熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ネフェルティティの実像は

2020年09月05日 | 学問・文化・芸術
   インターネットを叩いていると、ベルリン博物館にあるトトメスのネフェルティティ像によく似た生身の口絵のような写真が現れた。
   やはり、直感は当たっていて、「ネフェルティティの本当のイメージ」と言うことで、
    3Dイメージ技術を使用して、ネフェルティティのものであるとされている「若い貴婦人」のミイラの顔をスキャンしてデジタルマッピングした。このミイラの本当の正体に関してはまだ議論がされているが、ミイラの顔がスキャンされた後、ネフェルティティの歴史的なイメージに基づき、古美術家のエリザベス・デインズが500時間を費やして顔を再現。と言うのである。
   ネフェルティティの肌の色に関して様々な議論が飛び交っているのだが、古代エジプト人はヨーロッパ人と近い関係にあり、皮膚の色素も薄かったという説もあれば、また色もさまざまで、茶褐色から赤や黄色まであった。と言うのだが、この像では、白人と言うよりは褐色の肌に近い。

   ネフェルティティ(Nefertiti、NeFeRTiTi)は、エジプト新王国時代の第18王朝のファラオであったアクエンアテン(aKH-eN-aToN, イクナートン)の正妃であり、ファラオ・トゥト・アンク・アメン(TuT-aNKH-aMeN, ツタンカーメン)の義母である。
   ネフェルティティは、「古代エジプトの3大美女」の1人で、他の2人は、紀元前1世紀、プトレマイオス朝の女王クレオパトラ7世、紀元前13世紀、第19王朝の大王ラムセス2世の正妃ネフェルタリ。
   下記の写真は、ネフェルティティの胸像で、ドイツ人考古学者ルートヴィヒ・ボルヒャルト主導のドイツ・オリエント協会 によって、1912年12月6日にナイル川河畔のアマルナの彫刻家トトメスの工房跡で発見され発掘された。
   私は、ベルリンの壁崩壊前に、ベルリンの旧博物館のこじんまりしたエジプト博物館で観たのだが、小さなホールに1体だけ中央に飾られていたので、ルーブルのミロのヴィーナス像のように、くるくる、像の周りを回りながら、沢山の写真を撮った。現在は、ベルリン博物館の至宝として展示されているのだが、大英博物館のパルテノンのエルジンマーブルをギリシャが返せと言っているように、この胸像もエジプトから返せと言われていると言うから興味深い。
   このネフェルティティの胸像は高さ47cm、重さ約20kgほどで、石灰岩を芯として彩色された化粧漆喰 (Stucco) が被せられて作られている。完全に左右対称となっているのだが、右目の瞳は黒く塗られた石英の象嵌がはめ込まれ、蜜蝋で固定されていルにも拘わらず、左目の眼窩は彩色されていない石灰岩のままとなっている。元は象嵌がついていて、剥がれたとして探したのだが、見つからなかったという。紀元前1345年に制作されたと言うから、3000年以上も経つのだが、彩色も綺麗で鮮やかな像で、ネフェルティティの色香さえ漂わせた妖艶な彫刻であった。
   

   このような歴史上消えていった偉大な人物の復元像が現れて、マダム・タッソー館(Madame Tussauds)に展示されるようになれば、非常に面白いと思った。
   

 
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