2008年に書いて下書きのままになって居た記事が見つかった。
どうして芭蕉が歩いた道を歩いて見たくなったのか、
書いています。
(旅立つ前に)
芭蕉の句に興味を持ち始めたのはつい最近のことである。
旧中山道を歩きはじめて28日経過し、振り返ってみると、
随分沢山の芭蕉句碑に出会ったことが興味の持ちはじめであろう。
高校生のころ、「奥の細道」の一部を授業で取り上げられ、
覚えた俳句は沢山ある。
しかし、その俳句は自然の情景を見事に掴み、
17文字に人生を表わした芭蕉の才能に感嘆したのが,
心の底に残っていたのかも知れない。
最近、図書館で「芭蕉の恋句」なる小冊子を読み、
芭蕉にも恋の句があるのかと知ったのもついこの間のこと。
以前述べた記事と、
話が重なって申し訳ありませんが、お許しいただきたい。
2008年の秋、旧中山道を歩いて長野の洗馬宿で見つけた芭蕉句碑には、
信濃の洗馬にて
①入梅はれの わたくし雨や 雲ちぎれ
俳諧一葉集より 芭蕉とある。
「入梅」は(つゆ)と読むのであろうが、どうも句の意味が解りにくい。
芭蕉の句はボクが知っている限り、
その意味が極めてわかりやすいと思っていたのであるが・・・
もうひとつ、やはり信濃の平沢(塩尻市役所の)支所の芭蕉句碑に
②送られつ をくりつ果ては 木曽の秋 はせを
がある。
これにはもうひとつの句
③送られつ 別れつ果ては 木曽の秋
があることを知った。
いったいどれが正しいのであろうか?
疑問に思った。
芭蕉については、沢山の方が研究をされており、
関連する本も沢山出ている。
奥の細道を歩くのなら「奥の細道の旅ガイドブック」、
「芭蕉はどんな旅をしたのか」、
「旅人・曾良と芭蕉」、
「新芭蕉講座1~」、
「西行・芭蕉の詩学」、
芭蕉の俳句のすべてを知りたければ「芭蕉俳句集」、などなど。
前述した「芭蕉の恋句」もある。
①入梅(つゆ)はれの わたくし雨や 雲ちぎれ について、
普通、芭蕉の俳句はとても明解で理解し易いのに、
解りにくいのは草書の字そのものの読み方が違うのかもしれない。
この句は、芭蕉俳句集によると、
芭蕉の句として伝来しながらも、芭蕉の句としては疑わしいとして、
「存疑の部」に収録されている。
なるほど、芭蕉の句としては、
意味が解りにくいと思ったが、これで納得できた。
この句は芭蕉の句ではないかもしれないのだ。
②送られつ をくりつ果ては 木曽の秋
について、芭蕉俳句集の(注釈)に寄れば、
(笈日記/(おいのにっき)岐阜の部に「その年(貞享五年)の秋ならん、
この国より旅立て更科のつきみんとて、
「留別四句」として初めにあげる。)とある。
③送られつ 別れつ果ては 木曽の秋
については、同じ一文の中で同じ言葉を並べないのが原則、
から考えれば「送りつ」より
「別れつ」のほうが句としてよいように思うと述べた。
(URL:https://blog.goo.ne.jp/wxm68971-1936/e/2201b9c023799edace30ee12a00e6330古中山道の諏訪神社(旧中山道をあるく 161)参照
芭蕉俳句集によれば、
②の「送りつ」を
③の「別れつ」に芭蕉が推敲したものと判明した。
やはり芭蕉も「別れつ」のほうが良いと思ったのであろう。
さて、松尾芭蕉は「奥の細道」へ出立したのは3月27日。
深川の芭蕉庵を人に譲り、
杉風の別墅(べっしょ)採荼庵(さいとあん)から旅立ったことは良く知られている。
そこで深川を訪ねた。芭蕉庵と採荼庵の場所を見てみたいからだ。
・行く春や 鳥啼き魚の 目は泪