順番が、もうわやくちゃになってるけど、この日、京阪八幡市駅スタートで遠足を楽しんでいた。
『飛行神社』へ行った後、っていう順番だ。
また石清水八幡宮へ戻ってきて、位置的には頓宮殿と二ノ鳥居の間位。
駐車場の向こう側に、とっても趣きのある橋が架かっていたの、挽きつけられて。
放生川に架かった橋。それは安居橋。
どうやらこの辺り、『やわた放生の景』と銘打たれ、京都府の歴史的自然環境保全地域に指定されている、
男山の美しい緑、石清水八幡宮、そしてこの安居橋など、自然と史跡が共存する公共空間として、
市民の憩いの場となる事を目指して整備されたもの。
安居橋(あんごばし)には諸説あるらしい。
鎌倉時代から八幡の町ぐるみで行われていた安居神事から名付けた。うん、これが分かり易いと思うけど。
直ぐ川下にあった『五位橋』に相対する仮の橋として造られたのが、『相五位橋』(あいごいばし)。
これが変化して安居橋と呼ばれるようになった・・・とか、どっちでも良いけど、
分からない位、昔からここに架かってる歴史ある橋なのだ。
元禄七年(1694年)には『安居橋の月』が、八幡八景のひとつとして選ばれ、数々の歌が詠まれたと。
慶応四年(1868年)1月、鳥羽伏見の戦いで焼失したのですが・・・おお!鳥羽伏見!!
近頃この辺りの本を読んでいて・・・今は宮本村の新免武蔵くんなのだけど、
その前、壬生義士伝を読んでいたので・・・なんだか嬉しくなってしまう。じゃなくって・・・・。
現在は、石清水八幡宮の神事である、石清水祭の舞台としても親しまれていると。
その橋を渡って、真っ直ぐ真っ直ぐ、ただただ歩く。と、そこに見えくるよ。
単伝庵っていうお寺なのだけど、『らくがき寺』ってうたっているので気になってやってきた。
一歩足を踏み入れると、その境内は美しいお庭。
枝が長~~~っく伸び、支えてある。その松の名は『連理の松』。
その向こう側に見えるのが、工事中っぽかったけど、本堂ね恐らく。
お庭の素晴らしさに、本堂を覗き見る事はしなかったのですけど・・・。もう、煩悩の赴くままにって感じ。
とっても綺麗にお手入れされたお庭なのですから。しばし、その光景に見とれて世界が止まった気がした。
単伝庵は山号は『直指山』。臨済宗妙心寺派。御本尊は五大釈迦牟尼仏、観世音菩薩。
創建、変遷の詳細は不明なのだけど、かつては今の地の南西、神原(八幡)に有ったといわれています。
一時廃絶し、男山48坊の一つ、法童坊の預かりだったとか。
かつて男山には48もの坊があったとされてますが、今では参道の石垣にのみその痕跡があるのみ。
本殿前の参道に並ぶ石灯籠にも、なにやら坊と刻まれたものも有るとか。
ああ、そうそう。この右手がきっと本堂なのだわ。知らんけど。
江戸時代、1721年、瑞応(臨済宗の僧で、豊後国に存在した臼杵藩の月桂寺7世)が再建。
臨済宗に改め、中興の祖になる。以来、江戸幕府より4石2斗7升の禄を付加されたのですな。
あっちに見えるお堂が大黒堂。ここが、『らくがき寺』とも言われる所以。
そのお堂の中、白壁にびっしりと祈願された願い事が書き込まれていて、写真は、あかんと思いました。
一口、一願い300円。願い事はいつか再会したい人、2文字だけ書いてきましたよ。
幽霊でも会えたらいいなって思うし、ダメなら、私があっちへいった時に。
らくがき寺 単伝庵
京都府八幡市八幡吉野垣内33
お電話 075-981-2307
そしてまた、来た道を真っ直ぐ戻って行って、橋を渡る。
言わずと知れた安居橋。もしかして、こっち側から見た方が、自然の背景を感じれるのだわ。
もう一か所、行っておきたい所があって。
最初に行く予定だったのだけど、そこに行く道が分からなかった。
それは、頓宮殿の囲いの塀に沿って、沿って行けば有るって事よ、警備員さんに教えてもらったわ。
良かった・・・見つけたわ、『五輪塔』。
それは高さ6m、全国最大規模の鎌倉時代の五輪石塔で、国の重要文化財に指定されてる。
決して、チビ太のおでんではない。
その石塔は、下から地・水・火・風・空の五大要素を表しているっていう、チビ太は関係ない。
摂津の尼崎の商人が、宋(中国)との貿易の帰り道に、石清水八幡宮を詣り、海難を逃れた。
その恩に報いるために建立されたとも伝えられ、
航海の安全を祈って参詣される、航海記念塔とも称されているそうな。
まわりきれてない場所、とっても良いスポットが有るかもしれないけど・・・。
大切な所、洩れてたらごめんなさい、八幡市さん。
とかなんとか言いながら、もう1つ書くよ!!