日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

大人になると言うコト

2010-01-11 21:17:31 | 徒然
今日は「成人の日」だった。
私が「成人式」を迎えた時には15日と決まっていたので、今だに慣れない(笑)。
そして毎年話題というか、問題になるのは「成人式で暴れる新成人」だ。
どうやら、今年も幾つかの自治体であったようだ。

彼らの言い分として、「今日が大暴れができる最後」というモノがある。
言い換えれば「未成年なら、傍若無人な行為をしても許される」というコトなのだろう。
「大人になれば、それなりの社会的責任を負わなくてはならない」という意識を持って、半ば「確信犯」的に、大騒ぎをしていると言うコトだ。
もう一つは、「目立ちたい」という一種の「自己顕示欲」なのでは?と、思っている。
それも、相当幼い発想の「自己顕示欲法」だと・・・。

このような大騒ぎをし、傍若無人な振る舞いをする新成人たちの発想は、ある意味「わかりやすい」様にも思える。
もちろん、大迷惑で社会の困り者であることにはかわり無いのだが・・・。
むしろ問題だと感じるのは、トコロ構わず黙々と携帯電話でメールをしたり、ゲームをしている新成人たちだ。
式典の最中、友達と話に夢中になっている新成人も、問題だと思う。
だが、それ以上に黙々と携帯電話でメールをしたりゲームをしたりするコトは、ある種のコミュニケーション力という部分で、問題なのでは?と、感じるのだ。

「式典中おしゃべりに夢中になっているより、マシ」という考え方もあるが、あの電子音の不気味さは、私などには「心の不気味さ」という感じを受けてしまう。
と同時に「人と直接、接する」ことへの拒否のようにも感じてしまうのだ。

実は、昨日チョッと遠出をした。
その帰り、比較的静かな電車内のあちらこちらで、携帯電話の電子音が響くのだ。
車中を見回すと、何人もの人が携帯電話でメールを打ったり、ゲームに夢中になっている。
その時、彼ら・彼女たちのいる場所には「見えない個室」があるように思えたのだった。
その不気味さというか、居心地の悪さに対して、無感覚になりつつあるのでは?と、感じたのだった。

社会というモノは、多くの人で成り立っている。
そして自分と違う人たちと一緒に過ごす時間が、大人になれば格段に長くなる。
「大人になるというコトとは?」と考えたら、自分の個室から出て、自分と価値観や思考などが違う人たちとのコミュニケーション力を身に付ける、というコトなのかも知れない・・・と、思ったのだった。


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