熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

都響定期C・・・オール・ロシア音楽

2022年05月25日 | 欧米クラシック漫歩
   東京芸術劇場で、第950回定期演奏会Cが開かれたので、久しぶりに池袋へ出かけた。
   プログラムは、次の通り。
出演
指揮/小泉和裕
ピアノ/清水和音
曲目
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 op.18
チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 op.36


   ウクライナ侵攻で、ロシアの音楽家や音楽が、世界中で拒否され続けている煽りを受けて、予定されていたロシア人のピアニストのニコライ・ルガンスキーが、現下の諸状況に鑑み、双方で協議を重ねた結果、残念ながら今回の来日を断念することになったと言うことで、ソリストが変更となった。
   ルガンスキーは、人民芸術家で、ラフマニノフを得意とすると言うことなので、残念であった。
   もう、12年前に、都響定期で、ルガンスキーのショパン「ピアノ協奏曲第1番」を聴いて感動した思い出があるので、よけいに聴きたかった。

   ギルギエフやネトレプコと言った大物芸術家はともかく、ロシアの芸術家を見境もなく排除するという風潮が吹き荒れている。
   「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という感情を、これほど強烈に、芸術の世界にまで持ち込むのは、どうであろうか。

   さて、私の関心事は、この日のプログラムは、オール・ロシア音楽であるのだが、都響は、別に何の意思表示もしていないし、プログラムの変更も意図していない。観客が、どんな姿勢で対応するのかであった。
   しかし、何の変ったこともなく、ボイコットした観客がいたとも思えない盛況で、日頃の定期コンサートと全く変らなかった。
   
   ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番も、清水和音の愁いを帯びた抒情豊かに歌い上げるピュアなサウンドの冴えは抜群で、私だけの感覚だと思うが、ロシアの土の香りさえする感じさせくれ、一度見たザンクトペテルブルグのネバ川の夕暮れを思い出させてくれた。
   こんなに美しい芸術を生む文化伝統を、一気に葬り去ろうとする専制者の暴挙を、阻止さえ出来ないロシアという国の悲しさ。
   
   チャイコフスキーの交響曲第4番は、第6番の「悲愴」ほどでもないが、第5番と共に、結構聴く機会の多い曲である。
   風土が良く似ている所為か、アムステルダムのコンセトヘボウで、ドイツや北欧の指揮者で聴くチャイコフスキーなどのロシア音楽は素晴しかったのを思い出す。
   この「運命の交響曲」とも呼ばれている第4番のフィナーレは、これまでの暗い雰囲気を一気に吹き飛ばすような華麗で凄い迫力のサウンドなのだが、ウクライナ戦争でのロシアの迷走ぶりを思い出して、何故か、明るい祭りの雰囲気を醸し出すのではなく、空元気というか、空回りして苦境に落ち込んで行く運命を暗示するように感じさえしてしまった。
   ところで、小泉さんが、小遣いで最初に買ったレコードが「悲愴交響曲」で、学校から帰ると毎日聴いていたと言うから、チャイコフスキーには特別な思いがあるのか、大変な熱演で、会心の出来であったのであろう、終演後、興奮冷めやらぬ表情で観客に応えていた。

   私は、感動して会場を出たのだが、ウクライナを思って、この日は、一切拍手をやめて仏頂面を通した。せめてもの抵抗である。
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