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高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

自然学校の未来会議

2025-05-21 10:18:00 | 日記





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観れない

2025-05-15 17:23:29 | 日記
別々のアンテナで受信している我が家の二台のテレビがどちらもアンテナ不良と表示されてNHK総合が観れない。受信料払ってるのになー。仕方がないので車の受信機で大相撲を観戦。
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やってみたかったんだよなー。

2025-04-10 20:59:28 | 日記

最近、ときどきfacebookに登場してくる写真をジブリアニメ風に変換するアプリを自分でもやってみたかったんだよなー。 と、娘が孫3号の ゆこちゃんとの写真を変換して送ってくれました。 案外と私に似てるもんだ。

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本棚が欲しい

2025-04-09 23:38:39 | 日記
事務所の自分の机周りも自宅の机周りもあいかわらず乱雑をしています。いつなんぞやあってもおかしくないお年頃なのだから、「終活」せんとは常日頃から思ってはいるのですがね。 この乱雑さが安心できるというような性(さが)なのであるようで、いつまでたっても進みません。 狭い場所ですが、とりあえず本棚を増やせば整理ができるかな・・。


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雪融け

2025-04-04 17:59:57 | 日記
雪解けが進んでいます。 例年よりも雪が少なかったように感じていましたが、校庭の雪はなかなか消えません。例年「雪解けクイズ」なることして、正解者には新鮮ホタテなんぞを賞品に送っていましたが諸般の事情により(私費でしたが、年金生活者のこずかいも些少なもんで。。)今年は止めました。
 
 敷地内で一番先に花ほころびるのは、この紫色の小さな可憐な花、オオイヌノフグリです。なんでこんな名前がついてしまったのだろうね・・・。  校舎下の土手が現れると陽光を浴びて現れます。 これを契機にキクザキイチゲやら春の妖精たちが現れます。 そして、GWになるとサクラ、チューリップ、スイセンなどが一気に咲いてきます。 春を待つこの時期はそわそわとするなー。
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夢(夜見る)

2025-03-27 09:42:51 | 日記

毎晩のように夢を見ている。それは結構楽しく毎晩、寝るのが楽しみだわさ。

目覚める直前にいつも佳境をむかえる。それはアドベンチャラスであったりスリラーや時代劇ものだったり、びっくりするようなどんでん返しもあるのですが、目覚めると同時に消えてしまう。ストーリーを思い出せない・・・。 それは自分で無意識の中で構成して夢みさせているのだがね・・・。 とても面白いので覚えていれば短編小説くらい書けるじゃあないかなあともったいなく思ったりしています。

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春休み子どもキャンプ

2025-03-26 23:11:48 | 日記

もうこどもらは春休みなのですね。 キャンプが始まりました。 もう10年以上前かな、校庭にまったく残雪がない3月末もありました。雪中キャンプをするために標高の高いところまであがって実施したこともあったなあ。

心臓が衰えているためか(数年目に手術して血管を膨らませたし、大動脈弁の開口が狭まっているとの診断が今あり)、すぐに息切れがしちまうので、雪道を歩くのさえしんどい昨今であります。 今日は雪洞づくりを子らにさせて、時折交代を要求されるので頑張りました。 昔は冬山で雪洞掘りは得意だったのだがなあ。

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早春

2025-03-23 10:48:07 | 日記

ゲストハウスへの土が現れてきたきた。

黒松内のこのあたりの積雪は例年よりも少なかったと思う。 ここのところは気温もあり急速に雪解けが進んでいる。 毎年感じていることだが、この時期のお天道様の力をとても感じるとともに、宇宙における惑星の地球の位置の変化を体感している。 地球はわずかに地軸を傾けて太陽の周りを公転している。そのために、半球が太陽に近づいたり離れたりするのであるが、その傾きは宇宙の巨大さに比べればわずかなものなのだが、その「わずか」が多大な影響を地表にもたらすのだ。

このことを気が付いたというか、理解したのは小学6年生の頃だったか、教室の前に立ち、地球儀に照明を照らして、この原理をみんなの前で説明し、担任の丸山先生に褒められた思い出があるなあー。

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大相撲

2025-03-20 10:35:45 | 日記

春場所が終わってしまった。新横綱豊昇龍は途中休場となり、ネットでは「横綱昇進は早すぎたのではなかったか」との相撲ファンからの投稿も多い。来場所は圧倒的な強さを発揮して欲しいものだ。琴桜は新大関で勝ち越せないまま陥落を心配したが、なんとかカド番脱出は良かった。 大の里優勝!! 一年以内に 大の里と尊富士が横綱になり次の角界をけん引するのではないかとアタシは期待を込めて予想をしている。 その前に琴龍時代があってもいいんだが、望みは薄いなあ。

ところで、私は大相撲ファンであるのだが、「爺さんは相撲好き」というのが、MRKさんによると社会通念らしい。 まっ、その傾向はあるのでしょうがね。 我らが子ども時代は 子どもが好きなものは「巨人・大鵬・卵焼き」なんて言われていた世代だからね。 週刊誌で相撲の八百長が疑問話題になっていたころがあった、あの小柄な千代の富士時代だったかな。 それにしても、相撲取りはたいへんだよな。 今は年に6場所もある、ふた月毎に場所があり、15番も全力で力勝負をするわけだ。 毎日の鍛錬は相当なものなんだろう。  そういったことを想像しながら一番一番に全力を傾ける力士の勝負を観戦することは、力を集中できなくなってきた爺さんには良い刺激なんだろな・・・。

隣町岩内町出身の一山本関の活躍にも一喜一憂しています。 まだ前頭だが、役力士に勝った時のインタビューは笑顔をもって清々しく応えるのはとても好感が持てるね。 来場所も頑張ってほしい。

 

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東日本大震災

2025-03-12 10:59:43 | 日記

あれから14年。東北地方太平洋岸を襲った大津波。 あの時の前後を書き記しておこう。

3月11日は次女の結婚式がニセコであり、発災時はその会場の小さな教会の地下室で式の始まりを待っていました。そのためか揺れは感じませんでした。 式が終わり近くの昆布温泉にあるホテルにて披露宴が開かれました。 その途中から会場が徐々にい慌ただしくなり、携帯で情報を得る人が増えてきました。宴は中止されず夜となり親族の顔合わせ二次会などを滞りなく終えてホテルの部屋に戻ると、ニュースは被害報道一色になっていました。

当時、釜石出身の女性Jがぶなの森自然学校に居ました。研修生として1年過ごし、研修体験したことを活かせるような仕事があるから地元からは帰ってこいと呼びかけられていましたが、本人はまだ経験不足だともう1年の継続を希望している時でした。

翌日12日の昼前に自然学校に戻ると、スタッフ達はTVを囲んで報道番組にかじりついていました。しかし、彼女の郷里釜石の情報がなかなか流れません。リアス式海岸だから津波は止められたのかとも思いました(実は狭い湾には周辺の波が押し寄せてかえって高く強大になることをあとで知りましたが)

そして、夕刻だったでしょうか、釜石繁華街のアーケードに津波が押し寄せる映像が映し出されました。  青く言葉を失っている彼女を前にして、さあーてどうするかと暫し逡巡をしましたが・・・、

「彼女を連れてゆくしかない!!」と判断をし、ワゴン車に自然学校にあった食糧や毛布、やコンロ、テントの野営道具を積み込み、当時スタッフをしていた星山さんと彼女とました。 しかし、出発するにも津軽海峡のフェーリーが運行停止していると分かりました。 すぐに函館の仲間に再開フェーリーの乗船予約を取るように指示してともかくも出発をすることにしました。

函館港は本州に向かえないトラックで乗船前ヤードは満杯でした。夕刻だったか翌朝だったか、とにかく再開初のフェリーに乗り込みました。それも最後の一台で駐車デッキ二階に上がる坂の最上段に斜めに止めるというギリギリセーフでした。

たぶん13日の朝に青森上陸だったかと思います。三陸海岸にゆく高速道路や主要幹線道路はすでに公共関連の支援車両のみの通行規制が掛かっており、私達は下道の通行可能個所を縫うように進み遠野まで車をすすめました。ここでも釜石に抜ける幹線は通れず、笛吹峠という山道の選択しかありませんでした。道の駅で道路状況情報を集めると、「地震による土砂崩れの情報はわからないが、海岸側から通行してきた車はいるようだが、安全は保障できない」とのこと。

私達は通信障害でなかなかつながらない携帯電話でなんとか、札幌のNPOネオス本部に連絡を取り、(まさしく決死の覚悟だったなあ)笛吹峠道に突入しました。

道路状況は無事で、峠を越えて下りになると、早春ののどかな東北山間の集落があったりで、本当に沿岸部は大災害にあっているのかと想像もできませんでした。

そして、沿岸から数キロあたりでしょうか、状況は一変していました。 とある家の石垣の上と下で、様相が天国と地獄と思われるくらいに下は瓦礫の最終到達点、上はなんともない状態に愕然としました。 その日は被災に合わなかったJの親戚の軒先にテントを張り最初の拠点とさせてもらいました。

12日?いや13日の夜か・・、湿った雪が降ったのです。山を隔てた大槌周辺っで火災が起こり山火事もあったのですが、この雪で収まったように覚えています。私達のテントが押しつぶされるような重い雪でした。それから数日は星山さんとふたりでテント生活をしてまずは状況把握をしました。

Jの家は海岸近くでなかなかゆきつけなかったのですが、2日目いや3日目だったでしょうか瓦礫を縫って到達できましたが、土台石しか残っておらず、家ははるかかなたの谷あいに意外や2階の原型だけはとどめていたのでした。

4日目だったでしょうか、ねおす支援第二陣の上田さん等が到着。いつまでもJの親戚の庭先に居候しているわけにもいかず、支援拠点となりそうな使われていない元保育所にあたりをつけて、私と星山さんはいったん黒松内に返りました。その帰りのフェリーの中で福島原発の事故映像を観て驚愕しました。 あまりにも強烈な現場体験に精神も肉体もくたびれ果てて、玄関先に座った私を見て、カミさんは、「まるで、濡れ雑巾のようだ」と評したのでありました。

それから、1年ほど、NPOねおすあげての長いボランティア支援が始まりました。活動自主財源としてのNPOねおすへの寄付金は2千万はあった。スタッフ達もそれまでの各地域活動で得た実践力でほんとうによくやった。

写真は、確か3か所目のボランティア拠点の ちょっと内陸の橋野地区のこれも元保育園。

お隣でお世話になった地元の佐々木さんは最近お亡くなりになり、端の保育園も鳥越になる(なった)と聞きました。

当地、黒松内は、実は活断層があり、直下型地震発災の確率は東京近辺と同じくらい高いという・・・・。 全国各地で、まるで毎年のように大きな地震災害がある。避けられぬ自然災害とはいえ、もう大過ないことを祈るばかりである。

私も古希となり、万が一大災害が発災しても、もうかつてのようには動けないだろうが、頼りにある後進が育ったことを誇りに思っています。

 

 

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