熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

七月大歌舞伎・・・「修善寺物語」

2014年07月08日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   岡本綺堂が、修禅寺の温泉で遊んでいた時に、修禅寺の宝物を見て、その中に、頼家の大きな仮面を見つけて、舞楽の面だと思った。頼家の仮面と言っても、頼家所蔵の面という意味か、あるいは頼家その人に肖せたる仮面か、それははっきり解らないが、多分前者であろうと察したと言う
   寺を出て、秋の暮色に染まった薄の靡く桂川河畔で、川の流れを眺めながら、この修善寺で幽閉されながら逝った悲劇の主人公頼家と仮面に、ギリシャ悲劇を重ね合わせながら、真っ暗に沈んだ修禅寺の山門に、何とも知れぬ悲哀を感じて悄然として、ふと、この「修善寺物語」の着想を得たのだと、左團次のために書いて主演した明治座五月公演に寄せた文章に書いている。

   頼家の修善寺での死と、仮面があったと言うことだけは真実だが、面打ち夜叉王も、妹娘楓や姉娘桂も架空ならば、頼家と桂の恋も、要するに、この物語総てが、岡本綺堂の創作なのである。

   物語の筋は、概略次の通り。
   修善寺に幽閉の身の頼家(月之助)は、自分の顔を残すために、夜叉王(中車)に、面を作るように命じたのだが、半年経っても出来ないので、痺れを切らして、ある秋の晩、夜叉王を訪れた。夜叉王は、何度打っても面に死相が現われ作品を渡せなかったと理解を求めるが、頼家は激怒して夜叉王を斬ろうとする。切羽詰った夜叉王の娘桂(笑三郎)がその死相の現れている面を頼家に差し出すと、見事な出来映えに頼家は感嘆して、この面を受け取り、娘桂を気に入って連れ帰り、御殿に出仕させ側女とすることにする。しかし、その夜、北条の家来たちに襲われた、面を付けて頼家の身代わりとなって戦った桂が瀕死の状態で夜叉王宅に帰り着く。頼家が殺されたと聞くと、夜叉王は、打った面が将軍の運命を暗示する会心の作であったことを知り喜ぶ。夜叉王は、断末魔に喘ぐ娘桂の死顔を凝視して、その表情を写しとろうと筆を走らせる。

   物語としては、面白いのだが、芸術至上主義に徹した能面打ち夜叉王を、どのような人物と解釈して、この歌舞伎を観るのか、非常に興味深いところである。

   まず、綺堂の原作だが、
   頼家が死んだと知った後の夜叉王の最後の台詞が凄い。
   ”幾たび打ち直してもこの面に、死相のありありと見えたるは、われ拙きにあらず。鈍きにあらず。源氏の将軍頼家卿がかく相成るべき御運とは、今という今、はじめて覚った。神ならでは知ろしめされぬ人の運命、まずわが作にあらわれしは、自然の感応、自然の妙、技芸神しんに入るとはこのことよ。伊豆の夜叉王、われながらあっぱれ天下一じゃのう。(快げに笑う)”
   更に、断末魔の娘桂に向かって、
   ”やれ、娘。わかき女子が断末魔の面、後の手本に写しておきたい。苦痛を堪こらえてしばらく待て。春彦、筆と紙を……。”娘、顔をみせい。”
   楓夫婦に体を支えられて渾身の力を振り絞って顔を上げる桂を、決死の形相で睨みつけて筆を走らせる夜叉王。
   静かに幕が下りる。

   その直前の台詞だが、頼家が討たれたと聞いて、
   かえで ついにやみやみ御最期か。
    (桂は失望してまた倒る。楓は取りつきて叫ぶ。)
   かえで これ、姉さま。心を確かに……。のう、父様。姉さまが死にまするぞ。
    (今まで一心に仮面をみつめたる夜叉王、はじめて見かえる。)
   夜叉王 おお、姉は死ぬるか。姉もさだめて本望であろう。父もまた本望じゃ。
   
   娘の死など、運命だと思っており、その死よりも、死相を面に打ち込んだ自分の面打ちとしての腕の匠に感激して、更に、芸のために娘の死顔まで写し取ろうとする非情この上もない父親の仕打ち。
   果たして、綺堂は、仕事の鬼として、芸術至上主義の極致として、夜叉王を描こうとしたのであろうか。

   この物語で、興味深いのは、二人の娘を登場させながら、姉娘の桂を、夜叉王の妻が殿上人に仕えた由緒正しい京女で、その血を受けて、上昇志向の強い虚栄心に富んだ近代式の娘として描いており、”半時一時でも、将軍家のおそばに召され、若狭の局という名をも給わるからは、これで出世の望みもかのうた。死んでもわたしは本望じゃ。”と言わせており、頂点を目指そうとした夜叉王の対極に置いた人物として描き出していることである。

   この物語の主人公が、夜叉王と桂であることは、間違いなく、
   ”この夜叉王は徹頭徹尾芸術本位の人で、頼家が亡びても驚かず、娘が死んでも悲しまず、悠然として娘の断末魔の顔を写生するというのが仕所”だと綺堂が言う為にも、権威の象徴である将軍と関わりを持たせた桂の登場が必要だったのであろう。

   この物語のストーリー展開において、弟子である楓の夫春彦(亀鶴)や楓に対する夜叉王は、ごく普通の優しい父親として接しているのだが、将軍に対しても言いたいことを言うし、面打ちと言う芸術魂の発露には、一切権威や情の入り込む余地のない芸術至上主義の姿勢を貫き通しているのは、昭和一桁時代の世相を反映しての綺堂の思い入れがあるのであろうか。

   私は、中車の夜叉王は、娘二人と春彦との諍いの仲裁のような形で、仕事場の蔭から声をかけて登場するのだが、新歌舞伎である所為か、歌舞伎役者と言うよりは、現代劇の舞台を観ているような感じで、それ故に、実にリアルに演じていて、非常に好感を持って観させて貰った。
   芝居そのものもストレートで、あまり、感情移入をせずに淡々と演じている感じで、私には、その淡白さが、綺堂の夜叉王として描きたかった意図を体現しているようで、好ましかった。

   この芝居を、芸術至上主義だとか、田舎の娘にしか過ぎない娘が頂点を目指して夢を見て実現したとか、あまり、高みを目指した物語としてみると、中途半端となるので、要は、そのような面打ちがあり、桂と言う娘があったと言う程度に、数奇な運命を辿った人たちの物語として、舞台を楽しめば良いのだと思っている。

   桂を演じた笑三郎は、やはり、澤瀉屋組のトップ役者として、流石の出来で、実に、重厚な演技に終始していて骨太の人物像の描写が、出色であった。
   楓の春猿と、春彦の亀鶴は、素直で好感の持てる演技が爽やかで、主役二人と好対照であった。
   源頼家の月乃助の嫋やかで優雅な物腰、 修禅寺の僧の寿猿の軽妙なタッチ。
   澤瀉屋一門の非常に質の高い現代劇を楽しませて貰った。

   なお、「天守物語」については、5年前、旧歌舞伎座で上演されたこの公演について書いた私のブログ、
   七月大歌舞伎・・・玉三郎の「天守物語」
   を、結構、お読み頂いており、それ程、感想なり印象も違ってはいないので、もう少し、勉強してから書こうと思っている。
   
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