楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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歩いてみたい芭蕉の道(芭蕉が旅した道)

2020年08月19日 03時25分53秒 | 芭蕉の旅
2008年に書いて下書きのままになって居た記事が見つかった。

どうして芭蕉が歩いた道を歩いて見たくなったのか、

書いています。

(旅立つ前に)
芭蕉の句に興味を持ち始めたのはつい最近のことである。
旧中山道を歩きはじめて28日経過し、振り返ってみると、
随分沢山の芭蕉句碑に出会ったことが興味の持ちはじめであろう。

高校生のころ、「奥の細道」の一部を授業で取り上げられ、
覚えた俳句は沢山ある。

しかし、その俳句は自然の情景を見事に掴み、
17文字に人生を表わした芭蕉の才能に感嘆したのが,
心の底に残っていたのかも知れない。

最近、図書館で「芭蕉の恋句」なる小冊子を読み、
芭蕉にも恋の句があるのかと知ったのもついこの間のこと。

以前述べた記事と、
話が重なって申し訳ありませんが、お許しいただきたい。

2008年の秋、旧中山道を歩いて長野の洗馬宿で見つけた芭蕉句碑には、

信濃の洗馬にて

①入梅はれの わたくし雨や 雲ちぎれ   

俳諧一葉集より     芭蕉とある。

「入梅」は(つゆ)と読むのであろうが、どうも句の意味が解りにくい。

芭蕉の句はボクが知っている限り、
その意味が極めてわかりやすいと思っていたのであるが・・・

もうひとつ、やはり信濃の平沢(塩尻市役所の)支所の芭蕉句碑に

②送られつ をくりつ果ては 木曽の秋   はせを 

がある。

これにはもうひとつの句

③送られつ 別れつ果ては 木曽の秋 

があることを知った。

いったいどれが正しいのであろうか?

疑問に思った。

芭蕉については、沢山の方が研究をされており、

関連する本も沢山出ている。

奥の細道を歩くのなら「奥の細道の旅ガイドブック」、
「芭蕉はどんな旅をしたのか」、
「旅人・曾良と芭蕉」、
「新芭蕉講座1~」、
「西行・芭蕉の詩学」、
芭蕉の俳句のすべてを知りたければ「芭蕉俳句集」、などなど。

前述した「芭蕉の恋句」もある。

①入梅(つゆ)はれの わたくし雨や 雲ちぎれ について、

普通、芭蕉の俳句はとても明解で理解し易いのに、

解りにくいのは草書の字そのものの読み方が違うのかもしれない。

この句は、芭蕉俳句集によると、
芭蕉の句として伝来しながらも、芭蕉の句としては疑わしいとして、
「存疑の部」に収録されている。

なるほど、芭蕉の句としては、
意味が解りにくいと思ったが、これで納得できた。

この句は芭蕉の句ではないかもしれないのだ。

②送られつ をくりつ果ては 木曽の秋

について、芭蕉俳句集の(注釈)に寄れば、
(笈日記/(おいのにっき)岐阜の部に「その年(貞享五年)の秋ならん、
この国より旅立て更科のつきみんとて、
「留別四句」として初めにあげる。)とある。

③送られつ 別れつ果ては 木曽の秋

については、同じ一文の中で同じ言葉を並べないのが原則、

から考えれば「送りつ」より
「別れつ」のほうが句としてよいように思うと述べた。
(URL:https://blog.goo.ne.jp/wxm68971-1936/e/2201b9c023799edace30ee12a00e6330古中山道の諏訪神社(旧中山道をあるく 161)参照

芭蕉俳句集によれば、

②の「送りつ」を

③の「別れつ」に芭蕉が推敲したものと判明した。

やはり芭蕉も「別れつ」のほうが良いと思ったのであろう。

さて、松尾芭蕉は「奥の細道」へ出立したのは3月27日。

深川の芭蕉庵を人に譲り、

杉風の別墅(べっしょ)採荼庵(さいとあん)から旅立ったことは良く知られている。

そこで深川を訪ねた。芭蕉庵と採荼庵の場所を見てみたいからだ。

・行く春や 鳥啼き魚の 目は泪 
コメント (8)
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