大手新聞社には、その訃報が掲載されていないようだが、音楽関係やスポーツ紙のネットニュースに、ある人物の訃報が伝えられている。
Oricon Music:「ウドー音楽事務所」創業者・有働誠二郎さん死去 クラプトンやエアロスミスなど海外アーティスト招聘
1970年代からの洋楽ファンであれば、ウドー音楽事務所という名前は当然聞いたことがあるだろう。
リンク先の記事にあるように、洋楽の中でも「ロック」の分野で数多くの大物ミュージシャンを日本に招聘してきたプロモーターだからだ。
有働さんが最初にこの業界に入ったきっかけとなった「共同企画」とは、現在の「キョードー東京」を中心に、全国にある「キョードー」のことだ。
キョードーは、どちらかと言えばポピュラー音楽中心で、ロックといえばウドー音楽事務所が招聘する、という「すみ分け」のようなモノがあった。
そのような「すみ分け」がある中、ウドー音楽事務所は大物ロックミュージシャンに限らず、若手と呼ばれるミュージシャンも積極的に招聘をしてきた。
その一つが、Queenだった。
初来日をした頃、Queenの注目度は高いとは言えなかった。
当時のロック系音楽雑誌「ミュージックライフ」の掲載を切っ掛けに、10代の女性から人気が出て、それがロックファンにまで広がっていった。
そのような経緯があり、亡くなったフレディー・マキュリーをはじめ、Queenのメンバーは親日家になっていく。
チープトリックも「Live at 武道館」というライブアルバムのヒットによって、全米人気を獲得する。
音楽プロモーターとして、決して大物ミュージシャンだけではなく、音楽雑誌等と連動しながら若いロックミュージシャン(特に英国出身)を日本に招聘するコトで、彼らは世界的な人気を獲得する切っ掛けをつくっていった、というのもウドー音楽事務所の特徴でもあったのだ。
だからこそ、大物となった彼らからの信頼度はとても高く、「ウドーが招聘するなら」と、来日公演をしたロックミュージシャンも少なくない。
その中でも、エリック・クラプトンは海外のミュージシャンとしては初めて、武道館公演を100回行っている。
クラプトンの辛い時期もプロモーターとして、寄り添い続け信頼を得ていたからこそ、クラプトン自身が武道館という「日本におけるロックミュージシャンの憧れの場」に100回立つことができたのだと思う。
勿論、それなりの苦労はあったと思う。
今でも伝説的に言われている某英国バンドは、来日記念で贈られて模造の日本刀で宿泊ホテルの部屋で暴れまわり、相当額の損害賠償をウドー音楽事務所が支払った、という話もあるほどだ。
破天荒な行動をすることも多かった1970年代のロックバンドのメンバーたちにとっても、ウドー音楽事務所からの招聘は親日家になる切っ掛けづくりとなっているのだ。
海外からミュージシャンを招聘する企業は、注目を浴びる存在ではない。
ただ、その招聘元によって海外のミュージシャンの多くが、親日家となり日本という国と日本の音楽ファンに好意を持つようになってくれた存在でもある、ということを知って欲しいと思っている。
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