goo blog サービス終了のお知らせ 

Untersee-Boot

あるいは感想記として

『スポーツドリーム』 2/27

2010年03月05日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、全日本男子バレーボールの植田辰哉監督。

まずは、

南原 「さぁ、植田監督です、よろしく願いします!」
植田 「はい、よろしくお願いします」
南原 「さぁ植田監督はね、実は、あの~、香川県ご出身ということで」
植田 「はい」
南原 「私と同郷で」
植田 「そうですね」
南原 「はい」
植田 「はい」
南原 「全然知らなかったです」
植田 「あぁ」
南原 「いや、香川県だなっていうのは何となく噂で聞いてたんですけど」
植田 「はい」
南原 「そして今日新しい事実が判明したんですけども」
植田 「はい」
南原 「同い年、同学年っていう」
植田 「ねぇ、ホント、僕はあの、南原さんが香川県出身っていうのは前から知ってましたよ」
南原 「あ、そうですか(笑)」
植田 「僕は知ってました(笑)」
南原 「すいません、変な奴が出てきたと思ったでしょ」
植田 「いえいえいえ、嬉しい嬉しいです」
南原 「「あらあらこんな奴が出てきた」とか」
植田 「嬉しいですよ、はい」
南原 「いや~、僕も監督がね、あの、熱くなって(北京五輪出場を決めた試合の直後)コートにうっ伏してるのは」
植田 「ハハハハハハハ」
南原 「「この人が香川出身!?」という」
植田 「(笑)」
南原 「「あぁいうことをやる?この県民性が?」というのがね」
植田 「ハハハハハ」
南原 「ビックリしたんですけども」
植田 「う~ん、ねぇ」
南原 「ねぇ」
植田 「すいません」
南原 「あんときはもう、そういう気持ちだったんですか?」
植田 「いやいやもう無意識ですね、崩れ落ちたっていう」
南原 「アッハハハハハハハ」
植田 「膝から崩れ落ちました」

というやり取りで番組はスタート。
香川県出身の有名人といえば、大平元総理に松本明子さん、そして、我らがうどんの国の王子(あるいはダウンスイングの主)こと南原さん(笑)ぐらいしか知りませんでしたが、植田監督も香川出身だったのか~。
瀬戸内海のさざ波を見て育った人が、北京五輪出場を決めてコートに突っ伏すというド派手なリアクションをするとは、同郷の南原さんも意外だったようですが、香川県人にもいろいろなタイプの人がいるということなのでしょう(笑)。
ただ、

南原 「僕は男子のバレーボールもよく見てたんです、僕が男子んときは」
植田 「えぇ」
南原 「高校生のときは、三屋とか、広瀬さんとか」
植田 「はい、はい、はい、はい」
南原 「あそからへんがすごい人気で」
植田 「白井貴子さんとかね」
南原 「白井貴子さんとか!!」
植田 「はい」
南原 「モントリオール(五輪)のね」
植田 「はい」
南原 「えぇ」
植田 「強烈な方ですね」
南原 「強・・あ、今でも強烈ですか?」
植田 「今でもです」
南原 「アッハハハハハ」
植田 「今でも強・・たまに僕あの、今オリンピアが集まってね」
南原 「はい」
植田 「たまにこうバレーボールの、ママさんバレー相手に試合するんですけど」
南原 「はい」
植田 「たまに僕もコートに入らなければいけないんですよ」
南原 「はいはい、「入れ」とか言われて」
植田 「叱れらてばっかりですよ」
南原 「アッハハハハ、白井貴子さんですか」
植田 「もう皆さん、もうオリンピアの人怖いですよ」
南原 「アッハハハハ」
植田 「もうまさに魔女です、魔女」
南原 「アッハハハハ」
植田 「大きくなった魔女です」
南原 「アッハハハハ」
植田 「これ(笑)、ヤバイなこれ(笑)」
南原 「ハハハハ、いやいやいや、それくらい親近感を持ってるっていうことですよね」
植田 「はいはい、そういうことです」
南原 「誰も逆らえないっていう」
植田 「尊敬・・」
南原 「尊敬の念を込めて」
植田 「尊敬の念を込めて、あえて恐ろしい」
南原 「アッハハハハハハ」
植田 「恐ろしいっていう」
南原 「あのね、ほら、香川県の人はチョイチョイ笑いを挟んでくるんですよ」
植田 「ハハハハハハハ」
南原 「ずーっとまともに行こうっていうか、チョイチョイ挟みたくなる」
植田 「チョイチョイね」
南原 「えぇ」

という話もしていましたので、チョイチョイ笑いを挟んでくるのは、香川県民共通の特徴のようです(そんな県民性があるというのは初耳ですが・笑)。


そんな同郷話のあとは、

南原 「植田監督が代表監督に就任して、まず」
植田 「はい」
南原 「これは、ま、いろんなね、人材育成とか」
植田 「はい」
南原 「今の若い人をどんなふうに持っていったらいいのかと」
植田 「うん」
南原 「僕もちょっとね、いろいろとお話聞きたいんですけども」

という南原さんの質問に応え、植田監督が日本代表の監督に就任して16年ぶりにオリンピック出場を決めるまでのチーム作りについての話に。
日本は'92年以降オリンピックに出場することも出来ず、アジアの中でも6,7番目まで落ちてしまっていたそうですが、植田監督いわく、
30年ぐらいかかってなだらかに落ちてきたものを、なだらかに上げようと思ったら100年くらいかかってしまうと思ったので、バサっと切ってすべて否定から入った。
アメリカやイタリアのバレーの斬新な練習方法や合理的なトレーニングなどをすべて取り入れてるけど勝てない。今やってることはすべてダメ。
これまでやってきたことを切り、徹底的に底まで落とし込むことを年に2,3回やった。
とのこと。
そんな植田監督の話を聞き、「すごい、言葉悪いですけども、ドSじゃないですか、アッハハハハ」というツッこみを入れていた南原さん(笑)。
ただ、その後すぐ「落とすってどうやって落・・落としてでも、そこでふて腐れてとか「ヤダよ」とか」「今の若い子は、僕なんかも例えば演出やるときに、どこまで言っていいのかわからないとかあるんですけども」という真面目な質問。
う~む、演出家・南原さんにも色々と悩みがあるようですが、その話はとりあえず置いといて。
植田監督いわく、
根性論だけでは絶対について来ないので、具体的に達成可能な目標を決めていく。
その目標をいつまでに達成するか、達成するためには今何をしなければいけないのか時間を決めて(2008年にオリンピック予選があるから2005年には少なくともアジアで1番にならなければいけない・・等々)やっていく。
とのことでした。
食事もバイキングをやめて、

植田 「栄養士つけて」
南原 「はい」
植田 「それは僕が言ってもダメで、栄養士にちゃんと僕が言っといて」
南原 「はい」
植田 「とにかく食わない選手は強くならないから、ね、栄養士に、「肉、野菜、ご飯、とにかく残すな」と、とにかく出されたものは最後まで食べる」
南原 「ハハハハハ、はい(笑)」
植田 「で、食べれない選手は」
南原 「はい」
植田 「2時間半かって」
南原 「出た~!」
植田 「食べましたよ」
南原 「あの給食のイヤな、最後まで食べろっていう」
植田 「そう」
南原 「小学校のときの」
植田 「もうそこにはお母さん役の栄養士の女性がちゃんとずーっと、僕がついてて」
南原 「(笑)」
植田 「最後食べ終わるまでそこにいるんです」
南原 「(笑)」
植田 「だから(笑)、夜ご飯7時半とか8時に食べ始めたら、10時半頃まで食ってる奴がいて」
南原 「アッハハハハハ、そうこうしてるうちにまた朝飯が始まっちゃうわけですよね」
植田 「そうそう、そういうことです、だから弱いんですよ、それだけ食べれないっていうことはやっぱり体力がないっていうことを証明してるってこと」
南原 「スッゲぇ、植田ジャパンはまず胃袋を鍛えることから始まったんですか」
植田 「胃袋っていうか、まず食べること」
南原 「食べる(笑)」
植田 「衣食住ですから」
南原 「いや~!すごい、でもそれを、みんなが、今の子でもついてくるんですかね?」
植田 「ついてきますね」

といふうにしたそうで。
居残りで給食を最後まで食べさせられる姿は、小学生の頃に一度は見た風景で(私は、嫌いだったマーガリンを牛乳で飲み干すという荒業で居残りから逃れてました・笑)、それを日本代表の選手が同じようにやっているというのは想像すると笑ってしまいそうですが、でも、食べることは基本ですから「とにかく残すな」というのは当たり前の話ではあります。
それから、南原さんの「今の子でもついてくるんですかね?」という疑問については、植田監督によると、
やることをオープンにする。
1年間のマクロ的な計画立て、逆算して数ヶ月間前、最後の1週間、最後の3日 最後の1日にどういうことをやるのか、食事はこういうメニューにする、ということを全部話す。
そこで意見や質問受けて議論をし、みんなが納得して約束したことはやりますよ。
とのことでした。
そして、基礎体力がないとこには基礎技術も乗っかってこないし、基礎技術がないとこには専門的な技術とか体力乗っかってこない。土台がどんどんデカくなってくるとすべてがトータル的に上がってくる。
という植田監督の話には、「それでも今監督ね、監督今おっしゃったのは日本のスポーツ全般に言えることかもわかんないです、基礎体力をまず上げて、そっから基礎技術が乗っかって」と、大いに納得の様子の南原さん。
あと、植田監督のスパルタ的なチームづくりについて南原さんは、「平成の今の話ですよ、昔の話じゃないんですよ これは同じなんですね、変わってないんですねやっぱり」と、感心しきり(笑)。
そんな南原さんに植田監督は「30年周期で色んなものが変わってくるどっかで聞いたことある」「古いものが新しい時代に来てるんじゃないかと思いますよ」と言ってましたが、まさに温故知新ということ(植田監督のやり方は単に昔に戻っただけではなく、ちゃんと理に適ったことをやっていると思いますが)なのでしょう。


あとは、植田監督が出した『植田辰哉・徹底マネジメント』という本についてもあれこれと。
この本は、2005年から北京五輪までの間にどういうようなチームマネージメントをしたのかを、図解や表、数字などを入れてわかりやすく説明しているそうで。
南原さんは、「僕じゃあ読みますよ、これは」「僕こういうの好きなんですよ」と、かなり興味津々の様子でしたので、ちはるが経営するカフェで早速一人読みふけっているかもしれません(笑)。


最後は南原さんの、「バレーボールの監督というよりやっぱりホントに企業の青年実業家っていう感じもしました、えぇ、しかしね、同郷なので僕わかります、心根の優しさがわかります、たぶんこれが選手に伝わってると思います」という、同郷なのでわかるわかる話で番組は終了(笑)。
香川話からバレー話まで、同郷同士和やかに話に花が咲いていた30分でありました。


今回、いろいろと話していた中で印象に残ったのが、植田監督のチーム作りについて、南原さんが熱心に話を聞いていたこと。
現代狂言の演出をやるにあたっては、南原さんも考えることも多く色々と気を遣っているようで。
かつて、よゐこ濱口くんには「刺し違えても・・」ってなことを言ったり、寝違えた天野君には「辛気臭ぇからあっち行け」と言ったりしていましたが(笑)、今はなかなかそういうことも言えない・・のかな?
森君のことを、いまだに「君」づけで呼んでるあたり、まだちょっと遠慮がある感じもしますし。
ただ、共演者の先輩として何か言うのと、演出をするのとでは立場が違いますので、発言や気の遣い方が変わってくるのも当然かもしれませんが・・・。
う~む、なかなか難しいところだな~(別に私が悩む必要もないのですが・笑)。
もっとも、南原さんが厳しいことを言っても「心根の優しさ」は選手に・・いや、座員には伝わっていると思いますので(笑)、これからも南原座長には、植田監督に負けないくらいビシバシと行って欲しいと思います(笑)(たまには気を遣わない自由気ままな姿を見せてくれればなお嬉しいです・笑)。


次回に続く・・・。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。