熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・能・喜多流「白楽天」

2019年09月06日 | 能・狂言
   興味深い能「白楽天」、二度目の鑑賞である。
   白楽天と言えば、「楊貴妃と玄宗皇帝」との熱愛を描いた長恨歌の作者白居易である。
   天下の大詩人を相手にして、住吉明神が、詩と和歌の戦いで、日本は、森羅万象生きとし生けるものは悉く歌を詠むと言ってその優越を示して、神々が挙って現れて、追い払ったと言う面白い曲である。
   既に、白楽天の「白氏文集」が、平安時代に伝来して、平安文学に影響を与えて、「枕草子」や「源氏物語」に片鱗を覗かせているので、白楽天を引き合いに出したのだろうが、大詩人をコケにする意気込みが中々素晴らしい。

   パンフレットの山縣正幸氏の説明によると、本曲の詞章に強い表現があるのは、舞台の住吉明神のある越前博多は、入寇、元寇、海賊の来襲など大陸からの外襲の被害を受けやすい土地で、当時、室町幕府が、倭寇討伐等で、明との関係が冷却しており、さらに、対馬攻撃の李氏朝鮮軍の撤退と言う背景があったのだろうと言う。
   岩波講座では、「招かれざる客を神が来現して追い払うと言う構想は脇能として異例である。」と述べられており、
   「能を読む」では、詞章にあるような、「国も動かじ、万代までに」「よも日本をば、従えさせたたまわじ」「動かぬ国ぞ久しき」と言った文言から、異国の脅威に晒された国難とも言うべき事態を念頭に置いた曲だと言うことである。。
   これを、風雅な和歌と漢詩の優劣を、住吉明神と白楽天との文学論争と言う形にして一蹴したと言う訳である。

   後場は、住吉明神(シテ/粟谷能夫)が、舞楽を奏して、白楽天(ワキ/殿田謙吉)の帰国を促し、伊勢・石清水・加茂・春日、多くの神々が示現して神風を起こし、唐土に吹き返すと言う結末だが、荘重な真ノ序ノ舞が魅せ処。
   シテは、「神と君が代の、動かぬ国ぞ久しき」と正先で両腕を巻き上げ、常座へ行っておろし留め拍子を踏む、と言うことだが、良く覚えていないけれど、「唐土へ吹き返す」と言うシチュエーションながら、ワキの白楽天はワキ座で正座したままで終わっていて、面白いと思って観ていた。
   
   山縣氏は、本曲は、当時の歴史的背景をかなり濃厚に反映しているが、それを、長閑な海上の釣りの光景や、漢詩と和歌の文芸的な応答へと昇華させている点が魅力、
   と述べているのだが、だから、能は難しいのである。

   今、隣国と正常な関係ではないので、世阿弥の時代の国民感情も、そうだったのかと思うと、不思議な感じもしない訳でもないが、国際関係も、為政者に人を得なければ、並みの隣人関係と同じだと言うことが分かって面白い。
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