熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

颱風15号一過、猛烈な暑さ

2019年09月09日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   颱風15号が、真夜中の2時ごろか、鎌倉の極直近、三浦半島に上陸した。
   猛烈な風雨を感じながら、殆ど意識せずに、寝ていたので、これまでに来襲した最強の颱風だと言われても、その意識がない。
   朝起きて、家の周りをチェックしたら、北側の金属製のフェンスと、その内側の風呂の目隠しのコンクリート柱の竹塀が倒れて、その横の5メートルほどの柿の木が、2メートルくらいのところで、真っ二つに折れていた。
   家の南と東側は、住宅に面しているのだが、北側と西側は、少し距離をおいて、2~3メートル段差の下に小川が流れていて、やや、斜面気味のオープンな地形になっているので、この方から吹き上げた風雨の影響であろう。
   被害は、これくらいで済んだのだが、数軒先の家の北面の窓ガラスが、二部屋分割れていたので、強烈な風雨に、それも、深夜に急襲されて、大変であっただろうと思った。
   最近の家は、欧米風に、ガラス窓とカーテンで、雨戸のない家が結構多いのだが、自然災害の多い日本では、雨戸は必須だろうと思う。

   心配していた鉢花の被害も、思ったより軽微に済んだ。
   バラの鉢は、転がっただけであった。
   椿の鉢は、数が多いので、家の中に取り込むわけにもいかず、軒下に接近して並べただけだったので、鉢は、あっちこっち転がって、小さな鉢の中には、苗木が抜け出て飛ばされていたものもあったが、まだ、根が乾いていなかったので、植え替えだけで済んだ。

   大変だったのは、庭木の小枝の折れたものや、本来ならまだ落ちない筈の落ち葉が、辺り一面に散乱して、足の踏み場もないような状態になっていたことで、庭はともかく、真っ先に、道路に広がった落ち葉や枯れ枝を、掃除することであった。
   嵐の去った翌朝は、良い天気で、まだ9月初旬なので、急激に、猛暑がぶり返してきた。
   孫娘が、幼稚園を休んだので、アップダウンの激しい坂道の送り迎えのなかったのを幸い、老骨に鞭を打って、庭の大まかな片付けと街路の掃除を行った。

   寺田寅彦は、どこかで、日本は自然災害が多いが、この新陳代謝が、日本の文化を育んできたのだと言っていたような気がするのだが、被害に遭って大変な目に合っている人々のことを考えると、そんな悠長な気にはなれない。

   私が、台風で、最も記憶に残っているのは、もう、半世紀以上も前の子供の頃、京阪神間を襲ったジエーン台風。
   当時、田舎家に住んでいたので、木製の大きな門が吹っ飛ぶのを見て、自然の脅威にびっくりしたのを思い出す。
   当時は、アメリカに倣って、台風は、アメリカ人の女性の名前で呼ばれていたのである。
   その後、著名な台風は、伊勢湾台風などと称されるようになって記憶に残っているが、今のナンバー台風では、年度を付けないと判別が出来ない。

   アメリカの東部海岸を襲うハリケーン、インド洋のサイクロン、東南アジアのタイフーン、
   これが、地球上の大嵐であるが、
   ヨーロッパでは、台風があるのかないのか、
   地理的にヨーロッパまで到達するほどの熱帯性低気圧が発生することは、殆どないので、ないと言った方が良いかも知れない。
   しかし、8年間、ヨーロッパに住んでいて、一度だけ巨大な台風級の大嵐にあった。
   当然、台風などと言う言い方はないので、すべて、ゲイル(Gale 大風、疾風、強風、爆発、あらし)である。
   私が住んでいたすく側のキューガーデンの何百年も経った貴重な巨木が、ばたばた、倒壊した。
   その日、大嵐が小康状態のアムステラダムから、ロンドン経由で、日本へ出張したのだが、KLMが遅れて、予定のJALに乗れなかったものの、遅れて、BAに乗り換えて東京に向かった。
   日本のように、気候がどうだと言わずに、ヨーロッパでは、飛行機は飛ぶので、気にせず乗っていたが、ところ変われば・・・である。
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