポーランド人の心意気)

(アウシュビッツ1)

ポーランドからチェコ、スロバキア、
ハンガリーと約二週間の旅をして、
印象に残ったのは、ポーランドのワルシャワの街並み、
それにショパンの曲とアウシュビッツ。

(ホテルからの街並み1)

(街並み2)

(街並み3)


(街並み4)

(街と様子)

(街の様子2)

(街の様子3)

(街の様子4)

(ワルシャワの街の様子5)

映画の中ではありません、これが現実のポーランドの人たち

(ポーランド人らしい伝統的な服装)

(町の様子6)

(街の様子)

(ショパンの記念公園1)

(ショパンの記念公園2)

映画「戦場のピアニスト」に出てくる廃墟のシーンは、
第二次世界大戦で、
全くの廃墟となったワルシャワそのもの。
しかし、その廃墟を全く同じ街に復元したのが
ワルシャワっ子の心意気という。
旧市街のスタレ・ミャストの美しい町並みが続く。

(スタレ・ミャストの旧市街)

国土は日本の五分の四の広さに、
約4000万人が居住する農業国。
従って、観光するには、
広々とした田園風景の丘陵地帯が延々と続く中を、
バスで走っていく。
ツアー人数は14名。大型50人乗りのバスに、
ゆったり座り観光を続ける。

(スタレ・ミャストの旧市街2)

美しいショパンのピアノ曲に魅せられ
訪れることになったポーランド。
ワルシャワからバスに揺られて一時間。

その田園風景の中をショパンの故郷
ジェラゾーバ・ポーラへ。
ショパンの生家でショパンの曲の
ミニコンサートを楽しむために出かけた。

(ショパンの家の広大な庭1)

(ベンチまである大きな庭2)

(ショパンの生家へ)

(ショパンの生家)

(ショパンの生家の森3)

ショパンの生家は、広大な森のある庭の中に、
こじんまりとたたずんでいた。
生家の中を案内される。
食堂が、居間だ、客間だ、ピアノを練習した部屋だ。
家の中から外を見ると、
朝日を通して黄葉が美しい。
栗のような形のマロニエの実が、
落ち葉の上に落ちてくる音だけが響く静けさ。

(食堂)

(フィレデリック・ショパンと書かれている居間の入り口)

(ショパンの肖像画)

(生家を囲む森)

(生家を囲む森2)

(生家を囲む森3)

(マロニエの葉)

ショパンの曲のミニコンサートが始まる。
ピアノ奏者は、
アンナ・ヤストルジェブスカーキンさん。
第一回ショパン国際ピアノコンクールの優勝者。
今はワルシャワのショパン音楽アカデミーで
ピアノを教えている。
かなり年配の女性が美しいショパンの曲を
7曲も弾いてくれた。
音痴の私の心にも、これらの曲は十分快く響いた。

(ミニコンサート)

こうして一日は終わった。
二日目もクラクフの旧市街地を観光し、
古き良き市街地―世界遺産―を観て回った。

(クラクフの街角)


(ヴェリチカ岩塩坑内の岩塩で出来たシャンデリア)

(岩塩で出来たシャンデリア)

翌日、ヴェリチカの地下岩塩坑見学の後、
ポーランド語でオシフエンチム、
ドイツ語でアウシュビッツに出かけた。


(ポーランド旅行アルバムの処分はつづく)


コメント (8)
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