長年の改善の連続で磨き上げられた究極のレシペで作り出された吉野屋の牛丼、たった一碗380円の牛丼だが、今や、象徴的な日本食である。
この牛丼として単品サービスで日本を制覇していた吉野屋にとって、狂牛病騒ぎで材料である米国牛の輸入が止まった時には完全に商売上がったりになった。
こんな危機的な状況に追い込まれた吉野屋の経営、そして、その試練と更なる飛躍について、安部修仁社長が、INNOVATION Summit 2007で語った。
私に興味深かったのは、その前に実施された
「牛丼400円を280円に値下げするが、質を落とさず利益率も下げない」と言う戦略である。
安倍社長は淡々と喋っていたが、これは正に宇宙へ飛び立てと言うのと同じで、並みの発想では実現不可能な技術的にも限界を追求せよという従業員全員に対する檄でもあった。
安部社長は、イノベーションと吉野家との関係を聞かれて、何度も「深堀(ふかぼり)」と言う考え方を強調していた。
吉野屋の成功の秘密は、この深堀による改善の連続にあり、考えに考え、実験に実験を重ねて、たゆまぬ改善と向上に余念がなかった。
初代から、例えば、たれの改善に白ワインが合うかどうか何日も試み続けたと言うし、とにかく、その深堀スピリットは、常人にはイメージ出来ないような努力の積み重ねで、死屍累々の駄目だしの連続であったという。
普通に考えれば、なぜ、そんなに拘るのか、たかが牛丼ではないかと言うことだろうが、自分たちは勿論のこと、お客さんを満足させるために、安い値段で最高の牛丼を提供するためには、東大藤本教授風に言うと牛丼をイメージした設計思想を如何に無駄なく顧客まで運ぶかと言う大変なサプライチェーンの改善と工夫が必要なのである。
そのチェーンの根幹たる究極の味を追求する牛丼の設計がまず第一で、その後にも、材料の調達から調理システム、店舗設計、店舗展開・・・気が遠くなるような仕事の連続を総て最適化しない限り無駄のないサプライチェーンなど開発出来ない。
以前、TVで、店員達の牛丼よそい競争が放映されていたのを見たが、レシペ通りに、如何に早く均等に牛丼をどんぶりに盛り付けるか、これ一つとっても大変な匠の技の習得が必要なのである。
味の素、コカコーラ、ケンタッキーフライドチキン、マクドナルド、これらはもう既に普通名詞だが、単品でスタンダードナンバーとなって永年にわたって顧客満足を続けると言うことは至難の業であるが、吉野屋は、これに挑戦をし続けている。
安部社長は、牛丼と豚丼は、定着したが、うな丼やその他はまだ開発途上だといっていたが、牛丼が店頭から消えていた時に色々奇天烈な(?)新商品が生まれては消え、生まれては消えて行ったが、新商品の開発は、大変な冒険と努力を伴う。
米国牛の輸入禁止が決まった時には、売る商品がなくなったのだから丘に上がった河童同然で、正に、創業時と同じ状態になった。
危機管理の最前線に立たされたあの時、私自身、セミナーの合間で時間がなくて吉野屋に入ったのだが、ファーストフードの吉野屋なのに20分待たされても品物が出てこなかった。
従業員を減らしてコストを抑えて危機を乗り切ろうとした吉野屋に、こんな経営をしているようでは未来はないなあと思った経験がある。
その後、吉野屋の業績が急落して、しばらく迷走を続けた。
新商品の開発は、リスク管理のためにも至上命令だが、安部社長は、丁度、米国産牛肉問題が、危機だったが幸いチャンスにもなったと言っていた。
何も斬新なものを求めるのではなく普通の極ありふれた商品に傾注して、突出した価値を生み出した商品を完成させる。
足元にある材料を如何に問題意識を持って掘り下げて、どこの何に着眼して価値も実践も突出した商品を作り出して行くか、この継続に、事業改革のイノベーションの種が潜んでいると言うのである。
マクドナルドが多少グレードアップするとかで、分からないうちに、いつの間にか商品の値上げを行っているらしいが、所詮、ファーストフードのマクドナルドはマクドナルドである筈である。
しかし、マクドナルドのブランド名は超絶的な強さと確固たる固定票を持っているので、今回の「スーパーコンビニエンス」など斬新で付加価値の高いファッション性豊かなビジネスモデルや商品を開発して打って出ると一挙に市場を押さえる実力を秘めている。
既に成熟衰退産業である外食産業は、競争会社を蹴落として、他社のマーケットシェアを食う以外に生きる道はないのである。
日本のファーストフード吉野屋は、これからどんな路線を取って行くのか。
元々、江戸前の寿司は、関西のように手を加えた寿司ではなく、素材だけのファーストフードであった筈なのだが、いつの間にか、高級料理になり、世界中で愛好される料理に昇格してしまった。
その点、吉野屋の牛丼は、徹底的に磨き上げられたレシペによって生産されているマスプロダクションの工業製品のようなもので、そのサプライチェーンは、商店で売り出されている消費財と同じで、最新の経営手法を駆使して事業が営まれている現在の申し子のような商品である。
たかが牛丼、されど牛丼、しかし、経営学的には侮れない立派な現代的価値を持った商品なのである。
色々なバリエーションのあるおにぎりと違って、吉野屋の牛丼は唯一無二のところまで達してしまったので、これからが難しい。
この牛丼として単品サービスで日本を制覇していた吉野屋にとって、狂牛病騒ぎで材料である米国牛の輸入が止まった時には完全に商売上がったりになった。
こんな危機的な状況に追い込まれた吉野屋の経営、そして、その試練と更なる飛躍について、安部修仁社長が、INNOVATION Summit 2007で語った。
私に興味深かったのは、その前に実施された
「牛丼400円を280円に値下げするが、質を落とさず利益率も下げない」と言う戦略である。
安倍社長は淡々と喋っていたが、これは正に宇宙へ飛び立てと言うのと同じで、並みの発想では実現不可能な技術的にも限界を追求せよという従業員全員に対する檄でもあった。
安部社長は、イノベーションと吉野家との関係を聞かれて、何度も「深堀(ふかぼり)」と言う考え方を強調していた。
吉野屋の成功の秘密は、この深堀による改善の連続にあり、考えに考え、実験に実験を重ねて、たゆまぬ改善と向上に余念がなかった。
初代から、例えば、たれの改善に白ワインが合うかどうか何日も試み続けたと言うし、とにかく、その深堀スピリットは、常人にはイメージ出来ないような努力の積み重ねで、死屍累々の駄目だしの連続であったという。
普通に考えれば、なぜ、そんなに拘るのか、たかが牛丼ではないかと言うことだろうが、自分たちは勿論のこと、お客さんを満足させるために、安い値段で最高の牛丼を提供するためには、東大藤本教授風に言うと牛丼をイメージした設計思想を如何に無駄なく顧客まで運ぶかと言う大変なサプライチェーンの改善と工夫が必要なのである。
そのチェーンの根幹たる究極の味を追求する牛丼の設計がまず第一で、その後にも、材料の調達から調理システム、店舗設計、店舗展開・・・気が遠くなるような仕事の連続を総て最適化しない限り無駄のないサプライチェーンなど開発出来ない。
以前、TVで、店員達の牛丼よそい競争が放映されていたのを見たが、レシペ通りに、如何に早く均等に牛丼をどんぶりに盛り付けるか、これ一つとっても大変な匠の技の習得が必要なのである。
味の素、コカコーラ、ケンタッキーフライドチキン、マクドナルド、これらはもう既に普通名詞だが、単品でスタンダードナンバーとなって永年にわたって顧客満足を続けると言うことは至難の業であるが、吉野屋は、これに挑戦をし続けている。
安部社長は、牛丼と豚丼は、定着したが、うな丼やその他はまだ開発途上だといっていたが、牛丼が店頭から消えていた時に色々奇天烈な(?)新商品が生まれては消え、生まれては消えて行ったが、新商品の開発は、大変な冒険と努力を伴う。
米国牛の輸入禁止が決まった時には、売る商品がなくなったのだから丘に上がった河童同然で、正に、創業時と同じ状態になった。
危機管理の最前線に立たされたあの時、私自身、セミナーの合間で時間がなくて吉野屋に入ったのだが、ファーストフードの吉野屋なのに20分待たされても品物が出てこなかった。
従業員を減らしてコストを抑えて危機を乗り切ろうとした吉野屋に、こんな経営をしているようでは未来はないなあと思った経験がある。
その後、吉野屋の業績が急落して、しばらく迷走を続けた。
新商品の開発は、リスク管理のためにも至上命令だが、安部社長は、丁度、米国産牛肉問題が、危機だったが幸いチャンスにもなったと言っていた。
何も斬新なものを求めるのではなく普通の極ありふれた商品に傾注して、突出した価値を生み出した商品を完成させる。
足元にある材料を如何に問題意識を持って掘り下げて、どこの何に着眼して価値も実践も突出した商品を作り出して行くか、この継続に、事業改革のイノベーションの種が潜んでいると言うのである。
マクドナルドが多少グレードアップするとかで、分からないうちに、いつの間にか商品の値上げを行っているらしいが、所詮、ファーストフードのマクドナルドはマクドナルドである筈である。
しかし、マクドナルドのブランド名は超絶的な強さと確固たる固定票を持っているので、今回の「スーパーコンビニエンス」など斬新で付加価値の高いファッション性豊かなビジネスモデルや商品を開発して打って出ると一挙に市場を押さえる実力を秘めている。
既に成熟衰退産業である外食産業は、競争会社を蹴落として、他社のマーケットシェアを食う以外に生きる道はないのである。
日本のファーストフード吉野屋は、これからどんな路線を取って行くのか。
元々、江戸前の寿司は、関西のように手を加えた寿司ではなく、素材だけのファーストフードであった筈なのだが、いつの間にか、高級料理になり、世界中で愛好される料理に昇格してしまった。
その点、吉野屋の牛丼は、徹底的に磨き上げられたレシペによって生産されているマスプロダクションの工業製品のようなもので、そのサプライチェーンは、商店で売り出されている消費財と同じで、最新の経営手法を駆使して事業が営まれている現在の申し子のような商品である。
たかが牛丼、されど牛丼、しかし、経営学的には侮れない立派な現代的価値を持った商品なのである。
色々なバリエーションのあるおにぎりと違って、吉野屋の牛丼は唯一無二のところまで達してしまったので、これからが難しい。