熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

秀山祭九月大歌舞伎・・・「妹背山婦女庭訓 吉野川」

2016年09月19日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   夜の部の冒頭は、「妹背山婦女庭訓 吉野川」、2時間に及ぶ大舞台である。
   大判事清澄に吉右衛門、その子久我之助に染五郎、そして、太宰後室定高に玉三郎、その娘雛鳥に菊之助、さらに、腰元桔梗に梅枝、小菊に萬太郎と言う願ってもない布陣で、素晴らしい舞台を魅せてくれた。
   いわば、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」、「ウエストストーリー」のジャパニーズ・バージョンと言うべき名場面を、悲しく、そして、美しく謳い上げる。

   「山の段」で、舞台中央に、吉野川が流れていて、上手の背山に、大判事清澄の館、下手の妹山に太宰館が設えられていて、竹本の太夫と三味線も上手下手に床が設置されていて、花道も左右にあると言う、全く判で押したような対照的なな形で、全山、豪華絢爛と咲き乱れる吉野山の桜が、舞台を荘厳していて、息を飲む美しさ。
   両家は、領地争いで不和の関係にありながら、大判事の子息久我之助と定高の息女雛鳥は、恋に落ちて相思相愛。それに加えて、蘇我入鹿の横暴によって、両家は窮地に追い込まれて、絢爛と咲き乱れる華を散らす。

   両花道を、大判事の吉右衛門と定高の玉三郎と言う東西随一の千両役者が登場して、川を隔てて対話を交わし始めると、一気に舞台のテンションが高揚する。
   咲き誇る吉野の桜をバックに、妹山館の雛祭りの飾り付けの絢爛さが、悲劇を暗示して悲しい。


   吉野川を挟んで、大判事の館には謹慎を命じられた久我之助がいて、太宰の館には雛人形が美しく飾られているが、雛鳥は久我之助とのかなわぬ恋に泣いている。流れの早い吉野川が、二人を隔ててていて、川岸から手を差し伸べ切ない恋情を交わすのだが甲斐なき足掻き、そこへ二人の親が帰ってくる。
   桜の枝を手に、大判事と後室定高が川越しに言葉を交わす。子よりも家が大事と言えども、わが子可愛さ。久我之助が出仕し、雛鳥が妾にと言う入鹿の命令に服すと承諾したら、桜の花を散らさずに川に流して無事を知らせると約束する。
   定高は、雛鳥に、久我之助の命を助けるために、入鹿への輿入れを説得し、大判事は久我之助の忠義を全うしたいとの強い願いを聞き入れて切腹を許す。
   雛鳥が飾ってあった女雛の首を落としたのを見て、定高は入鹿の命令を拒む決心と悟って娘の首を討つ決意をし、方や、一気に腹に刀を突き立てた久我之助が、雛鳥が後を追わぬように、大判事に桜花のついた枝を吉野川に流すように頼む。それを見た雛鳥は、久我之助の無事を喜び、定高も花の枝を川へ投げ入れ、雛鳥に刀を振りおろす。
   大判事と久我之助も、妹山からの桜を見て安心するが、妹山からの断末魔の叫びを聞いて、雛鳥の死を悟り、定高も瀕死の久我之助の姿を垣間見る。自分は死んでも相手は助けたい、相手の子どもは助かるようにと願って投げた桜花は、所詮儚いあだ花。
   意を決した定高は、久我之助の息あるうちに雛鳥を嫁入りさせたいと、雛道具とともに、雛鳥の首を川の流れに乗せて背山へ送り、大判事がそれを弓で手繰り寄せる。
   玉三郎の定高が、蒔絵の駕籠に雛鳥の首を入れて、浮となる琴に駕籠を括り付けて、吉野川に流す、実に悲しい「雛流し」のシーンである。
   あたかも、塔婆や燈籠などを流して、死者を供養する流れ灌頂。大判事は瀕死の久我之助を介錯し、二人の首を左右に抱えて岸辺に佇み、泣き崩れていた定高と交感する。
   残された大判事と定高は、若くして儚く散った二人に悲しい祝福を与えて、両家の遺恨が静かに消えて行く幕切れ、名作である。

   この舞台では、男を問われると言うか、日和見主義と言うか悪行の権化と言うべき入鹿に、何の抵抗もせずに唯々諾々と従ってきた大判事と、主の采女を守り通すために一切入鹿に屈しなかった久我之助の男としての意気地の好対照。
   先の演目の造り阿呆を押し通して身の保全を図った一条大蔵卿のように、反入鹿である筈の大判事が、小心故か世渡り上手かは別として、久我之助は、入鹿の忠臣然としたそんな父親を許せなかった筈だが、この舞台では、鎌足の娘であり天智帝の寵姫である采女を入鹿の毒牙から守り通した、久我之助の忠義を全うする健気な姿に接して、入鹿の命令を蹴って自害を許して、心中、決然と、反入鹿を表明している。
   その心境の変化が、定高との和解と若い子供たちへの愛情あふれる姿勢にも凝縮していて、そのあたりの心の葛藤や決然とした大判事の貫禄と風格を大きなスケールで演じ続けた吉右衛門の芸の深さ冴えは格別であった。

   玉三郎の定高は、いわば、女ながらも一国一城の主であって、その貫禄と品格の高さは、抜群。
   仮花道の吉右衛門に対して、本花道に立つ玉三郎の雄姿からして、舞台を圧倒していて、その偉丈夫な女主が、娘雛鳥の久我之助へのなさぬ恋心を知り過ぎるほど知っていて、苦悶する母親としての優しさ温かさを全身に漲らせていて、涙が零れるほど感動する。
   花道に立って、大判事と渡り合う定高は、一国一城の主として、貫禄と風格十分の人物の大きさ、
   娘雛鳥の首を討つ決心をして、雛鳥の首を駕籠に託して嫁に出す「雛送り」では、愛に泣き人生の儚さに慟哭するお母さん、
   雛鳥に、毅然として入鹿への嫁入りを言い渡す時の玉三郎の悲哀と苦渋を綯交ぜにした愛情豊かな目の輝きと表情が忘れられない。
   雛流しを終えて、河畔に崩れ落ちて泣き崩れる玉三郎の後ぶりの美しさ、剛直そうでよろめく断腸の悲痛の吉右衛門と好対照で、涙を誘う。

   久我之助の染五郎と、雛鳥の菊之助の素晴らしさは、言うまでもなく、梅枝と萬太郎の時蔵子息兄弟の達者な芸も楽しませてくれて良い。
   菊之助の吉右衛門一座への加入は、歌舞伎界最高の贈り物の一つだと思っている。

   今年、四月に、大阪文楽劇場で、通し狂言「妹背山婦女庭訓」を鑑賞する機会を得て、この「妹山背山の段」は、
   大判事を千歳太夫と玉男、久我之助を文字久太夫と勘十郎、定高を呂勢太夫と和生、雛鳥を咲甫太夫と簑助、と言う素晴らしい布陣の舞台を楽しむことが出来た。
   今回の舞台は、更に、歌舞伎バージョンの醍醐味を観た思いで、感動している。
   
   
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