(憾満ヶ淵)

(日光8)
裏見の滝から戻り120号線を日光東照宮方面に進むと、
右手に「日光 田茂澤御用邸記念公園」があるので、
御用邸公園を過ぎた所の信号を右折する。
(旧田茂沢御用邸記念公園の門)

御用邸記念公園については、
(この御用邸は大正天皇のご静養のため明治32年(1899)に造営された。
その後大正天皇のご即位に伴い、大正7年から9年にかけて、
大規模な増改築がなされ現在の姿となりました。
また、昭和19年には、現在の平成天皇が疎開のため、
約一年間滞在されている。
栃木県では、平成10年から修復整備して、
広く県民が利用できる公園として公開された。)
要約すると以上のように、
旧田茂沢御用邸の概略が記されている。
(田茂沢公園)

話がそれてしまったが、
旧田茂沢御用邸記念公園の信号を右折したら、
突き当りを左折して、出た十字路を右折する。
十字路の右手向こう側に庚申塚の石碑が三基あります。
その十字路を右折してT字路に出たら、
さらに右折するとお寺があり門前に石碑があるので、
ここを左折すると、大谷川に架かる橋があるので渡る。
橋を渡り終えた左に駐車場があるが、
この駐車場を左に見て道なりに右へ行くと、
突き当たりに公園風の駐車場があり、
右手にお手洗いがあり、
左手は少し高い所に飲食店がある。
(公園風の憾満ヶ淵の駐車場この右手にお手洗いがある)

(右手の建物がお手洗い)

(左手の高台にある飲食店)

駐車場と左の飲食店との間に通路があり、
「憾満ヶ淵」直進の矢印の看板が見える。
直線の道路の奥に山門が見え、
左右は樹木が栽培されているような、
石を配置した公園になっている。
(通路と憾満ヶ淵の案内看板)

(憾満ヶ淵の案内)

(石を配置した公園)

(奥に見える山門)

進むと右手に大正天皇の歌碑があり、
(水辺夏月
・衣手もしぶきにぬれて大谷川
月夜涼しく岸つたいせり)
・衣手もしぶきにぬれて大谷川
月夜涼しく岸つたいせり)
と彫られている。
その先の慈雲寺の扁額のある山門をくぐると、
右手は大谷川が音を立てて流れており、
すぐ左手に慈雲寺の説明板があって、
白壁のお堂が建っている。
説明板には、
(承応3年(1654)に、憾満ヶ淵を開いた晃海大僧正が創建し、
阿弥陀如来と師の慈眼大師天海の像を祀った。
当時の建物は明治35年(1903)9月の洪水で流失し、
現在の本堂は昭和48年になって復元された。以下省略)とある。
(慈雲寺の扁額)

(白壁のお堂が見える、復元された本堂)

このお堂の先に、地蔵様が何基あるのか、山際にずらりと並んでいる。
誰が数えたのかわからないが、全部で84基あるそうであるが、
行きに数えた地蔵様と、帰り際に数えた地蔵様の数が合わず、
お化け地蔵の異名を貰っている。
並ぶ地蔵様に沿って進むと、
右手大谷川の流れが激しく渦巻いて進んでいるのがわかり、
崖っぷちに「霊屁閣(れいひかく)」と名づけられた、護摩壇がある。
(地蔵様が川に向って並ぶ様は壮観)

(護摩壇の川向こうに見える大岩に「憾満」の梵字があると言う)

この護摩壇の対岸の岩に、
晃海大僧正が筆を投げたところ「憾満」の梵字が現れたと言う。
この霊屁閣の対岸までの大谷川を、「憾満ヶ淵」という。
憾満ヶ淵について、
(男体山から噴出した溶岩によって造られた奇勝で、
古くから不動明王が現れる霊地と言われる。
川の流れが不動明王の真言を唱えるように響くので、
晃海大僧正が真言の最後の句の「かんまん」を取り、
憾満ヶ淵と名づけたと言う。-後略)とある。(日光市)
(憾満ヶ淵の流れ)

(憾満ヶ淵2)

この辺りまで川に向って、石の地蔵が並んでいるが、
憾満ヶ淵の辺りは恰好の散歩道で、
外国人の方もよくお出でになり、
閑静な境地である。
(ずらりと並ぶお地蔵様)

(お地蔵様)

・かんまんの 淵青みたり 蝉しぐれ hide-san