熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

リチャード・S・テドロー著「アンディ・グローブ」・・・(その1)一か八かの賭け

2008年07月24日 | イノベーションと経営
   ユダヤ系ハンガリー人として、ヒットラーとスターリンによる地獄に等しい弾圧と圧政に耐えながら生き抜き、文無しの亡命者としてアメリカに新天地を求めたインテルの偉大な経営者アンディ・グローブの生き様と飽くなき挑戦に明け暮れた経営を、克明に活写したのがリチャード・S・テドローの大著「アンディ・グローブ Andy Grove : The Life and Times of an American」。
   ハーバードの経済と経営を専門とする歴史学者R・S・テドロー教授の、翻訳版でも上下で700ページを越える大著だが、1960年代から21世紀の初頭までのIT産業の動向が非常にビビッドに描かれていて、アメリカ資本主義のダイナミズムに感動さえ覚える「修羅場がつくった経営の巨人」アンドリュー・グローブを主人公とした一大叙事詩でもある。

   インテルの成功の多くは、「ムーアの法則」の偉大な師であり上司であったゴードン・ムーアを追いかけサポートしながら経営に邁進したグローブの経営の才に負うところが極めて大きい。
   グローブ自身、シリコン・バレー屈指の極めて卓越したエンジニアでありながら、経営やビジネスに関する学術書をグローブほど多読した経営者は居ないと言うほど経営について勉強している。
   最初に職に就いたフェアチャイルドが経営不在で失敗し、ノイス、ムーアと共に追い出てインテルを設立したのだが、ハイテク・ベンチャーこそ、如何に健全な経営が必要かを知悉していたのである。
   
   ドラッカーの「現代の経営」で、理想のCEOの姿を学んだ。
   全体を統括して、マネジメントの知識と理解を元にシステムを構築する経営者が必須であることを熟知し、無秩序な膨張を回避すべく、R&Dと生産部門、生産とマーケティングの調整など、貴重な経営戦略についても学んでいた。
   殆ど半世紀前の話であり、理系の高度なバックグラウンドと経営学の知識の融合と言うダブルメイジャーのπ型経営者が、如何に重要かを地で示している。

   今でこそ、パソコン市場では、OSをマイクロソフトが押さえ、マイクロプロセッサ等ハードをインテルが押さえるウインテル時代だが、インテルといえども順風満帆の歴史ばかりではなく、生きるか死ぬか、一か八かの岐路に立たされたことが何度かある。
   その一つが、1980年代に、日本企業に大攻勢をかけられて存亡の危機に直面して、インテルの命であった筈のメモリチップ市場から撤退してマイクロプロセッサを主軸とする戦略へ大転換したことである。
   インテルでさえ、既に売上でメモリよりマイクロプロセッサが多くなっており、絶対に勝つ見込みのない戦いでありながらも、過去の成功体験に基づく信念に縛られて、インテル・テクノロジーの牽引役であり命でもあったDRAM、メモリ事業からの撤退は至難の業であり、経営陣は悩みに悩み抜いたと言う。
   結局、長い苦しい激論の末、新任の経営者ならどうすると聞かれたムーアが、「メモリ事業から撤退する」と答えたので、次の社長兼CEOであるグローブがルビコン川を渡ったと言うのである。

   次の決断は、IBMへの独占供給の提示である。
   当時、IBMへの部品供給には、必ず、セカンド・ソース(代替供給者)を義務付けられていたのだが、折角高度な最先端のハイテク製品を開発しながら、他社にライセンスを供与して価格競争に追い込まれコモディティ化を促進するだけなので、ムーアがこれを嫌い、グローブは、巨人IBMに、セカンド・ソーシングを廃止し独占供給することを提案し、一か八かの賭けに出た。
   当時、パソコン市場を押さえていたIBMが認めなければ、インテルの386は屑も同然となる筈であったが、この時も、強運のグローブに神風が吹いた。
   当時、IBMのクローン製品が多く出回っていたのだが、コンパックが、インテルの次世代チップ80386を搭載した高性能パソコンを発売して市場を席巻してしまったのである。
   これは、主導権がIBMからインテルに移ってしまった瞬間を画した事件で、業界の変化のスピードを決めるのは最早IBMでなくなったことを天下に示した。

   もう一つの戦略変曲点での厳しい選択は、RISC対CISCアーキテクチャーである。
   ラジアル・タイヤのケースが典型的だが、従来のビジネスモデルを覆すような新技術が登場すると、既存企業は新規参入企業を否定し、結局、最後にはイノベーション戦争に負けて駆逐されてしまう。
   この場合には、いわゆる、スライウォツキーの「ダブルベッド戦略」を取っていたのだが、悩み抜いた末に、CISCアーキテクチャー一本に絞る決心をして波に乗った。

   グローブの経営を支えていたのは、時代の流れを適格に読み取る時流の風を感じる嗅覚の鋭さにあるのだろうが、それ以上に、戦わずして負けるよりも絶対に勝負に打って出て戦うべきだと言う激しい敢闘精神にある。
   IBMへの独占供給戦略に不安を漏らした次期CEOの有力候補だったデイビッド・ハウスを、この時、切ってしまったのも、このグローブのパラノイアとも言うべき決断力と決断を死守しようとする激しい気迫である。
   常に、退路を絶って排水の陣を敷いて戦略を打って来たグローブの妥協を許さない経営、これがインテルの今日を築き上げた。

   グローブと言えども、結構、失策も重ねており紆余曲折のインテルの軌跡が興味深いのだが、これらの一か八かの戦略変曲点での賭けにおいても、失敗しておれば、恐らく、今日のインテルはなかった筈で、これらを無事に乗り切れたのも、やはり、その転換点で決断し企業を牽引したグローブの経営学への造詣と経営に対する卓越した手腕にあたことは間違いなかろう。
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