高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

他者に関わるチカラ・・・危険回避

2021-04-05 17:19:07 | コラム風味

親子参加でワンディ森遊びキャンプをしました。活動内容(アクティビティ)は、こちらで用意はしますが、必ずみんなが一度に同じことをすることは求めない、自由度高くわらわらと過ごすプレイパーク的な、自然学校が得意とする場づくり、時間づくりな活動です。

これが実行できるためには、コアスタッフのリスクマネージメント力が十二分に保障されていることは、もちろんですが、参加する親御さんの見守りもかかせません。
 
この時、思わず大きな声を私があげるできごとがありました。
 
キャンプ場の一角にトドマツの並木があり、そこに手作りのブランコがあります。 私は近くで火おこしをスる子供をかまっていました。こういうあそび方をする時は、できるだけ広く目がゆくような立ち位置に気にしています。 ブランコのそばにはふたりの幼児さんと小学1年生くらいの女の子がいて、たぶんそのお母さんらしき人がふたりいました。  ブランコに乗っていた子が飛び降りて、立てずに前に手をついてしまいました。その子が立ち上がる前に次の子がブランコを漕ぎ始めようとしました。伏せっている位置はブランコのスイング範囲くらいの場所でした・・、ひとこぎして、ぶつかりはしなかったので、ひと安心したのですが、ふたこぎ目・・。 そばの大人は助けようとも声をあげようともしませんでした。
私は、思わず 「危ない!!」と大声をあげてブランコを止めに突進をし事無きに終えました。
 
最近の大人は他人の子どもを叱らなくなったという新聞の声(投書欄)でつい最近に読み、その通りだなあと感じたのですが、危険な状況にあっても咄嗟に判断して制止ことができないのだなと感じました。他者に関わることで災難に遭うような事件が多くなっている昨今ですが、なんでもないような日常のささいなことでも他者に干渉介入するチカラが希薄になってきているのではないかと、心配になりました・・。
 
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冬は終わったな

2021-04-05 12:28:35 | 日記
暖かい日が続いていたので、雪がグングンと溶けています。校庭の雪も消えてきて地面が緑色に変わりつつあります。今年の雪どけクイズ対象の小山が孤立しながらもまだまだ頑張っています。 雪は多かったけれど、冬後半で締まる前に春らしくなって来たので雪どけは早い感じですが、それでも下の方は上層の雪の重みで固くなっていますから、ここからがしぶといです・・。 しかし、毎春に思うのですが、あれほどにあった雪を溶かしてゆく、お日様のエネルギーはすごいなあ・・。



浜辺に通じる道路も雪解けで通れるようになったので、陽気に誘われて、お使いついでに海を見てきました。
 
 
 
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風車雑感

2021-04-04 13:56:10 | 震災支援・脱原発・環境問題

核ゴミ最終処分場問題で揺れている当地ですが、新幹線トンネルの残土から有害物質が出ている問題があれば、ここへ来て、巨大風車建設計画が民間二社からそれぞれ二十数基という現れています。 すでに寿都町の海岸域に10数基(上記写真)が稼働しており、岩内町との境界あたりの高台に一昨年以来、10基程新設されています。 そのうえでの建設計画です。 風況がよほど風車に適しているのでしょうね!!

そのうちの一社の計画は、すでに立地位置も書き込まれた計画書が役場でも縦覧されました(寿都・黒松内の町境界域の高原)が、もう一社の計画は当自然学校のすぐ川向いの山あいが候補地とだけがわかっています・・。原発よりはいいとは思うのですが、こうにも風車が林立してくるとなると・・、さすがに環境、身体に影響がないのか、景観がどうなるのか気になります。

ぼやっとぼけっとしていないで、風車の功罪についても知識を増やしてゆかねばな!!

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弁開凧次郎翁を想う

2021-04-02 11:25:46 | 黒松内・寿都
弁開凧次郎さん(アイヌ名 イカシバ)が亡くなられたのは黒松内で、その記念碑が町内にあることをひょんなことから知った。(というか、いままで知らなかった)・・・、で、その碑を探して来ました。

イカシパは、八雲辺りのコタンの長で、それも20代の若くして(総オトナ)になった人望・知識・技術が高い人物であったらしい。 家畜商として獣医としてのチカラと技術もあり、その仕事で黒松内にも足繁く来ていた。 八甲田山の陸軍の大遭難(八甲田山死の行軍)の捜索では、北海道アイヌ捜索隊として大活躍して積雪期の中で数多くの遺体収容にもあたったという。
 
黒松内でなくなったのは、大正八年十月二十三日、ガスが深い夜に当時丸木橋だった大成地区の観音橋から墜落事故だった。七十二歳であった・・。
       
現在の観音橋から見た事故があったという朱太川の今日の様子。 その石碑は、旧大成小学校の校庭の片隅にありました。 除幕には、アイヌによる供養祭もあったらしい。 今もやっているのかなあ・・。
 
合掌・・・。
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