goo blog サービス終了のお知らせ 

熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

円安、企業業績押し上げ(日経)・・・良いことなのであろうか

2007年07月15日 | 政治・経済・社会
   今日の日経一面トップの見出しは、「円安、企業業績押し上げ」で、円安による日本の製造業の業績の好調ぶりについて書かれていた。
   「きょうのことば」でも「円安」について、為替相場が円安に振れることで、企業の輸出や海外販売などによる外貨建ての利益が円換算した際に膨らむこと。とあくまで良かれと言った調子の説明である。
   しかし、先日のブログで、野口悠紀雄教授の「金融緩和・円安政策が、高度成長期型の重厚長大型産業を延命させ、古いタイプの産業構造を温存したので、日本経済のグローバリゼーション戦略を誤らせ成長を阻害した。このような製造業を維持し続ける限り、いくら企業の業績が上がっても、要素価格均等化定理が働いて、労働者の賃金は上がらずその犠牲の上に格差が益々拡大する」と言う理論を紹介して、円安が日本にとって良いことなのかどうかと疑問を呈した。

   この場合、製造業と言っても色々な業種があり、原材料の輸入比率の高い企業は円安メリットはある程度相殺されるであろうし、殆どの企業が国際化しており、また、色々な手段で為替リスクをヘッジしているので、その効果は企業によって違っており、単純には円安効果ばかりを強調するのはおかしいが、何れにしろ輸出企業にとっては円安のメリットは大きいであろう。
   それとは反対に、輸入に比重を置いた電気、石油、ガスなど内需関連、輸入品を原材料とするモノやサービスのコストや価格アップが経済を直撃して、この方が深刻である。
   日本は昔から工業立国、輸出大国を標榜し、大企業にトップクラスの製造業が多かった所為もあり、円高を忌避し、無理をしてでも円安基調に持ち込もうと言う強いバイアスが政府の外為政策にも働き続けてきた。
   国民もマスコミ情報に影響されてこの論理に組し、何となく円安になると景気が良くなるような錯覚を抱き続けてきたのである。

   しかし、よく考えてみれば、外国と比べて日本の経済力が強くなれば、円高になるのは必然であり、国民の立場から言えば、世界中のモノやサービスの値段が安くなるのであるから、むしろ、円高の方を歓迎すべき筈である。
   見方を変えれば、円安とは、海外からの供給に対して高い金を払い、海外へは日本で生産したモノやサービスを安く売らなければならないことを意味するので、円高の方が好ましいのは当然でもある。

   もっとも、円高になれば、対外債権や対外投資の円表示残高は目減りをし、円転すれば為替差損を招くこととなるが、今後の対外投資や外資導入にとっては有利となる。
   野口教授によると、「資本の面から見ても、日本人とって、円安ではなく、円高が望ましい。仮に円高になって経常収支の黒字が縮小すれば、半面で国内支出が増えるはずである。
   投資であれば、資本装備率が上昇して賃金が上昇する筈である。」と言うことである。

   問題は、日本から資金調達して円キャリー・トレードなどで運用している投資家の立場から見れば、円高や円金利の上昇は望ましくないことである。
   日本が長期にわたって継続してきた金融緩和による円安低金利政策が、アメリカを筆頭に世界中に安い資金を潤沢に供給し続けてきており、世界経済にビルトインされてしまって容易にこのシステムから抜け出せなくなってしまったことである。
   それに、膨大な国債を発行している政府にとっても、金利の上昇は更に財政を圧迫して大変である。

   バブルの崩壊でデフレ経済に落ち込み、長い不況を脱出するために政府の取った金融緩和・円安・低金利政策が、長い目で見れば、日本の自力脱出の力を削ぎ、また、経済の構造改革のために、この現状を脱して正常な金融政策を取ることがままならず、二進も三進も行かなくなってしまった、と言うことであろうか。
   野口教授の「資本開国論」を読んでいて、そんな気がしている。

   私自身は、国家の経済力を強化することを目指すのなら円高を国家戦略とすべきだと思っている。国力が増せば円が強くなるのは必然である。
   1985年に日本がプラザ合意を受け入れて、経済の苦境に挑戦していたあの頃が一番イノベイティブであり、日本人総てが光り輝いていた。
   世界に冠たる先進国を目指して、世界に雄飛したのもあの頃で、世界全体が活躍の場であり、今以上に日本人の意識はグローバル化していた。
   行き過ぎてバブルを惹起してしまったのが不幸の始まりかもしれないが、トインビーの挑戦と応戦の理論を忘れて、金融緩和・円安政策に走り守勢に回ってしまって、イノベーションへの挑戦を放棄してしまった。このことの方が傷は深い。
   円高を容認するのなら、水車の中のハツカネズミのようにより早く走り続けなければならないが、フラット化した経済社会においては、それ以外に生きる道はないと言う。

   もっとも、経済成長を目指すこと、国力を増すことが、幸せかどうかは別問題ではある。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする