熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

(23)ロンドンでシェイクスピア戯曲を鑑賞する その1

2021年06月05日 | 欧米クラシック漫歩
   イギリスで5年間生活して、本場のゴルフには一切縁はなかったが、シェイクスピア戯曲の鑑賞には、かなり、熱心に通った。
   この記事は、1990年末の記録を元にしているので、私が、シェイクスピアを聴きに行く(本来は、シェイクスピア劇は聴くと言う)ために、頻繁に、主に、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(Royal Shakespeare Company RSC)に通っていた頃の、全く初期の初歩的な観劇記を、思い出を交えながら書いてみたいと思う。
   このRSCは、シェイクスピアの生誕地であるストラトフォード・アポン・エイボンを拠点とする劇団で、ここに、ロイヤル・シェイクスピア・シアター、スワン・シアター、ジ・アザー・プレイスの3つの劇場を所有しており、主に、シェイクスピア劇を上演している。
   五年間の在英中には随分足を伸ばしたが、この頃、ロンドンのバービカンに常設のシェイクスピア劇場を持っていて、私が、頻繁に訪れたのは、こちらの方である。
   ロンドンには、シェイクスピア劇を上演する劇場が他にあったのであろうが、まだ、グローブ座もなかったし、私が、通ってシェイクスピアを聴いたのは、他には、ロイヤル・ナショナル・シアターの舞台であった。

   シェイクスピア戯曲は、観に行くと言うのではなくて、聴きに行くと言うことだが、イギリス人の友人に言われて、何故だと聞きそびれた。シェイクスピアの名戯曲は、聴いてこそ価値があるのは尤もであろうが、この口絵写真のグローブ座のような陽が照る青天井の舞台で、「ハムレット」の冒頭の漆黒の闇での父王の亡霊の出現のシーンが演じられるのを考えれば、良く分かる。
   グローブ座で、カンカン陽の照りつける日や、雨の降りだした日に、シェイクスピア鑑賞の機会を得た。芝居のストーリーとは全く関係のないシチュエーションで、舞台セットも殆どない吹き晒しの舞台で展開されている芝居を楽しむためには、それ相応の知識と教養で武装して、気を入れて聞き込む必要があるのである。
   当時、劇場以外では、田舎のコ型に建つ旅籠の中庭の開口口に舞台を設えて、中庭とコ型の回廊を客席にして、青天井で、シェイクスピアを演じていたと言うから、今のように、至れり尽くせりのオーディオ・ビジュアル完備の豪華な劇場での公演は、邪道なのであろう。
   日本でも、文楽鑑賞に行くのに、浄瑠璃を聴きに行くと言う表現があるようだが、多少、似ているのかも知れない。

   さて、RSCの公演を鑑賞するためには、年初に、メイリングリストに登録して、送られてきた年間予約の申込書に、適当にスケジュールを決めて記入してチケットを予約する。
   最初に行ったのは、「ヘンリー四世 第一部」で、その年、シェイクスピアでは、「ヘンリー四世 第二部」「ロメオとジュリエット」「ヴェローナの二紳士」、そして、ストラトフォード・アポン・エイボンでの「ウィンザーの陽気な女房たち」だけだったが、他に、ベン・ジョンソンの「アルケミスト」、リチャード・ネルソンの「コロンブス」、ソフォクレスのギリシャ悲劇「オィディプス 三部作」、それに、丁度来訪していた蜷川劇団の「テンペスト」であった。

   このバービカン・センターは、ロンドン交響楽団の本拠地で、毎月、定期コンサートで大ホールには通っていて、隣のRSCの公演は、場外のTVスクリーンで何度も観ており、興味がなかったわけでもなかったのだが、オペラやクラシック音楽鑑賞の方がプライオリティが高くて、シェイクスピアは何となく敬遠していたのである。
   しかし、折角、シェイクスピアの本国イギリスに来ており、シェイクスピアを鑑賞し学ぶ機会を逸しては、千載一遇のチャンスを棒に振って後悔するに違いないと思って、分かっても分からなくても、とにかく、劇場へ行こうと決めた。

   当時は、芸術鑑賞には糸目を付けなかったので、オペラも何でもそうだが、最良の席に限ると思っていたので、前の中央席に決めていた。
   この劇場は、舞台が低く、一番前列の客の目の高さにあり、平土間の傾斜が急なので、何処に居ても舞台を見下ろす位置にあり、その臨場感に圧倒される。劇場が小さい所為もあるが、役者の唾が飛ぶのが分かるくらいに近く、それに、顔の表情は勿論、体の細やかな動きや微妙な仕草など手に取るように迫ってきてビックリした。
   しかし、グランド・オペラの豪華で華麗な舞台を見慣れているので、舞台セットなどセーブされた案外貧弱でシンプルな舞台設定には、何となく違和感を感じた。
   尤も、シェイクスピアの戯曲は、時には、ほんの数シーンで、一挙に、舞台が外国に移ってしまい、時間が飛んでしまったりして、舞台展開が激しいので、当然なのであろう。

   ところで、子供の頃に、イギリスのどこの家庭にも、聖書とシェイクスピアの戯曲本があるのだと聞いていた。それほど、イギリス人の生活の中に、シェイクスピアが息づいていると言うことであった。
   しかし、私が付き合ってきたイギリス人の教養や知的水準はかなり高かったはずだが、これは真実ではなく、イギリス人にとってさえ、シェイクスピアは、難解であって、それ相応の心の準備と勉強を、そして、鑑賞機会を重ねないと、楽しめないと言うことである。
   日本の能・狂言、歌舞伎・文楽などの古典芸能によく似た位置づけであろうか。

   最初の頃は、手元には、英語のシェイクスピア関係本と劇場でのパンフレットくらいしかなかったので、手探りでシェイクスピア劇に挑戦していて、殆ど良く分からなかったが、日本への帰国時に、小田島雄志の翻訳本やシェイクスピア関係の本をせっせと買い込んで帰り、ほぼ、四年間、そして、帰国後も渡英の度毎にグローブ座などに通って、シェイクスピアに接し続けてきた。
   イギリス生活での貴重な財産となっている。
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