高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

いよいよスタート、20回目の夏の長期村

2019-07-26 17:33:05 | 日記

20回目の夏休み子ども長期村がスタートします。 この事業の沿革を整理しておくと・・・。

20数年前、神戸で子どもが子どもを殺人、それも首を切り落とすという猟奇的な事件がありました。私の理解では、それが大きな契機となり、社会教育事業に国が力を入れ出しました。それまで、私たちのような団体は、特に文部科学省の管轄もなく、勝手に社会教育をしている「塾」のような存在でしたが、時の中教審で始めて「民間教育事業者」という言葉が政府への答申で使われました。

「民間教育事業者って,おれらのことか?」という感じでした。この時から、子どもたちに育むべき力として「生きる力」なることが言われ始め、自然体験活動のそれも長期の体験活動の効果ということが問われ研究が始まりました。 初の1ヶ月キャンプが文科省のモデル事業として山梨県で国際自然大学校(NOTS)が試験的に実施されデーターなどが取られ、研究者も解析し、一定の効果が認められる(たとえば、自尊心や自己肯定感が高まるなど)とされて、国が財政的支援(補助)をする、長期子ども自然体験活動事業が始まりました。3週間以上の体験活動をする団体に事業補助をするというものでした。当時の私たちの北海道自然体験学校NEOSはまだまだ経験も浅く5泊6日の活動が最長でした。

たしか、1999か2000年のことだったと思います。文科省が事業実施団体の公募を始めましたが、そんなに長期な自然体験キャンプを実施している団体は全国にはほとんどなく、要件が2週間に下がったような記憶があります。補助事業組み立て段階でもいろいろな資料を提供していた私たちはそれを良い機会と捉えて呼応しました。当初は30箇所程度の募集で、手を挙げれば、補助決定は間違いないといわれていたのですが、驚くことに200団体位が応募したのでした。(補助金も今考えれば高額だった・・1箇所500万円位)

文科省の事業組立をしていた側からも(国会議員とかの推薦とかもらった方がいい・・など口利きなんでしょうか、そんな助言があったことも事実でした) しかし、そんなルートもなかったので、大学の先生やらの推薦状を書いてもらったりし、この「長期試験体験村事業」の補助金応募をしました。 文科省は、今考えると「良くやった!!」と顧みることができるのですが、ほぼ全部の応募団体に予算付しましたと聞いています。当然当初の予定金額を下回りましたが・・・それでも何百万の補助金でした・・・)

それも、今考えると、正しく官民協働の先駆けであり、従前は国⇒都道府県⇒市町村⇒民間と補助事業の案内があり、申請を決めても、また逆に決裁があがってゆくというのは普通であったのですが、国(文科省)に直接、現場民間から補助申請をあげるという斬新な形式が取られました。 補助決定は通知されたものの 補助金の送金がないままに夏休みの事業がスタートして、疑心暗鬼になった時もありました。 何しろ、文科省の財務と直接やりとりするのですから・・・、当時としては考えられないようなことでした。  8月に入りやっと、国から直接「黒松内ぶなの森自然学校運営協議会 運営委員長 高木晴光」名義の口座にお金が振り込まれた時には、時代が動いたという妙な感動があったなあ・・・。

当時の補助金は使用用途があまり厳しくなく使いやすかった。まさしく初動資金として貴重な財源であった。お陰で私達も3週間のロングキャンプを多くの人々の助けを受けて、多少の装備も手に入れて実施ができたのでした。黒松内ぶなの森自然学校の運営・事業基盤が作れたのは、この国の補助と、地元行政・黒松内町の支援があったからこそです。

あれから20年、今は国からの補助金もなくなりました。代わりにというか、ゆめ基金という社会教育を応援する国のファンドも立ち上がりました。国からの直接補助がなくなってからも数年はこの基金の補助を受けていましたが、お金の使い道の制限がどんどんと厳しくなり「使い勝って」が悪いわりには、事前申請や事後報告がやっかいなので、6,7年前からは補助金をもらわずに参加者(受益者)負担のみで事業収支を組み立ててきました。 

当時の国の長期自然体験村事業を実施した地域・団体で今も3週間以上の事業を続けているのは、全国でも数は、すでに10箇所もないのではないかなあ・・・。

関わるスタッフも国際ボランティアネットワークや大学・民間団体の実習受入など複数のルートを作って人材も集めて20年続けてきました。 長期のキャンプ運営のノウハウも歴代のディレクター陣が積み重ね、溜まってきました。4、5人の運営経験者がいれば、新しい年度の事業を回せるというのは、このノウハウの賜物だと感じています。

そんな20年目の2019年の夏です。

21年目からどのように運営してゆくかは・・、実は今は白紙の状態です。 

私の体力がそろそろ限界かなが一番の理由ではありますが、この夏の終わりには「次」があるのか、ないのか、その運営について考えてゆかねばなりません・・・。

 

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