高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

宵宮

2007-08-20 07:38:26 | 日記
昨夜は地域の氏神様、熊野神社の宵宮。境内での飲み会のあと・・・ 一人で社殿の中で泊りました。決して酔いつぶれて置いていかれたのではありません。 

四方に張った〆(しめ)の真下に座ってしばらく瞑想・・・神さんといるようで心地良かった。 その後そどにゴロンと寝たのですが、さすが朝方寒くて目が覚めてしまい・・帰ってきました。

◆宵宮
熊野神社は那智熊野の大社の流れをくんでいるようですが、なぜ熊野なのか? 神社建立地を寄進した小宮精三郎さんが熊野信奉者だったのか、熊野の出身者なのか、定かではありませんが、自然学校の近くにある鎮守の森にある小さな神社のお祭りでした。 



山村留学の子ども達は、何の躊躇もなく、お祭りのためにだけ、牧草地を刈り払った参道、それも真っ暗な小道を歩いてゆきます。地域の子ども、実は夜には大人も、私達以外は誰も使わない(車でもあがれるので・・)、山村留学生は、夏の長期村が終わって・・・、田舎の子より田舎な子ども達になっています。 写真は第一鳥居です。その先・・・200mくらいかな・・上り坂になり、その暗闇の先に第二鳥居があり社殿があります。

 宵宮といっても夜店が出るわけではありません。地域の人たちが集まって神主さんの祈祷のもと、神さんに地域の繁栄、五穀豊穣をお祈りするのです。現在ではこじんまりとしていますが、昔は、獅子が出てくる神楽もあったそうですし、奉納相撲大会もあたようです。 今晩は地域のお母さん方が焼き鳥屋さんを開店、ビンゴゲームを参列者の懇親会でみなさんとしました。




一方では・・・、
この日の朝は、99歳でなくなった留さんのお葬式がありました。生前、留さんに聞いた話では、精三郎さんを見たことあるそうで、「ちょんまげ を結っていた」とのことでした。「俺は何でも知っている・・・ 120歳まで生きる」と、あれは4年前かな・・長期村の子ども達と留さんを訪ねたときに言ってました。 インパクトがあたなあ・・・。 留さんは、たぶん・・・開拓3代目で、その本家筋の現役農家の主は6代目になるそうです・・。

長いような・・・・短い話しです。

人の死と、神社のお祭り・・・葬祭な一日でした・・・。

生きるって・・・そんなことの連続だなあ・・・

と思う朝・・



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