京都府八幡市、石清水八幡宮の一ノ鳥居から徒歩での参詣。
二ノ鳥居を過ぎて、まさかの足腰鍛える時も過ぎ、三ノ鳥居にご挨拶したならば。
その直ぐ往く手には『一ツ石』。
かつては馳馬や競馬の出発点で、勝負石とも呼ばれた勝運の石。
・・・なのだが、お百度詣りの石とも。ここから本殿・・・って、かなりの距離があるの、マジか!?
あの、遥か彼方の南総門の向こう側、そう、まだまだ向こう側なのだ。
写真は、近付いてから撮ったわ。その間、何・・・十メートル?いやもっと有るか?
そこには、左右に石灯篭が並んでいて、この不揃いなのがたまらなくそそられる。
左右に石灯籠・・に、見守られながら、石畳を一切の邪念も煩悩もかなぐり捨てて、
そのたった一つの願いのために、100回も行き来するその長い石畳に、
何で、エンジンかけたままの無人のワゴン車が2台も停まってるん!?
なので、左右石灯篭の、古よりの汗と涙が染み込んでいるであろう石畳の全景を撮れなかった。
色んな事情もあるのでしょ。だけど、もう少し、やり方があったのでは?
御祭神は・・・・東御前に、神功皇后(息長帯比賣命)おきながたらしひめのみこと。
中御前に、応神天皇(第15代)(誉田別尊)ほんだわけのみこと。
西午前に比咩大神 ひめおおかみ
(多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)・市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)・
多岐津比賣命(たぎつひめのみこと))
創建以来、都の裏鬼門(西南の方角)を守護する王城鎮護の神様、
伊勢の神功に次ぐ国家第二の宗廟として皇室の御崇敬を厚く賜り、
武運長久の神としても、全国の武士が尊崇を寄せてきた、日本の3本指の一本!の八幡宮なのだ。
平安時代の初め、清和天皇の貞観元年(859年)、南都大安時寺の僧、行教和尚が豊前国(今の大分県)
宇佐八幡宮に籠り、日夜熱祷を捧げ、八幡大神の。
『吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん』とのご御託宣を蒙り、
男山の峯に、御神霊を御奉安申し上げたのが起源・・・・との事です。
明治の初め、官幣大社(国、朝廷から最も格式が高いとされた神社)に列せられ、
『男山八幡宮』と改称されたのだけど、『石清水』の社号は創建以来の由緒深い社号。
そして大正七年、『石清水八幡宮』と改称されたって、ご由緒。
上の方ばかり撮ってるんですけど・・この日、と~ってもお日柄もお日和も最高で、
押さないで・・・押さないで・・・・って、溢れるほどの晴れ着に身を包んだチビッこ達と親御さん達、
地面に寝そべる勢いで、その家族を激写する、あのカメラマンって、あれは雇われてる専門家?
あの・・・・・横を通る儂、スカートなんですわ。一応、儂も乙女なんですけど・・・って思ったりも。
本殿の石垣が斜めに切り取ったようになってるのん、分かりますのこ?
一応、私ったら、インテリアコーデネぇタぁなのですけど、知らんかった。
牛の角を持ち虎の毛皮を纏った鬼が来ると言われる丑寅(東北)の方向、『鬼門』を
封じるために、そんな造りにした、『鬼門封じ』。
あ。ちょっと待った!『丑寅』ってお店有るよな、あれは『鬼門』なのか!?
いや、それより、茨木に『丑寅』って地名が有ったのではないの!?おいおい・・・小さな事は気にしない。
本殿を取り囲むように摂社が建っていて。
沢山撮ったのだけど、その内の一社。
重要文化財の『水若宮社』。御祭神は宇治稚郎子命(うじのわきいらつこ)。あれ?聞いたことあるよな。
そうだ、これだ。宇治の平等院の、、宇治川の対岸の、いつぞや訪れた兎の神社。
宇治神社・宇治上神社の兎道稚郎子。うじのわきいらつこ。
我が街堺の仁徳。毎日、仁徳天皇陵の横を通っているわ。時々白鷺が居るし、鴨だってやって来る。
そうだった。すっかり忘れてた。宇治神社に行った時だって驚いたこと。
それにしても、この色合い。何度となく塗り替えはしてるでしょうけど、
古より伝え聞いた色彩なのでしょうね。むっちゃカラフルだのに、見てると心が落ち着く。
木だけの色の古いものも、漆喰と土と古い臭い、古いのも、古(いにしえ)のものに心が安らかになるようで、
まさに、そうこの時!血圧を測ってみたい。むっちゃ下がってんじゃないの?私の高め血圧!!
11月の始め。冬の花ってイメージが強かった山茶花が満開。
山茶花はツバキ科で。よく似てるの。けれど山茶花がとても切なくって悲しいの。
椿はその色も鮮やかで、咲ききったらスパン!って花ごと落ちる。ギロチンにかけられたように。
山茶花は何処にでも垣根に使われて、多用されているのだけど、
一枚一枚、はらはらと花弁が落ちていく。椿と比べてしまって・・・可哀想になってしまう花。
ほい。これ!見つけたよ。
こちら、御神木『楠』・・・って、楠に楠って名を付けてるのかしら。そのままやん。
楠木正成公が、建武元年(1334年)に、必勝を祈願して奉納した楠なのだ。
その説明書き看板に依りますと、樹齢は約700年。
”約”だからね。この説明書きは、2034年よりももっと先まで、作り変えなくっても良い訳だ。
京都府の天然記念物!
楠木正成公については、数年前から、ちょっと調べてみたいな・・・なんて燻っておるのですが。
この日の様に、1人で伸び伸びと好きな事が出来る土曜日って、珍しくって。
ま、そのうちに。それでは、今日の所はこれにて。楽しい一人遠足、続きがありまする。
また、明日書きます(多分やからね!)
国宝 石清水八幡宮
京都府八幡市八幡高坊30
お電話 075-981-3001