熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

久しぶりの小澤征爾・・・新日本フィル定期演奏会

2006年12月24日 | クラシック音楽・オペラ
   日生劇場で「紫式部ものがたり」を見た後、銀座の写真画廊で時間を潰して錦糸町のトリフォニーでの新日本フィル定期演奏会に出かけた。
   既に病気から回復して元気になった小澤征爾の演奏会は、今回が初めてだが、心なしか年を取られたなあと言うのが第一印象であった。
   フィラデルフィアで、最初に小澤征爾指揮ボストン交響楽団のブラームスを聴いたのは、もう既に30年以上も前の話で、その後、海外ではロンドンでのサイトウ・キネン・オーケストラ演奏会で、日本に居る時は、新日本フィルの定期会員を続け、ウィーンやその他のオペラ公演等々で、随分、小澤征爾の指揮姿を見ているが、指揮棒なしの優雅な指揮姿は相変わらず健在である。
   
   最初のプログラムは、ラヴェルの『ピアノ協奏曲 ト長調』。
   ピアニストは、中国の若手ユンディ・リ。小澤征爾の突然のプログラム入れ替えで、演奏会場で始めて知ったピアニストだが、最近ニューヨークで聴いた、マゼール指揮のニューヨーク・フィル「チャイコフスキー・ピアノ協奏曲 第一番」での同じ中国人ピアニスト・ランランの豪快なタッチと違って、実に優しく温かさを秘めた素晴らしい演奏を披露してくれた。
   中国の貧しいヴァイオリニストを主人公にした「北京ヴァイオリン」の感動的な映画を思い出して、どんな訓練を受けどんな育ち方をしたのか興味を持ったが、穏やかな好青年であった。
   マルグリット・ロンが初演したと言うこのラヴェルの曲を、小澤が時々振り返りながら優しい視線を投げかけていたが、リは確かなタッチで色彩豊かにピアノを歌わせていて感動的であった。
   アンコール曲は、モーツアルトのソナタK330の第三楽章とショパンのノクターンop.9-2、やはり、印象どおりの選曲なのだが、実に優しく温かい温もりを感じさせてくれる演奏であった。

   小澤征爾は、ロシアの音楽を良く演奏するが、そのチャイコフスキーは何時聞いても素晴らしい。
   交響曲第一番「冬の日の幻想」。
   第二楽章は「陰気な土地、霧の土地」と言う副題だが、穏やかに流れる音楽を聴いていて、何故かオランダの冬景色を思い出して無性に懐かしくなってしまった。
   ロシアへは旧ソ連のタリンしか行っていないので知らないが、緯度から言ってもアムステルダムとモスクワとはそれ程変らないし、同じ陸続きでそれ程離れていない。厳しくて暗い冬景色はそれ程変らないであろうと思う。
   冬の日は短くて、それに、毎日厚い雲に覆われて曇っているので、陽が殆ど射さない。毎日、リア王の世界のような暗くて厳しい日々が長く続き、2月に街路の草むらに黄色いクロッカスの花姿を見ると狂喜するように嬉しくなる。
   しかし、そんな厳しい冬でも、厚い雲の切れ間が少し薄れて空がパステル調の薄いピンクサーモン色に染まるのをぼんやり霞んだ空気を通して見ていると、その美しさに神の創造力の偉大さを感じることがある。
   ロシア語には、ウミレニエと言う言葉があって、自然は美しい、素晴らしいと言う自然に対する畏敬の言葉のようだが、厳しい自然に対峙するロシア人の生活の知恵かも知れない。

   ところで、小澤征爾の「冬の日の幻想」だが、たたみ掛ける様な壮大なオーケストラの咆哮で終わった。
   新日本フィルの定期会員は間違いなしに小澤征爾ファン。小澤征爾の完全な復活とその音楽への感動で、温かい拍手が長く続いていた。
   指揮を終えて、まず、小澤征爾はコントラバスのところに行って、次に、金管、木管、管楽器の所へ行って楽団員を労っていた。
   打楽器も上手くなった。
   弦の素晴らしさは勿論だが、新日本フィルは、昔から思えば随分素晴らしい楽団になったと思っている。
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